ワシに目を施した王さま(令和6年12月)

ワシに目を施した王さま(わしにめをほどこしたおうさま)                   

令和6年12月 若葉会御講        

 むかし、インドのカーシ国の都であるバーラーナシに、心のやさしい尸毘王(しびおう)という王さまがいました。尸毘王はいつも貧(まず)しい人や修行している者に対して、食べ物を与え施(ほどこ)していました。ですので人々は尸毘王を慕(した)い敬(うやま)っていました。お城には毎日多くの人々がやってきて、生活に困っている貧しい人、子供の手を引く母親、そして修行者など、様々な人がやってきました。お城の庭の広場には、つねにお米や野菜などの食べ物や着る物がおかれており、やってきた人に応じて必要な物が施されました。尸毘王は広場のかたわらでその様子をニコニコ笑いながら眺めており、人々は深々と王さまに頭を下げて帰っていきました。
 ある時、この様子を天界(てんかい)より帝釈天(たいしやくてん)(須弥山(しゆみせん)の頂上に住み仏教を守る神)がじっと見ておりました。帝釈天はこの尸毘王の布施行(ふせぎよう)の志(こころざし)が本物かどうかを試(ため)してみようと、一羽の大きなワシに姿を変えました。そして、その大ワシが城の上空まで来ると、広場に風が舞い上がりました。大ワシがゆっくり城の周りを旋回(せんかい)し、やがて砂けむりを上げて降りてきました。大ワシは王さまの前まで来ると、「王さま、私は王さまがどんな人に対しても平等にどんな施しもなさるということを聞いて、はるばる飛んで来ました。私の望みを聞いて、私の欲しいものをくださるでしょうか」と尋ねました。
 王さまは、「私は布施の修行を貫いて天界に生まれ変わりたいと思っておる。なんでも望みの物を与えよう。何が欲しいか言ってごらん」と答えました。すると大ワシは、「実は私は今まで大空から色々なものを見てきました。私の目は広い大地をすみずみまで見通すことができ、地上を駆け回る小さな野ネズミも見つけることができます。でもしょせん畜生の身の上です。我が命を長らえるために、他の生き物を殺す弱(じやく)肉強食(にくきようしよく)者(もの)の目です。私は一度でいいから、人々の命を救うために布施行を惜しまない、王さまの慈(いつく)しみの目でこの世界を見てみたいのです。どうか私に王さまのその澄(す)んだ両目を施していただけないでしょうか?」とお願いしました。
 王さまは、布施する品が食べ物や着物でないことに一瞬動揺(どうよう)してしまいましたが、覚悟を決めて「自分の身を捨ててこそ、はじめて布施行の本懐(ほんがい)を遂(と)げることができる」と腹を決めました。王さまは、「その願いを聞き届けよう」と大ワシに言いました。そして、自ら両目を取り出し大ワシに渡し、王さまは気を失って倒れてしまいました。
 しばらくして気を取り戻した王さまに大ワシは、「王さま、後悔はしていませんか?」と尋ねると、王さまは「していないとも。その目でこの世界を見るがよい」と答えました。大ワシは、「はい。でも私は、私のような者にかけがえのない両目を施し、王さまが後悔していないとは、どうしても思えません。どうか、王さまの言葉に少しも偽(いつわ)りがないことを証明して下さい」と言いました。
 王さまはもう大ワシを見ることはできません。でも大ワシの声の方を向いて、「私の心に偽りがなければ、必ずや私の両目はもとにもどるだろう」と言いました。すると不思議なことに、言い終わると同時に大地が振動し、天から美しい花が降ってきたのです。その美しい光景のなかで、王さまがもとの澄んだ両目を開いて、神々(こうごう)しく立っているではありませんか。王さまを見守っていた人々はあまりのことに、王さまに向かって思わず手を合わせました。すると、大ワシの姿は消えて、そこには尊い帝釈天の姿がありました。帝釈天は尸毘王に、「王よ、あなたの志はまさしく真実のものでした。その功徳によってあなたはきっと将来仏になることでしょう」と言ったのでした。その言葉通り、やがて尸毘王はお釈迦さまとして生まれ変わり、世の中の人々を救うために尊い教えを説いてまわりました。
 他にも、目を施したお釈迦さまの十大弟子の一人である舎利弗(しやりほつ)の話があります。舎利弗が前世で修行をしている時のことです。舎利弗は一人の男の乞いに応じて、片目をその男に施しました。しかし男は、「何だ、この臭くて汚いものは」と言って、地面に投げつけ、つばを吐き、足で踏(ふ)みつぶしてしまいました。そして、「もう片方の目をくれ」と手を差し出しました。舎利弗はあまりにも無礼(ぶれい)な態度にカッとなって我慢できなくなり、それまで行っていた布施行を止めてしまい、自分で志した仏道修行を最後まで貫くことができずに終わってしまいました。
 よく大聖人様の信心はマラソンや山登りに譬(たと)えられます。マラソンは42.195キロを走るスポーツですが、マラソン選手は2時間以上かけてゴールを目指して走り抜こうとスタートしますが、30キロぐらいになると、「もう駄目かもしれない」、「止めてしまいたい」と思うことがあるそうです。しかし、そこをなんとか切り抜け無事ゴールにたどり着いた時の喜びは、何ものにも代え難いものがあります。また、富士山に登る人は3776メートルの山頂を数時間かけて目指し挑みますが、8合目(3000メートル)ぐらいになると、だんだん空気が薄くなってきて頭が痛くなったり、気持ちが悪くなったりします。これを高山病と言いますが、こうしたことや身も心も疲れてきて、「もうやめようかな」という思いを何とか振り払い、諦めず、いざ頂上にたどり着いた時、その達成感と富士山の頂上から眺める景色は、富士山に登った人にしか味わうことのできない素晴らしいものであると思います。
 私たちが行う信心修行も同じように、まず毎日、朝起きて眠い中朝勤行を行ったり、夕方疲れて家に帰ってきて夕勤行を行うことは、決して簡単なことではないと思います。ですが、毎日勤行や唱題を続けていくと、必ず御本尊さまがその姿に応じて尊い功徳を私たちに与えて下さったり、思いもしないこと、有り難いことが起きたり、何か目標を目指して頑張る皆さんに大きな力を与えて下さり、達成することができるようになります。来年もそれぞれの日常生活において、嫌なことがあったり、自分の思うようにならない時、つらいと思う時があるかもしれません。ですが、今日の話のように、どこまでも自分の気持ちを貫いて、色々な物事を達成したり、困難を克服できるように、御本尊さまから有り難い結果をもたらして頂けるようにと、自分自身で少し難しいかなと思うぐらいの目標を立てて一生懸命頑張って下さい。そして、その目標を達成できれば新しい目標を立て、達成できなかったとしても、気を落としたりあきらめるのではなく、次は頑張ろうと思う心を起こすことが、また一つ大事なことになります。もうすぐ令和6年も終わりますが、皆さんには大晦日までに来年の目標を考え、夢と希望を持って令和7年の元日を迎えて頂き、それぞれの目標に向かって、御本尊様に真剣にお題目を唱え続けて、決して諦めることなく頑張って下さい。

本年最後の若葉会御講