御報恩御講(令和6年10月)
令和六年十月御講
妙法比丘尼(みょうほうびくに)御返事 (御書一二六二ページ)
弘安元年九月六日 五十七歳
仏法(ぶっぽう)の中(なか)には仏(ほとけ)いまし(誡)めて云(い)はく、法華経(ほけきょう)のかたきを見(み)て世(よ)をはゞかり恐(おそ)れて申(もう)さずば釈(しゃ)迦(か)仏(ぶつ)の御敵(おんかたき)、いかなる智人(ちにん)人(にん)善人(ぜんにん)なりとも必(かなら)ず無(む)間(けん)地(じ)獄(ごく)に堕(お)つべし。譬(たと)へば父母(ふぼ)を人(ひと)の殺(ころ)さんとせんを子(こ)の身(み)として父母(ふぼ)にしらせず、王(おう)をあやま(過)ち奉(たてまつ)らんとする人(ひと)のあらむを、臣(しん)下(か)の身(み)として知(し)りながら代(よ)をおそれて申(もう)さゞらんがごとしなんど禁(いまし)められて候(そうろう)。
今月拝読の御書は、『妙法(みょうほう)比丘尼(びくに)御返事』であります。
本抄は、弘安元(一二七八)年九月六日、大聖人様御年五十七歳の時に、身延に於いて認められた御手紙です。御真蹟は残っておりません。本抄の対告(たいごう)衆(しゅ)は、駿河国岡宮(現在の静岡県沼津市)周辺に住んでいた妙法(みょうほう)比丘尼(びくに)という女性信徒です。この方の素性について詳しいことは伝わっておりませんが、御手紙の内容から拝すると、妙法比丘尼には兄・尾張(おわり)次郎(じろう)兵衛(ひょうえ)という方がいてその兄が亡くなったことを大聖人様にご報告されています。尾張(おわり)次郎(じろう)兵衛(ひょうえ)という人の詳細は分かりませんが、念仏を捨てきれず亡くなってしまった。その次郎兵衛の奥さん、兄嫁より帷子(かたびら)(裏地の無い単衣(ひとえ)の着物)を大聖人様への御供養として託され、御供養申し上げた。その御礼のお手紙です。
此の帷子(かたびら)の御供養に対して、大聖人様は商那(しょうな)和修(わしゅ)の説話を引かれ、衣を御供養した因縁とその功徳を示され、この度の御供養にも絶大な功徳が存することを仰せられています。商那(しょうな)和修(わしゅ)の説話とは、昔、インドの王舎城の長者が大勢の客とともに旅をしていました。すると道中で一人の僧侶に出会いました。僧侶は重い病気に罹(かか)り、瀕死の状態であったので、そのまま放置するに忍びず、薬草を与えたり、色々と手を尽くして看病しました。そのかいあって何日かしてようやく快方に向かい、体力も回復してきました。僧侶は商那(しょうな)衣(え)といわれる衣を着ていました。商那(しょうな)衣(え)とは麻の一種の草の名で、この草を紡(つむ)いで織った衣のことです。その衣が、ヨレヨレでみすぼらしく見えました。そこで長者は、「あなたの衣は非常に粗末なので私の衣服を受け取ってください」と、上等の衣を差し出して御供養申し上げました。すると僧侶は自分の着ている衣を指して、「私は、この衣を着て出家成道し、この衣を着て涅槃するでありましょう」と言い、さらに、「あなたは僧侶に衣を供養した功徳により、未来に必ず 大果報を得るであろう」と言い終わって虚空に飛び上がり、そのまま涅槃に入りました。その様子を拝見した長者は誓願を立てました。「私は来世には値い難き行者に出値い、あらゆる威儀、功徳、衣服を具して今の僧侶のようになりたい。」この誓願によって長者は、次の生も人間として生まれ衣を着たまま母の胎内から生まれました。その衣はその子が大きくなるに従って衣も大きくなり、夏は薄く軽く、冬は厚く暖かく、汚くなることもなく、その子供を守りました。やがてその子は、釈尊の弟子・阿難(あなん)尊者(そんじゃ)のもとで出家しました。すると身につけていた衣は袈裟に変化しました。こうした因縁からこの方のことを商那(しょうな)和修(わしゅ)と称されたのです。商那とはインドの言葉でシャーナ、麻の一種で編んだ衣のことです。胎(たい)衣(え)とも、自然(じねん)衣(え)とも訳されています。妙法比丘尼は今生において値い難き法華経の行者、即ち日蓮大聖人に出値い、信心に励み、そして尊い御供養をした。此の二人の福徳は計り知れない功徳である旨を示されています。一方、生前は念仏信仰を捨てきれなかった兄・次郎(じろう)兵衛(ひょうえ)の後生を案じつつ、「いかに信ずるやうなれども、法華経の御かたきよにも 知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑ひなし」(御書一二六九㌻)と、これ以降も謗法と親近することがないよう誡められます。そして最後に、次郎兵衛を失った夫人への弔意を表されて本抄を結ばれています。
それでは、拝読の御文を通釈して参ります。「仏法(ぶっぽう)の中(なか)には仏(ほとけ)いまし(誡)めて云(い)はく、法華経(ほけきょう)のかたきを見(み)て世(よ)をはゞかり恐(おそ)れて申(もう)さずば釈(しゃ)迦(か)仏(ぶつ)の御敵(おんかたき)、いかなる智人(ちにん)人(にん)善人(ぜんにん)なりとも必(かなら)ず無(む)間(けん)地(じ)獄(ごく)に堕(お)つべし。」(通釈)「仏法の中に仏が誡めて言われるには、法華経の敵を見ながら、世をはばかり恐れて、謗法を指摘しない人は、釈迦仏の御敵となり、いかなる智人、善人であっても、必ず無間地獄に堕ちることになるであいましょう。」「譬(たと)へば父母(ふぼ)を人(ひと)の殺(ころ)さんとせんを子(こ)の身(み)として父母(ふぼ)にしらせず、」(通釈)「譬えば、父母を殺そうとしている者がいることを、子供の身分として父母に知らせなかったり、」「王(おう)をあやま(過)ち奉(たてまつ)らんとする人(ひと)のあらむを、臣(しん)下(か)の身(み)として知(し)りながら代(よ)をおそれて申(もう)さゞらんがごとしなんど禁(いまし)められて候(そうろう)。」(通釈)「王を殺そうとする者がいることを、臣下の身分として知りながら代を恐れて伝えないようなものである」と、禁められています。」本日拝読の御聖訓は、大聖人様が妙法比丘尼に対して、兄・尾張次郎兵衛は信心しなかったけれども、兄の謗法に同意することなく信心を貫かれた。引き続き謗法に交わらないよう戒めと激励を込められた御聖訓です。
それでは、今回の御聖訓のポイントを三つ申し上げたいと思います。
一つ目は「慈悲の心で謗法破折」ということです。大聖人様は今回の御聖訓において、大聖人様は「法華経(ほけきょう)のかたきを見(み)て世(よ)をはゞかり恐(おそ)れて申(もう)さずば釈(しゃ)迦(か)仏(ぶつ)の御敵(おんかたき)、いかなる智人(ちにん)人(にん)善人(ぜんにん)なりとも必(かなら)ず無(む)間(けん)地(じ)獄(ごく)に堕(お)つべし。」と仰せになり、「法華経のかたき」である謗法を見て知って折伏をしなければ、その人自体も謗法与同となって仏様の敵となることを示されています。世間の人はもちろんのこと、私たちの周りにいる未入信の家族や知人達は皆、「謗法と申す罪をば、我もしらず人も失(とが)とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候」(御書一二五八㌻)とあるように、謗法の意味を理解できず、どんな宗教でも信仰心を持つことは尊いとさえ思い込んでいます。謗法の罪の恐ろしさを知る私たちが、もし世間体を気にしたり、人間関係のトラブル回避を優先するあまり、両親や恩ある人の謗法を放置するならば、私たち自身も不知恩の誹りを免れず与同罪になることを、本抄で厳しく指摘されているのです。但し、「法華経のかたき」と言っても、未入信の人を憎んだり、相手の人格を否定することがあってはいけません。あくまでも、慈悲の心をもって謗法を破折し、相手を正法に導くことの大事を大聖人様は教えられておられるのです。私たちはこの実践によって、謗法与同罪を免れるとともに、化他行による大きな功徳を積むことができるのです。
二つ目は、「仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)の戒(いまし)めを畏(おそ)れよ」ということです。大聖人様は、『立正安国論』はじめ諸御書に『涅槃経』の、「若し善(ぜん)比丘(びく)、法を壊(やぶ)る者を見て置いて、呵責(かしゃく)し、駈遣(くけん)し、挙(こ)処(しょ)せずんば、当(まさ)に知るべし、是の人は仏法の中の怨(あだ)なり。若し能(よ)く駈遣(くけん)し、呵責(かしゃく)し、挙(こ)処(しょ)せば、是れ我が弟子、真の声聞なり」(国訳涅槃部一寿命品ー五一)という御文を引かれています。「善(ぜん)比丘(びく)」とは正法を伝持する僧俗であります。「法を壊(やぶ)る者」とは正法を破壊すること、つまり、謗法者をいいます。「呵責(かしゃく)」とは法を壊る謗法者に対して、その誤りを指摘し、叱り、責めることをいい、「駈遣(くけん)」とは追い払うことをいいます。謗法行為を改めない者を追い払って仏法を正しく護るのです。また「挙処(こしょ)」とは悪事をはっきりと挙げて、その悪事に対してきちんとした処置・処分を行うことをいいます。「真の声聞」とは仏弟子の意であり、広い意味で「仏説を聞く人」、今日では、日蓮大聖人の仏法をよく信受する者をいいます。この「仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)」について章安(しょうあん)大師(だいし)は涅槃経(ねはんきょう)の疏(しょ)に、「仏法を壊乱(えらん)するは、仏法の中の怨(あだ)なり。慈(じ)無(な)くして詐(いつわ)り 親(した)しむは、是れ彼が怨(あだ)なり。能(よ)く糾治(きゅうじ)せん者は、是れ護法(ごほう)の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。能く呵責(かしゃく)する者は、是我が弟子。駈遣(くけん)せざらん者は、仏法の中の怨なり」と述べています。過ちを犯した人を本当に慈しむのであれば、たとえ憎まれても、その人のために呵責(かしゃく)しなければなりません。もし、その人の悪事や過ちを知りつつ指摘しないのは、上辺は親しく慈悲深げに見えても、本当は無慈悲な人間であることになってしまいます。それは、その悪事や過ちが増長して不幸を招くことになるからで、過ちを指摘しないのはその人にとって親友どころか怨敵というべきです。本当の親身とは、その人の悪事や過ちを指摘し、糾弾し、止めさせることです。仏法の中においても、謗法の人を看過するのは仏法の怨、謗法の人を呵責するのは仏法を助ける本当の信仰者である、と教えているのです。それは、損・得の問題ではなく、「彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。」の道理に則(のっと)り、慈悲の上からあえて 一子の重病に灸(きゅう)を据(す)えるように、相手の感情に逆らってでも謗法を破折するべきである、と教えているのです。「折伏を怠ったならば師檀共に無間地獄に堕ちる」とも仰せですから、私達は、謗法与同の罪を誡めるものとして、肝に銘じなければならない大事な御教示です。日常生活の中では、ともすると付き合いの中で、「詐(いつわ)り親(した)し」んで角の立たないように信心の話を差し控えていることはないでしょうか。そんなときこそ「彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。」の御文を思い、勇気を奮って一言すべきです。私たち法華講員は、「仏法の中の怨」と成り下がらぬよう、大聖人のごとく破邪顕正の剣を引っ提さげ、常に自他共に謗法を許さずにこれを喝破かっぱし、一人でも多くの人を正法に導いて本当の意味で親身な人間となろうではありませんか。
三つ目は「使命を自覚し、諸難を乗り越える実践を」ということです。私たちが相手の幸せを願い、真心込めて折伏しても、難信難解の妙法ですから、折伏相手の方からは反発されることも多く、反対に誹謗中傷を受けることもあります。しかし、大聖人様は『開目抄』に、「念仏者・禅宗等を責めて、彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや」(御書五七七㌻)との問いを設けられ、その答えとして御経文を引き、諸難を忍び折伏に徹する時、真の仏道を成就することができるとの悦びを示され、弟子・檀那の奮起を強く促されています。私たちは、総本山第六十七世日顕上人の御指南に、「広布への前進、これを常に僧も俗も心に体して忘れず、日々夜々(中略)その実行を心にかける処に真の価値ある人生があり、本仏大聖人様が深く御悦びになることが確実であると信じます」(大白法・平成十五年一月一日号)との仰せを銘記し、一歩でも、たとえ半歩でも広布への前進を期して、折伏を実践してまいりましょう。
最後に御法主日如上人猊下は、次のように御指南されています。
「我々は邪義邪宗の謗法の害毒によって多くの人が苦しんでいるのを見て、それを黙過せず、一刻も早く大聖人様の正しい教えに導くべく、決然として折伏を行じていくことが、いかに大事であるかを知り、各講中ともいよいよ異体同心・一致団結して、勇猛果敢に折伏を行じていかれますよう心からお願いします。」(大日蓮・令和六年八月号)このように御指南なされ、謗法を見逃さず折伏していくこと、異体同心・一致団結していく大事を御指南なされました。いよいよ「折伏前進の年」も残すところ二カ月あまりとなりました。皆さんは年初に掲げた誓願成就に向けて、どれだけ具体的に実践できたでしょうか。この十月、十一月には全国の末寺に於いて御会式が行われます。御会式で拝聴する『立正安国論』、及び御歴代上人の烈々たる申状の御意を体し、年内には必ず折伏成就できるよう、あきらめずに精進してまいりましょう。