御報恩御講(令和6年9月)

 令和六年九月度 御報恩御講

 『四信五品抄』(ししんごほんしょう)        建治三年四月初旬   五十六歳

 濁水(じょくすい)心(こころ)無(な)けれども月(つき)を得(え)て自ら(おのずか)清(す)めり。草木(そうもく)雨(あめ)を得(え)て豈(あに)覚(さと)り有(あ)って花(はな)さくならんや。妙法蓮華経の五字(ごじ)は経文に(きょうもん)非(あら)ず、其(そ)の義(ぎ)に非(あら)ず、唯(ただ)一(いち)部(ぶ)の意(い)ならくのみ。初心(しょしん)の行者は(ぎょうじゃ)其(そ)の心を(こころ)知(し)らざれども、而(しか)も之(これ)を行ず(ぎょう)るに自(じ)然(ねん)に意(い)に当(あ)たるなり。
(御書一一一四㌻一六行目~一八行目)

【通釈】濁った水に心は無いけれども月影を浮かべて自ら澄んでいる。草木も雨に潤って花を咲かせるのであって、覚りを得て花開くのではない。妙法蓮華経の五字は経文ではなく、またその義でもなく、ただ法華経一部の意なのである。初心の修行者はその心を知らなくても、唯(ただ)信じて唱え修行することで自然に妙法蓮華経の意に当たるのである。

 さて、今月拝読の御書は『四信五品抄』であります。
 本抄は、建治三年(一二七七)年四月初旬、大聖人様御歳五十六歳の時に身延に於いて認められた御書であります。此の『四信五品抄』は、御開山・日興上人により十大部に選定された大変重要な御書です。また、本抄は『末代法華行者の位並びに用心の事』という別名もあります。御真蹟は、全十三紙、中山法華経寺に現存しております。
 本抄を賜ったのは、下総国(しもうさのくに)葛飾郡(かつしかごおり)八幡荘(やわたのしょう)若宮(わかみや)(現在の 千葉県市川市若宮)に住んでいた富木(とき)常(じょう)忍(にん)殿です。富木氏は千葉氏に仕えていた武士であります。(中山法華経寺の奥の院の寺城が館跡であるといわれている)常(じょう)忍(にん)の呼び名は、富木五郎常(つね)忍(のぶ)といい、入道してからは常忍(じょうにん)をそのまま法号として用い、のちに、常修院日常と号したようであります。常忍の出身地は元来は因幡(いなば)の国(くに)(現在の鳥取県)であります。常忍の父である富城中太入道蓮忍が、常忍に所従を譲った後に、建長二(一二五〇)年以降に因幡国から関東に移住したものと考えられています。常忍は、建長五年ごろに大聖人と出会い、入信したものと思われます。常忍は、初め大田乗明の姉を娶(めと)りましたが、早くに死別したため、その後、富木尼御前と呼ばれた妙常を妻として迎えました。尼御前は駿河国(するがのくに)重須(おもす)(現在の富士宮市北山)に生まれ、初め伊予守(いよのかみ)橘(たちばな)定時(さだとき)に嫁(か)し、まもなく定時(さだとき)が死去したために、富木常忍のもとに再嫁(さいか)したと伝えられています。尼御前は妻としてよく内助の功に励み、嫁として姑に仕えては従順で、しかも孝養心の厚い女性でありました。こうした人柄もさることながら、「尼ごぜん又法華経の行者なり」(同九五五㌻)とあるように、大聖人に帰依し純真な信仰を貫いた様子が窺(うかが)えます。大聖人はこの純真な信心に対し、弘安二(一二七九)年には御本尊を授与されています。晩年には、我が子日頂・日澄が日興上人に帰伏して富士に移ったことから、尼御前もまた娘の乙御前とともに故郷である富士の地に帰り日興上人に帰伏して、「重須」の地で死去したと伝えられています。墓は現在の北山本門寺の北側約五〇〇メートルの処に正林寺という寺があり、その地に埋葬されています。常忍は、鎌倉松葉ヶ谷の法難で、危うく難を免(まぬが)れられた大聖人様を、常忍の館に匿(かくま)いました。この時、大田乗明、曾谷教信、秋元太郎等が大聖人に帰依したといわれ、下総における教勢は一時に拡大したのであります。また、佐渡流罪に当たっては、彼の従者と思われる入道を大聖人のお供に付けるなど、外護に務めたのです。彼の熱原法難の際には、大聖人は日頂に付けて日秀、日弁を下総に遣(つか)わし、常忍夫妻に、両師の外護を託されています。また、大聖人に対する外護の誠は、御供養の面でも表れ、大聖人が住まわれていた鎌倉へ、佐渡へ、そして身延へと、自ら御供養の品々をたずさえて訪れ、また使いに託して、御供養申し上げたのであります。白米・鵞目・小袖・筆・墨・古酒・衣・袈裟、などの品々の御供養が御書に見られます。常忍が、大聖人の門下の中にあって、鎌倉の四条金吾と並んで、外護における双壁であったことを如実に示すものであります。常忍は、大聖人から『観心本尊抄』『法華取要抄』等の重要御書始め、四十余編にのぼる御書を賜っております。その多くが大聖人の御内証を明かされ、宗旨の肝要を述べられた重要な御書であります。常忍は、天台・真言の教理にも通じ、学解においても、相当に力のあった人であることがうかがわれますが、後の常忍の言動を見ると、大聖人の甚深の御法門については、どの程度まで理解できたのか、はなはだ疑問であります。おそらく十分には理解できなかったのではないかと思われます。そうしたなかで、大聖人は常忍に重書を送られたのは、常忍が法門を理解できたからではなく、常忍こそ、御書を後世に残す人であると信頼されたからでありましょう。 事実、常忍は、『観心本尊抄』・『立正安国論』をはじめとする数多くの御書の保存に全力を尽くしました。永仁七(一二九九)年三月四日、常忍は、「定め置く条条の事」と題する日(にち)常(じょう)置文(おきぶみ)を定め、御書を寺外に出すことを禁じました。常忍は、この置文(おきぶみ)を制定しおわって後、三月六日には、さらに「常修院本尊聖教事」と題し、法華寺に所蔵する御本尊・御書等の目録を作成して、大聖人の御書を厳護したのであります。永仁七(一二九九)年三月二十日、八十四歳でその生涯を閉じました。言うまでもなく日蓮大聖人の正意においては、釈尊の絵像・仏像を用いないのであります。あくまでも大聖人直筆の曼荼羅をもって本尊とするところに大聖人の御正意があるのです。常忍の果たした外護の任、御供養の精神は、賞嘆すべき立派なことでありますが、残念ながら大聖人の御本意、御法門への理解が浅く、釈迦仏を造立しています。大聖人滅後は、自宅の法華堂を法華寺と改称するなどして、中山門流を築き、第二祖日興上人の門から離れていきました。
 本抄を賜った背景を申し上げますと、建治三年三月二十三日、富木殿は六老僧の一人、弁阿闍梨日昭を通じて書状を大聖人様に奉り法華経を修行する上での疑問点をお伺いしました。(※「不審状」)その質問とは、肉食をしたあと、すぐに仏間に行って尊い法華経を読誦して良いのか悪いのか、或いはうがいをしなくても良いのか、というような問題です。また、五辛といって韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蒜(にんにく)・薑(はじかみ)(しょうが)等の五つの辛いものを食べてはいけないという仏様の戒めがあります。これらの五辛を食べてしまった場合に、きちんと口をゆすぎ、身体を清浄にしないままで法華経を読誦して良いか、という問題です。あるいは、法を観じようとするとき、まことに心が暗々としてくるということがあります。それらの質問に対して大聖人がお答えになられて、特に 末法の法華経の行者の位というものと、その修行のためにはどのようなことを用心したら良いか、ということについて お示しあそばされたのがこの『四信五品抄』であります。 
この質問に対して大聖人様は、まず法華経を修行するには戒定慧の三学を修する必要がある旨を説かれ、中でも末法における三学は、妙法受持の一行に尽きることを明かされています。
 題号の「四信五品」とは、法華経分別功徳品に説かれる修行者の階位のことです。同品には、釈尊在世の人が寿量品の説法を聴聞して得られる階位に四つ。此が現在の四信。釈尊の滅後に聴聞して得られる階位に五つ。此を滅後の五品があると示しています。此の「現在の四信」と「滅後の五品」が、在世滅後における法華経の修行の大要であると示されています。
現在の四信
①一念(いちねん)信(しん)解(げ)=法華経を聞いて信心を起こすが、いまだ他人に説くまで理解が至っていない初心の位。
②略解(りゃくげ)言(ごん)趣(しゅ)=仏の説法をほぼ理解して智慧を起こす位。
③広(こう)為(い)他説(たせつ)=仏の説法を聞いて理解し、他に法を説く位。
④深(じん)信(しん)観(かん)成(じょう)=仏の説法を深く信じ、先の三位の行に加えて観心を修行し、真理を体得する位。
滅後の五品
①随喜品(ずいきほん)=仏の説法を聞いて随喜の心を起こす位。
②読誦品(どくじゅほん)=自ら経典を受持読誦する位。
③説法品(せっぽうほん)=自ら経典を受持読誦し、他に法を説く位。
④兼行(けんぎょう)六度品(ろくどほん)=経典の真理を悟るために観心を修行し、兼ねて六度(布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ))を実践する位。
⑤正行(しょうぎょう)六度品(ろくどほん)=仏の経説の真意を会得(えとく)し、正意(しょうい)として 六度を実践修行する位。
このように「現在の四信」と「滅後の五品」とは釈尊在世と滅後において修行者が寿量品の説法を聴聞して得る功徳の位をいいます。本抄では、「五品の初・二・三品には、仏正しく戒(かい)定(じょう)の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」(同一一一二㌻)と仰せられ、大聖人の仏法においては信が最も大切であると御教示なされています。

 それでは本文を通釈してまいります。
「濁水(じょくすい)心(こころ)無(な)けれども月(つき)を得(え)て自(おのずか)ら清(す)めり。草木(そうもく)雨(あめ)を得(え)て豈(あに)覚(さと)り有(あ)って花(はな)さくならんや。」
(通釈)
「濁った水に心は無いけれども月影を浮かべて自ら澄む。草木も雨に潤って花を咲かせるのであって、覚りを得て花開くのではない」。

「妙法蓮華経の五字(ごじ)は経文(きょうもん)に非(あら)ず、其(そ)の義(ぎ)に非(あら)ず、唯(ただ)一(いち)部(ぶ)の意(い)ならくのみ。」
(通釈)
「妙法蓮華経の五字は経文(文相)ではなく、またその義(教え)でもなく、ただ法華経一部の意(本意)なのである」。

「初心(しょしん)の行者(ぎょうじゃ)は其(そ)の心(こころ)を知(し)らざれども、而(しか)も之(これ)を行(ぎょう)ずるに自(じ)然(ねん)に意(い)に当(あ)たるなり。」
(通釈)
「初心の修行者はその心を知らなくても、唯(ただ)信じて唱え修行することで自然に妙法蓮華経の意(本意)に当たるのである」。

 今回の御聖訓では、大聖人様が富木殿の質問に対して、妙法蓮華経の五字は法華経の肝心であり、これを唯一心に信じ行じていく意義と功徳を説かれています。
 
それでは、今回の御聖訓のポイントを二つ申し上げたいと思います。
 一つ目は「御本尊様を信じて唱える題目に大功徳あり」ということです。
今回の御聖訓にはまず、濁った水が澄むことも、草木が花を咲かせることも、智慧や覚りがあってそうなるわけではないという譬えを述べられます。同様に、初心の修行者も法華経の極意を知らずとも、ただその功徳を信じて修行することで、自然にその意に通達することができると御教示なされています。
 それは、大聖人様が顕された妙法蓮華経の五字が、「経文(きょうもん)に非(あら)ず、其(そ)の義(ぎ)に非(あら)ず、唯(ただ)一(いち)部(ぶ)の意(い)ならくのみ。」、すなわち単なる経文や釈尊文上の義理に留まらず、法華経全体の極意(久遠名字の本因妙)であるからに他なりません。御本尊様を信じて、御本尊様に向かって唱える題目、その信の一字が、大聖人様の御心に叶う信の一字であるならば、それはあらゆる障害を全部乗り越えて、法界全体を貫き通す信の一字として、それは尊い功徳をもたらすのであります。
 師弟は師弟としての感応があり、御本尊様、つまり末法の御本仏であらせられる大聖人様と、私達の命の間には、厳とした親と子、仏と弟子・信徒としての、そうした不思議な感応の妙があり、功徳の妙があり、十界、十如、一念三千の働きも、厳としてその上に貫かれるということを、皆さんは、しっかりと心に刻んでいただきたいと思います。
 本抄の中に、
「信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」(御書一一一二㌻)と仰せであります。
 此の信を以て仏様の智慧に代えるということは、これはどういうことかと申しますと、これはやはり本抄に、
「檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを、一念(いちねん)信(しん)解(げ)初随喜(しょずいき)の気分(けぶん)と為すなり。是則ち此の経の本意なり」(御書一一一三㌻)と仰せのように、それは、信の一字があれば、改めて般若、つまり智慧を修せずとも、信が智慧に代わってその働きを全うするのであるから、大乗の布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜というものは、自ずからそこに完全に具わってくるということを仰せになっていらっしゃるのであります。
したがって、檀戒等の五度、檀とは檀波羅密、布施であります。戒とは持戒の戒です。そういう菩薩としての智慧以外の五つの修行、布施・持戒・忍辱・精進・禅定を修めなくても、この信の一字のあるところ、そこに自ずからその五度も具わり、以信代慧によって、六波羅蜜の一切が具わってくることを教えていらっしゃるのであります。
つまり信を以て慧に代えるということは、信によって、単なる物知りで利口な人になるということではなく、本当の意味で慈悲に溢れた智慧が磨かれて、最高の智慧を完成して、本当の成仏の境界を得るということであります。それは、まさに信の一字によって得られるのです。ですから始めも信の一字であるならば、その貫き通す一切の根本もまた信であり、一人ひとりが涅槃や、あるいは成仏や、彼岸の彼方に到達することも、全部これはまた信の一字であります。
 また『法華経』の「譬喩品」の中にも、同じような言葉でありますが、「以信得入」と申しまして、「信を以て入ることを得たり」(開結一七五㌻)ということが説かれております。
 あの智慧第一と言われた舎利弗も、法華経の会座に連なって、自らの智慧に依って成仏を果たしたのではない。舎利弗でさえも信を以て即身成仏の境界を得たんだということを、法華経に明らかにせられているのであります。
 今日末法の私達も、やはり、その人その人が持っている智慧によって成仏するとか、学解によって成仏するとかというものではないのであります。実は根本の正しい信によって、一切衆生の即身成仏の道があり、あらゆる功徳の道の源は、信の一字ということを、私達は常に心に置いておく必要があると思うのであります。

総本山第六十七世日顕上人はかつて次のように御指南なされました。
「御本尊様に向かって合掌し、読経・唱題するという勤行の姿に、一切の行がそこに束ねられておるのである」(大日蓮・平成六年九月号)とお示しです。特に、南無妙法蓮華経の五字七字には仏様の悟りの全てが込められていますから、信心をもって題目を唱える受持即観心のところに万行万善の功徳が具わるのです。此の大変有り難い御教示を確信して参りましょう。

二つ目は「信は道の源、功徳の母」ということです。
仏教では、仏道修行者が悟りを開くためには「戒定慧の三学」を修めるべきと説かれています。戒とは悪を止め非を防ぐ戒律のこと、定とは心の散乱を防ぎ安定させる法、慧とは煩悩を断尽し真理を照らし顕すことを指します。
しかし大聖人様は、末法の私たちが三学すべてを行うのは難しいとし、本抄に「戒(かい)定(じょう)の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ」(御書一一一二㌻)と、分別功徳品を依拠として、先に述べたように「以信代慧」の法門を明かされています。
「信は道の源功徳の母と云へり」(念仏無間地獄抄・同三八㌻)等とお示しのように、信じることが仏道の源であり、功徳を生む母となるのです。
末法の衆生の成仏は、御本仏・宗祖日蓮大聖人様の顕された御本尊様を固く信じ、妙法唱題を実践することで叶います。このことを知る私たちには、いまだ正法を知らぬ人に伝え教えていく重大な使命があります。この使命を果たす信行の先に自身の一生成仏もあると銘記し、一切の人々を救うため、一層の正法弘通に精進してまいりましょう。

最後に御法主日如上人猊下は、次のように御指南されています。
「私ども一同、『持妙法華問答抄』の「願はくは『現世(げんぜ)安穏(あんのん)後生(ごしょう)善処(ぜんしょ)』の妙法を持つのみこそ、只(ただ)今生の名聞(みょうもん)後世(ごせ)の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生(こんじょう)人界(にんかい)の思出(おもいで)なるべき」との御金言を拝し、講中一結(こうじゅういっけつ)・異体(いたい)同(どう)心(しん)して、お互いが声を掛け合い、励まし合い、一天(いってん)広(こう)布(ふ)へ向けて敢然(かんぜん)として折伏を行じ、いよいよ自行化他の 信心に励まれますよう心から願います」。
(大日蓮・令和六年七月号)
 このように御指南なされ、お互いが声をかけあい異体同心して折伏を進める大事を御指南されています。
 今月は、大聖人様が発迹顕本された月です。大聖人様は一切衆生救済のために、末法の世に御本仏として出現されました。
 私たちは、大聖人様の大慈大悲に思いをいたし、その報恩感謝のため、本日学んだ信心修行、すなわち自行化他の信心を実践し、正法流布に邁進すべきです。今の混沌とした世相を真の仏国土へと変えていくためには、私たちの折伏実践が欠かせません。
 本年も残り四カ月となりました。折伏誓願を何としても達成するため、全力を尽くしてまいろうではありませんか。
(自支部の現在の折伏状況について触れる)

語句の解釈
 ※「不審状」
「不審状畏(かしこまり)て言上せしめ候。受け難き人身を受け遇い難き仏法に遇ふ事、宿善の感ずる所か。但したまたま明師し逢ひ奉り、法門を聴聞せしむと雖も、根性闇鈍の間、所得の法門たちまちに忘失す。是れ謗法の先業か。憂喜相(ゆうきあい)交(まじわ)る者也。余年齢巳に六旬に及ぶ。縦(たと)ひ長命を期すると雖も余命幾(いくばく)ならず。念念歩歩の所作皆以て三途の業也。仰(あおい)て仏法を信ずと雖も、若し罪業を尽さざれば悪趣堕ん事疑なし。不軽軽毀の衆、信伏随順せしむと雖も、謗法の罪を滅せざれば千劫阿鼻に堕す。愚身仏法を信ずると雖も師匠に遠離し奉るに依て、昔、僅(わずか)に聞く所の法門皆以て忘失せしめ了ぬ。恩顔に親近奉るが如くならず。常に法門を耳に触るる者は解了すること能(あた)はずと雖も罪業を消さざらんや。又妙因とならざらんや。唯願くば聴者を垂愍せられ、速に世事を捨てて蘭室に入りて親近給侍し奉らんと欲す。今生空しく過ぎば後悔何ぞ追ん。尤も賢察を仰ぐ者也。
一、諸法を観ぜんと欲すれば心いよいよ闇(あん)闇(あん)として観念すること能はず。仍て読誦を業すれば忽劇(こつげき)極(きわま)りなし。如何(いかん)が修行して其の理を得べきや。
一、肉食の事、事剋を経ずして行水を用ひ、仏経に向ひ奉り、読誦せしむ事如何。又一宿を経るの後、行水を用ひず読誦せしむる事如何。五辛を食するの後、行水せずして仏経に向ひ奉る事如何。又、行水用ふと雖も、不浄の時の衣服を着て道場に入る事如何。又、不浄の身たりと雖も、毎日不退に経典を読誦せしむべきか。将又一月一度たりと雖も精進清浄にして読誦せしむべきか。又、不浄の身に袈裟を着る事如何。不浄時の観念如何。条条の不審具(つぶさ)に厳旨を奉り、如法にこれを修行せしめんと欲す。この趣を以て御披露有るべきか。恐惶謹言 三月二十三日 渉弥常忍 判 進上 弁公御房
 (『宗全』巻一、一八〇―一㌻、原漢文)
富木常忍の不審状は、日常生活のなかでどのように信仰を実践すればよいのかという、具体的教示を要請している。その要点をあげると次の通りである。 
自分は根性愚鈍の為、せっかく人身に生を受け偉大な法にめぐりあい、偉大な師に逢いながら、これを忘失し、謗法の罪業を重ねてしまう。ぜひとも悪道をまぬがれる法門の御教示をお願いしたい。
(1)どのように修行すれば仏道の理を得ることができるのか。
(2)(イ)肉食の後、行水をして読経することはどうか。(ロ)肉食の後、一宿を経てから行水をしないでの読経はどうか。(ハ)五辛を食して後、行水しないで経典に向うことはどうか。(ニ)不浄の時、行水しての後、衣服を着して道場に入ることはどうか。(ホ)不浄の身でも毎日おこたらず経典を読誦すべきかどうか。(へ)あるいは一月に一度でも精進清浄にして読誦すべきなのか。(ト)不浄の身にして袈裟を着る事はどうか。(チ)不浄時の観念はどうか。以上の点について厳正なる御教示をうけたまわり、それにもとづいて修行したいと考えていますので宜しくお願いしたい。 
このような富木常忍の質問に対し、日蓮は『四信五品鈔』を著して、法華経修行の根本的な問題について論を展開し、これに答えたのである。(『日蓮聖人遺文辞典 歴史篇』)
 ※法華経分別功徳品第十七
現在の四信
①一念(いちねん)信(しん)解(げ)=法華経を聞いて信心を起こすが、いまだ他人に説くまで理解が至っていない初心の位。
②略解(りゃくげ)言(ごん)趣(しゅ)=仏の説法をほぼ理解して智慧を起こす位。
③広(こう)為(い)他説(たせつ)=仏の説法を聞いて理解し、他に法を説く位。
④深(じん)信(しん)観(かん)成(じょう)=仏の説法を深く信じ、先の三位の行に加えて観心を修行し、真理を体得する位。
滅後の五品
①随喜品(ずいきほん)=仏の説法を聞いて随喜の心を起こす位。
②読誦品(どくじゅほん)=自ら経典を受持読誦する位。
③説法品(せっぽうほん)=自ら経典を受持読誦し、他に法を説く位。
④兼行(けんぎょう)六度品(ろくどほん)=経典の真理を悟るために観心を修行し、兼ねて六度(布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ))を実践する位。
⑤正行(しょうぎょう)六度品(ろくどほん)=仏の経説の真意を会得(えとく)し、正意(しょうい)として 六度を実践修行する位。
このように「現在の四信」と「滅後の五品」とは釈尊在世と滅後において修行者が寿量品の説法を聴聞して得る功徳の位をいいます。