CHANGE&CHALLENGE

チェンジ & チャレンジ
~妙眞寺創立百周年に向けて~

 去る令和五年十二月、昨年遷化された前東京第二布教区宗務支院長・妙光寺御住職・土居崎日裕御尊能化(慧彰院日裕上人)をはじめ、教区内外有縁の御僧侶の御来臨を賜り、妙眞寺創立九十周年記念法要を厳修申し上げました。
 年を明け令和六年正月、予(かね)てより御法主日如上人猊下より賜っておりました、「早期に妙眞寺本堂・庫裡の新築を」との御指南を、令和十五年妙眞寺創立百周年の二大誓願の一つとして、その道のりを歩み始めました。更に同佳節には、「妙眞寺講中・五百世帯一千名体勢の実現」も、二大誓願の一つとして掲げさせて頂きました。
 しかし、皆様と共に掲げた誓願を成就するには、決して安易ではない非常に険しい道のりであると思いますが、講中異体同心・一致団結して精進して行けば、御本尊様の尊い御仏智を賜り必ず完遂成就できるものと確信致します。
 宗祖日蓮大聖人様は『撰時抄』に、「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先(ま)づ時をならうべし。(中略)彼(か)の時鳥(ほととぎす)は春ををくり、鶏鳥(にわとり)は暁(あかつき)をまつ。畜生すらなをかくのごとし。何(いか)に況(いわん)んや、仏法を修行せんに時を糾(ただ)さざるべしや」と御教示されております。この『時』ということについて、思う所がありましたので少々申し上げたいと思います。
 遡ること平成十年、私が富士学林大学科四年生の時、御先師日顯上人は富士学林大学科の特別御講義にて、「丑寅の刻とは正に転機の時である。丑年から寅年となった本年、客殿が新築落慶され、更に本門戒壇の大御本尊様を御遷座申し上げ、正本堂を解体することに至ったのである。つまり、丑年から寅年は、陰から陽へと様々な物事が明らかになっていくと同時に、寧ろ私たち自らが変わらなければいけない時である(趣意)」と御指南されました。正に平成十年四月五日、新客殿落慶法要最終日、午後の法要において日顕上人は、「革進の年たる本年こそ、本門戒壇の大御本尊様を謗法の団体が与して建立された正本堂から御遷座し奉るにふさわしい年である」と御指南遊ばされ、法要終了後、ただちに大御本尊様を正本堂より改装された奉安殿へと御遷座されました。日顯上人は、寅年という時を鑑みてこのような大英断を下され、その後、平成十四年十月、奉安堂が新築落慶され、本門戒壇の大御本尊様が御遷座遊ばされ今日に至っております。
 このように私たちは、その年々に見合った『時』を鑑み、その年に相応しい信行の実践に励むことが肝要であります。つまり本年は巳年であります。元旦勤行の折にも申し上げましたが、巳年とは蛇がその時々に脱皮を繰り返して新たな姿を現すことから、新しいスタートや再生する象徴とされ、また蛇の特性である柔軟性や適応力、洞察力を活かし、新たな変化や挑戦に対して柔軟に対応することが重要とされております。つまり『CHANGE&CHALLENGE』、『変化と挑戦』の年であり、今までの信心姿勢を省みて今年こそは心機一転して臨もうとする変化と、その変化を持って境界を高めて今まで行ってこなかった様々なことを見出し、挑戦して行くことが肝要であるということであります。
 当妙眞寺の新たなる歴史を振り返ると、平成二十二年七月二十一日、三十年ぶりに正信会側から寺院の明け渡しを受け日蓮正宗の末寺に復帰しました。八月三日に妙眞寺復帰奉告法要並びに第三代住職入院式を奉修し、駐車場の新設や修繕改築工事、仏具・什器備品の新調等を行いつつ、「平成二十七年第二祖日興上人御聖誕七百七十年・法華講員五十%増の御命題」の成就に向かっての折伏行も改めて開始されました。御会式前には正常に寺院活動が行える状況になり、毎年順調に折伏誓願目標を早期に成就し続け、平成二十四年になりますと、三月に「平成二十七年の御命題」を成就し、平成二十五年「妙眞寺創立八十周年」の佳節に向かって、記念事業への取り組みも開始致しました。
 そして平成二十五年・妙眞寺創立八十周年に当たり、御本尊様の御荘厳直し、宗開両祖の各御影の御衣替えや数珠・団扇の新調をはじめ、寺号・山号額の新調や女子トイレの全面改修工事ほか、多岐に亘る記念事業を行い、年末には「妙眞寺創立八十周年記念法要」が盛大かつ厳粛に奉修されました。思えば、この創立八十周年における皆様方の多大なる御尽力により、想像以上の記念事業を遂行することができましたことをもって、改めて妙眞寺檀信徒の皆様の並々ならぬ愛宗護法の精神や尊い御信心の姿を感じた次第であります。そして、正にその年こそが、今から十二年前の前回の巳年の年でありました。
 私自身もこの十五年間、すべてが順風満帆の日々であったわけではありません。しかし、公私に亘り皆様の御尽力を賜り、困難を迎えるごとに、陰に陽に皆様方に助けられてきましたことは、十二日(日)午後の宗祖日蓮大聖人御報恩御講にて申し上げた通りであります。その時は、恥ずかしくも感極まってしまって大変失礼申し上げた次第でありますが、本当に皆様方のお力無くしては、今日の平穏無事な日々は無かったものと、誠に有り難く存ずる次第であります。
 また、今月の御講拝読御書にて大聖人様の御意に適った四条金吾殿の並々ならぬ御信心の姿を拝し、たとえどんなに大きなリスクがあったとしても、折伏を重ねるごとにあらゆる障碍を打ち払い、必ずや大きな有り難い結果をもたらすことができることを拝せられたと思います。
 妙眞寺の前身たる信行閣発願主にして、妙眞寺初代住職の平山廣生師(一如阿闍梨廣生房日弘大徳)は、当緑が丘の地に土地を求め、売れる物は全てを売り払い私財の全てを用いて、八畳一間に御宝前のみという小堂を建立し、昭和八年十二月八日に信行閣が開堂されました。その後の苦労は筆舌に尽くしがたいものがあり、「南無妙法蓮華経の坊主」と詈られながらも、当時、東京城南地域には妙光寺の一箇寺のみであり、戦時国家という時局を鑑みつつ、ただただ我が国の平和安穏と広布大願の為に努めてこられました。その時代の逸話の一つに、「食べるものがない為、夜通し御本尊様に唱題していたら、朝になって食べ物を御供養されに御信徒がこられた」、「手狭となった小堂を改築するにも、畳を入れることができないので、苦労して手に入れた僧侶の宝とも言える愛蔵の仏教書の数々を兄弟弟子の皆様に買って頂いた」との話を伺ったことがあります。
 それだけの苦労の末、昭和三十七年に現在の妙眞寺本堂・庫裡を新築して、昭和三十七年九月十六日、総本山第六十六世日達上人の御下向を賜り、本地山妙眞寺入仏落慶法要が盛大に法修されました。その折に日達上人は、「まことに今、この立派な本堂が出来てから、あの前の本堂を見れば貧弱な小さな本堂でございます。今この大きい本堂になって皆様よろこんでいらっしゃる。どうぞ皆様も、もう一遍奮起してもっと大きい寺を作って益々広宣流布のためにお働きを願いたい」と御指南遊ばされました。
 こうした先師先達方の死身弘法の信心と寺運興隆への精神を拝し、且つこの日達上人の御指南を実現する為にも、今こそ妙眞寺の歴史と伝統の信心を奮い起こし、特に唱題行一つとっても、「瞬く間に時間が過ぎていく歓喜溢れる唱題」の実践を行って頂きたいと思います。その為には、必ず目標を立てて真剣にお題目を唱える姿勢、自ずと唱題する喜びがあふれ出し、もっともっと唱題したいと思える信心の構築が肝要であります。そして、その功徳利益を我が身に具え、自ずと折伏に繋がるような尊い境界をもって、事に当たって頂きたいと念願して止みません。
 どうか、皆様には本年『活動充実の年』が、真に充実した実りある一年になるよう、今からでも遅くありません。確固たる無疑曰信の信心をもって、志したあらゆる誓願成就のために全力を傾注できるよう、弥々の御精進を心よりお祈り申し上げます。