御報恩御講住職指導(令和6年9月)

 大聖人様は『日女御前御返事』に、「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす」と仰せになられております。要するに、日々の信行の実践において最も大切なことは、御本尊様を信じ抜くか否かということになります。当然、日常生活の中で良いこともあればつまらないこともあり、喜ぶこともあれば、悲しいことも多々あると思いますが、その一つ一つが、私たちの宿世の因縁であり深い意義があり、特に苦しい時辛い時には御本尊様にお題目を唱え尽くして行くことが肝要であります。時には、信心をしても状況が一向に良くならない、なかなか病魔を克服できない、折伏が成就できないと思うことがあるかもしれませんが、大事なことはそこをどう見極めていくかであります。自分自身、本当に大聖人様が仰せのような信行に励んでいるかどうか。特に大聖人様は『御義口伝』に、「七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慙なり。又云はく、頭上の七穴なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり」と仰せになられ、信仰して行く上で心に七宝を具えるべく、「正法を素直に聞き、深く信じ、正法を護る心を起こし、謗法の心や誤った心を戒め、お題目を唱えて心を安定させ、信心に励む心を起こし、あらゆるものへの執着を捨て、常に自分を省みて正しい心根を持ち続けることの大切さ」を御教示されております。更に「頭上の七穴」、つまり目・耳・口・鼻の七つの穴から日々入り込んでくる様々な情報を、適切に正しく判断できるようになることの大事を説かれています。ですから、皆さんが一つの結果を出す為の指針として、大白法や妙教等に掲載されている体験発表を読みつつ、例えば折伏を成就する為にはどのようなことに取り組んだか、病魔や経済苦等の諸難困難をどのように乗り越えたかを学び、自身の信行に当てはめて行くことも大事なことであると思います。そして、我意我見に執われた信心にならないように、自分勝手な信心の姿にならないように、大聖人様の御教示を胸に時の御法主上人猊下の御指南を拝して、油断怠りなき信心修行に励むことが肝要であります。
 世の中では、同じお題目を唱える宗派や新興宗教は数あれど、大聖人様が御認め遊ばされた本門戒壇の大御本尊様のもと、大聖人様より受け継がれた血脈法水を伝持遊ばされている、時の御法主上人に信伏随従してこそ、法華講衆七百五十星霜伝統の信心であります。そこをはき違えてしまえば、創価学会や顕正会、正信会のように、功徳利益も無い不毛の教えをただ妄信して謗法を重ね、不幸の因縁を築くばかりになってしまいます。実際、皆さんの周りにもそうした新興宗教に没落して抜け出せず、自身が不幸な人生に陥っていることすら気付くことができないような方々も数多くいるのではないでしょうか。ましてや、正しい仏教の道理を知り得て、信じ行ずる大事を私たちが弘め伝えなければ、日本乃至全世界の人々が信受する機会は、ほぼおとずれないのが現状であります。よって、私たちの身口意三業の行業を常に御本尊様が御照覧遊ばされているからこそ、まずは自分自身の信心を戒め省みて、素直に御本尊様への確信をもって進んで行くこと、本当に自分は御本尊様を疑いなく信じ切れているかどうか、今月の龍口の御法難の大聖人様の御姿をもって、今一度見つめ直して頂きたいと思います。