目師会を迎えて
本年も第三祖日目上人の祥月命日の月を迎え、恒例の七五三祝を迎えた子女のお詣りがありました。平成二十二年に妙眞寺が宗門に復帰した当時、数えるほどであった少年部、学生部の陣容も、お陰様で大学生から小学生、乳幼児に至るまで各学年余すところなく、非常に多くの子供逹溢れる講中となりました。此れも偏に各親御さまの法統相続の賜物と存じ上げます。
こうしたなか、世情を察すれば大聖人様が『唱法華題目抄』に、「日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず。適仏法を知る智者は、国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利正を止め、此の国をすて他方に去り給ひ、悪鬼は便りを得て国中に入り替はり、大地を動かし悪風を興し、一天を悩まし五殻を損ず。故に飢渇出来し、人の五根には鬼神入りて精気を奪ふ。是を疫病と名づく。一切の諸人善心無く多分は悪道に堕することひとへに悪知識の教を信ずる故なり」との如く、邪宗謗法の害毒、三毒煩悩盛んなる人々の悪因によって、相次ぐ自然災害であったりそれに伴う作物の不作、疫病の蔓延などが世の中を混乱の渦を巻き起こし、この因縁を知らず乗り越える術も知らずに苦悩に喘ぐ人々の嘆きや苦しみが、更に依正不二の原理によって混迷の極みを見せております。
故に私たちは、『日女御前御返事』に「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす」との御教示の通り、御本尊様への確信のもとに、倦まず弛まず信行の実践に励むことが肝要であります。そして『呵責謗法滅罪抄』に、「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」とのように、不可思議偉大なる妙法の尊い功徳利益をもって、有り難き果報を頂けるような信心を構築することが非常に大事なことであります。
しかし、いくら頭の中で御本尊様への確信の大事は思えども、より確固たる確信を得るには皆様一人ひとりがこの信心によって、たとえどんなに小さなことであっても一つの結果を得て、そこから自信や確信が深まっていくのであり、より明確なる確信を抱いて頂くことも大事大切なことであります。
更にまた大聖人様は『種々御振舞御書』に、「一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりを越ゆべきか」と仰せであります。ですから、来たるべき諸難困難を乗り越えるためにも、より確実にコツコツと信行を重ね、大なり小なりあらゆる目標を成就しながら前進いくこと、そこから更に確信を深めて大きな目標に挑戦して行くことも至極肝要であります。
やはり大聖人様は『四条金吾殿御返事』に、「これにつけてもいよいよ強盛に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず(中略)いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし」と仰せにように、皆様方の一心一念は必ず御本尊様をはじめ宇宙法界に普(あまね)く相通じており、折伏成就や所願成就ほか、あらゆる志、祈りや願いも、偏に皆様の尊い御一念とその信行の実践により、不思議とその結果は大きく変わってきます。今の世の中、格差社会や上級国民であるとか、または学歴社会といった、目にめえる物質的な物の見方、生まれ持った境涯、または地位や名誉を得た人々が世の中に多大なる影響を与えるような風潮があります。しかしながら、そうしたことは、ただ僅か表面上のことに過ぎず、実際仏法の因果の道理からすれば、一笑に付すような戯言(たわごと)であります。
ましてや信心においては尚更であり、日々信行に励む中理想と現実の違いを考えた時、大聖人様が『法蓮抄』に「如何にしてか今度法華経に信心をとるべき。信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるがごとし。但し近き現証を引いて遠き信を取るべし」との如く、厳然たる因果の理法により刹那的に有為転変する宇宙世界において、皆様方の未来をより良く変える方途は、ただこの大聖人様顕された唯一無二の正法正義しかないと心得、目の前にある現実から目をそらさず、一心にあらゆる所願を悉く成就できるような信仰と、唱題が唱題で終わらぬよう、ましてや空題目のような形ばかりの信心にならないように、結果を出せる強盛な信仰者としての姿を今こそ構築して頂きたい、何事にも憂慮することなく、慌てふためくことのない、強固な信心をもって相対して頂きたいと願うばかりであります。
また、皆様方が今までこの信心生活を通して得たこと、感じたこと、発心しようと思ったことがあったと思いますが、時が経つにつれて薄れ行くこともあるのではないでしょうか。そうした忘れかけているとても大切な事を再び思い出しつつ、あの頃はこうだった、あぁだったということを今一度思い返し、今後の信心の資糧にして頂きたいと願います。
どうか未来ある子供逹の将来を考えた時、まずはお子様やお孫さまを持たれる保護者の皆様がより真剣に信心に住して頂き、一家和楽の信心をもって、家族が異体同心一致団結して、共々有意義な日々をお送り頂くことができるよう、いよいよの御精進を心よりお祈り申し上げます。