御報恩御講住職指導(令和6年12月)
『真の善知識たれ』
本堂横に『艱難汝を玉にす』と掲げておりますが、これは様々な諸難困難を乗り越えていくごとに、玉の如き光り輝く尊い存在になれる意味を持っています。皆さんは今年一年を振り返って、どのような結果を残すことができたでしょうか。
大聖人様は『新池御書』に、「始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠め候べき」と仰せであります。本年も、もう三週間しかない、まだ三週間あると、少し考え方捉え方を変えることによって、その過ごし方は大きく変わってくると思います。ましてや、私たちはこの信心を行ずる限り、「一念岩をも通す」という故事を現実にすることができる方途を知り得ているからこそ、決して諦めたり怠ったりすることなく、ただ只管御本尊様の有り難く尊い御仏智を信じて、自分自身最大限の信心の志を果たして、万難を排し自分に課した目標を無事成就して、後悔なきよう本年を終えて頂きたいと存じます。
世の中誰しもが、それぞれ夢や理想を持って、自分なりに必死になって毎日を過ごしていると思いますが、大方それは自分自身、家族がいたならば家族自体のことに過ぎないでしょうし、理想と現実は甚だ大きく違うものになると思います。また、中には本当に自利利他の志を立てて、ボランティア精神であったり地域住民や青少年の育成等に尽力する方も沢山いると思います。しかし、私たちの信心は自利利他の精神の極みである折伏弘教という大慈悲行をもって、世の中のありとあらゆる方を、一生成仏の境界に導き未来を大きく変えるべき境涯を構築し、真の幸福に導く唯一無二の仏道修行を行じております。その意義を今一度認識し、世の中を変えるには何が必要か、最近足を引っ張り合っている政治家や法律家、思想家、資産家等、世間でそれなりの地位にある方々に、果たして本当に日本や世界を変えることができるかどうか、戦争をなくすことができるのか、日々の自然現象の中から天変地夭を消し去る力はあるのかを考えた時、大聖人様が『観心本尊抄』に、「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」との如く、大聖人様の教えを受け継がれる時の御法主上人のもと、その法を行ずる令和の法華講衆には、天をも動かす御本尊様の御照覧と諸天善神の御加護を賜ることができるとの確信を抱き、今一度我が身の福徳と、使命と責務、そして今こそ偉大なる決意をもって、折伏成就所願成就に、あらゆる諸難困難を超越する為にも、我が身に一つの課題を課して、その課題を成就すべき信行の実践に励んで頂きたいと願うものであります。日常生活における信心修行の実践は、偏に皆様の志次第であると思います。本当に御本尊様への確信を持ってしかるべき事に当たっているかどうか、折伏も何か他人事になり、自分は人付き合いが少ないから、なかなか思うように話ができない、口下手等、色々と理由をつけては自ら大きく功徳を賜る行業から遠ざかってはいないか。寺院参詣や総本山への御登山もどこか惰性に流された、姿かたちばかりのお座なりの信心になってはいないかどうか。
本日拝読の御書には、善知識に親近することの大切さ、自らが善知識となってより多くの人々をこの妙法に帰依せしめることができる希有な存在であることを自覚し、どうか自らの明るく幸ある未来を切り開く為にも、そしてその思いをあらゆる方と共有できうるような信行の実践に弥々取り組んで頂き、輝かしい新年をお迎え頂きたく心より念願いたします。