王様になった靴屋(令和6年7月)

王様になった靴屋(おうさまになったくつや)

                      令和6年7月 若葉会御講

 むかし、インドのある国にサッピという王様がいました。この国は平和で、みんな穏やかに暮らしていました。王様は、ときどき城を出ては街の中を歩き、人々の暮らしを見てまわり、人々が喜ぶ政治を行おうと心がけていました。
 ある日のことです。王様はいつものように粗末(そまつ)な服を着て、裏門からそうっと城の外に出ました。途中(とちゆう)靴屋(くつや)の前で足をとめ、仕事をしている老人に「忙しそうですね。幸せですか」と話しかけました。すると老人は、「忙しいばかりでちっとも楽でないよ」と言いました。王様は「世の中で一番楽な人は誰でしょうかね」と問いかけました。老人は「そりゃーあんた、王様に決まっているさ。朝から晩までおいしいものを食べて、きれいな服を着て、美しい女の人にかこまれて、それにあんな豪華で大きなお城に住んでいられるんだから、あれほど楽な仕事はないよ」と言いました。王様は「そうですかね。王様の仕事も案外たいへんなんでしょうかね」と言いましたが、老人は「そんなこと、あるわけがないでしょう。わしは一日もいいから王様になってみたいものだよ」と言い、王様は心の中でニヤリとし、この老人にしばらくの間、王の仕事をさせてみようと考えました。
 王様は老人にワインを勧めました。生まれて初めて飲むおいしいワインに老人はすっかり酔ってしまいました。そして王様は、老人をそうっと城の中に運ばせました。城の者には「この老人は、世の中で王様が一番楽な仕事だと言っているので、二、三日、王の仕事をさせてみようと思う。みんなは知らないふりをして老人を王様と思って仕えなさい」と命じました。
 次の朝、老人は酔いからさめ起きてみると、見たこともないような豪華なベッドに寝ていました。着ているものはまるで王様の着物のようです。横を見ると美しい侍女(じじよ)が二人いて、「王様、お目覚めでございましょうか。お酔いになって途中でおやすみになりましたので、まつりごとの採決がたまっております。どうかお出ましをお願い申しあげます」と言いました。
 老人は、自分は靴屋のはずなのに、まるで王様のようです。侍女も王様だと思って疑っていません。夢だろうか、幻だろうか、老人は自分が誰だかわからなくなってしまいました。とにかく侍女の言われるがままに、とりあえず王の仕事部屋に行き王座に着きました。
 はじめに軍隊の指揮官がきました。軍の配置や人事のことの決裁を求めてきました。王になった老人は国の一大事を自分が決めていいものだろうかと青くなり、身ぶるいをしました。
 次は裁判長官(さいばんちようかん)がいろいろな事件について説明しました。罪人の処刑の裁決もその中に含まれていました。老人は印を押す手が震えました。
 次は文部大臣(もんぶだいじん)が来ました。次は農林大臣(のうりんだいじん)です。次は外務大臣(がいむだいじん)です。後から後から責任者が資料を示しながら説明します。
 老人は慣れない仕事で疲れきってしまいました。やっと政事から解放され、いよいよ夕食です。見たこともないごちそうがテーブルに山ほどならんでいます。老人は喜びいさんで食べようとしましたが、とても疲れていて、せっかくの御馳走も喉を通りません。いつもの靴の修理の仕事の方が大変なはずなのに、王様の仕事は、今まで経験したことがないので、緊張して身も心も疲れ果ててしまったのです。それに夜もぐっすり眠れませんでした。老人は目のまわりが黒くなり、ほほもやせこけてしまいました。
 侍女は心配して「王様、お顔の色がよくありませんが、ご気分でも悪いのでしょうか」と聞きました。老人は「いや大丈夫だ」と言いながらも、自分が靴屋なのか、王様なのか、いったいこれはどうなってしまったのか、あれほどあこがれていた王様の生活が、楽しいどころか、こんなに辛いものとは、もしこれが夢であれば、早く覚めてほしいと思いました。
 次の日、王妃(王様の妻)が「王様、お疲れのようですので、踊りや音楽をお楽しみ下さい」と言いながら、ぶどう酒をついでくれました。老人は、そのぶどう酒をたくさん飲んで、酔って眠ってしまいました。本当の王様はそのすきに、老人の王の着物を、もとの靴屋の仕事着に着替えさせ、家に連れていって寝かせるように命じました。
 次の日、老人は目を覚まし、もとの姿の自分にほっとしました。数日してから、王様はまた、粗末な服を着て靴屋を訪れました。老人は「やあ、あなたですか。先日、あなたからいただいた酒を飲んで王様になった夢を見ましたよ。そしたらあなたが言うように、王様の仕事もたいへん苦労だということがわかりましたよ」と言い、「もう王様はこりごりだ。自分はやっぱり靴屋が一番だ」と言いました。
王様はお城に帰り、その話をみんなに聞かせました。はた目には楽そうに見える王様の仕事も、たいへんな苦労なんだということがみんなもよくわかりました。
 よく「隣(となり)の芝生(しばふ)は青く見える」といいますが、とかく他人のことはよく見えたり、楽しそうに見えるものです。ですから、自分と他人を比較してみたり、見かけだけで物事を判断することは間違いであるということです。自分の家族より、よその家族がよく見えたり、また遊んでいる友人をうらやましく思ったりしないで、自分はこの家族があって、この家族と一緒に幸せになっていく、幸せにしていくと思うことがとても大切なことです。
 そして、毎日の朝晩の勤行や唱題、学校の勉強も、今の自分の立場で精一杯頑張ることで、必ず道は開かれていきます。自分の思うようにならないからといって、ついつい楽な方法を考えたり、いたずらに他の家族や友だちをうらやんだりと、今の自分から逃げたりしないで、お題目をしっかり唱えて、自分の毎日の生活は自分自身で良い方向へ変えて行くんだと決意し、一日一日を大切にして頑張って行きましょう。
 また、時には辛いことや悩むことがあるかもしれませんが、御本尊様に解決の道を開いて頂けるように、真剣にお題目を唱えながら強い気持ちを持って乗り越えていくこと、先月も言いましたように、『艱(かん)難(なん)、汝を玉にす』という言葉を胸に、皆さんが一つ一つの困難や目標を叶えていくごとに、立派に成長して行くことができると信じて、どうか自分にできる最大限の努力精進をしていこうという気もちを持って、暑い夏を乗り越え有意義な夏休みを送って下さい。