蝉とカマキリと雀(令和5年6月)

蝉とカマキリと雀(せみとかまきりとすずめ)

 

                     令和5年6月 若葉会御講

 今日は、中国の越(えつ)の国王と呉(ご)の国王の話です。この話は、「呉越春秋(ごえつしゆんじゆう)」や「説苑(ぜいえん)」という中国の歴史書に掲載(けいさい)されています。
 むかし、中国の春秋(しゆんじゆう)時代の終わりに、越の国と呉の国が江蘇省(こうそしよう)で戦争をしていました。その結果、越の勾践王(こうせんおう)が負け、呉の夫差王(ふさおう)が勝利しました。勾践王は呉の国で囚(とら)われの身となりました。最初は見せしめとして、宮殿の中で馬の世話をさせられましたが、ある年のこと、夫差王が病気になってしまい、勾践王が献身的(けんしんてき)に看病(かんびよう)したことにより、勾践王は許されて越の国に帰国することができました。その後勾践王は、いつか必ず呉の夫差王を滅ぼして、敗戦の屈辱(くつじよく)を晴らしたいと思っていました。
 その目的のために勾践王は、夫差王に敬い従う態度をとっていました。『臥薪嘗肝(がしんしようたん)』という言葉がありますが、臥薪とは、薪(たきぎ)の上に臥(ふ)すと云う意味で、嘗肝は、苦(にが)い胆(たん)をなめること、つまり復讐や目的達成のために志を奮い立て、苦労や努力を重ねることを意味します。この臥薪嘗肝という言葉は、勾践王と夫差王の戦いの故事からきた言葉です。呉の夫差王の父が越の勾践王に敗れた夫差王は、薪の上に寝てその痛さから固く復讐を誓い、3年後に勾践王を破りました。勾践王はその敗戦を恥じ、苦い胆を嘗(な)めて必ず夫差王を滅ぼそうと心に誓いました。しかし、勾践王は越の国が破れた今、何の力も無く戦力では到底、呉の夫差王と戦うことなどできません。そこで、勾践王は武力がダメなら、様々な秘策をもって呉の国を滅ぼそうと考えました。
 それはまず、夫差王に取り入ることから始め、「私はあなたの部下でありますから、夫差王のためなら何でもいたします」と、会うたびにアピールしました。その証(あかし)として、まず越の国で一番の美女である西施(せいし)を夫差王に差し出しました。夫差王は、美女の西施の虜(とりこ)になってしまい、西施の言うことは何でも聞きました。そして、毎日西施とお酒を飲んで、ご馳走を食べて、ぜいたくな生活を続けました。こんな堕落(だらく)した、だらしのない生活をすれば国民の心は夫差王から離れていきます。そんな時に忠告をするのが、本当の家臣、部下の役目です。呉の宰相(さいしよう)の伍子胥(ごししよ)は、これではこの国がダメになってしまうと心配して、夫差王に「王様、越の勾践王と西施には心を許してはいけません。元々は王様の敵なのです。きっと王様の堕落を狙ってきます」と進言しました。しかし、「忠言(ちゆうげん)耳(みみ)に逆(さか)らう」と言いますが、夫差王は本心より自分を一番心配してくれる伍子胥に対し、「生意気なヤツだ。私に意見するのか」と言って、ろう屋に投獄してしまいました。
 一方、越の勾践王は西施を使って遊楽にふけり堕落した夫差王に対し、次の手を考えていました。それは、夫差王の一番の側近である大(だい)宰(さい)(日本でいう総理大臣)の伯?(はくひ)に賄賂(わいろ)を送って、夫差王から本当の忠臣、部下たちを遠ざけていきました。その伯?は夫差王に、「王様、気をつけて下さい。伍子胥が謀反(むほん)を企(くわだ)てております」と言い、夫差王は何かと意見してくる伍子胥を、快く思わなくなっていき、自分に従順に従う勾践王や伯?の嘘の言葉をすっかり信じてしまい、忠実な部下であるとすっかり騙されてしまっていました。そして、伯?の嘘の言葉を信じ、かけがえのない忠臣であった伍子胥を処刑してしまいました。しかし、そのことを勾践王は待ちに待っていて、これでやっと呉の国を攻め落とせる機会がきたと、着々と準備を進めていきました。
 そのことにいち早く気づいた夫差王の息子である呉の太子は、ある朝父である夫差王の前に、ずぶ濡れになってやってきました。夫差王は、「お前、朝からどうしたんだ」と尋ねると、太子は「はい、庭を散歩していましたら、木の枝で蝉(せみ)が鳴いていました。その蝉のうしろには、カマキリが蝉を狙っていました。すると、そのカマキリを、飛んで来た雀(すずめ)がそっと木の枝にとまり、蝉を狙って集中し、雀に気づかないカマキリを狙い始めました。これを私が見つけ、雀を弓矢で射ようと狙いを定めたのですが、ちょっと後ろに下がった瞬間、池に落ちてしまいました」と言い、夫差王は大笑いして、「お前はバカだなぁ。目先の欲得にとらわれて、後からの禍(わざわい)に気がつかなかったのだな。何事も目先のことより、後先のことをよく考えなくてはダメだな」と太子に言いました。すると太子は、「はい。実は思うところがありまして、魯(ろ)の国は斉(さい)の国に滅ぼされ、斉の国は我が呉国に滅ぼされました。しかし、我が国の後ろでは、以前滅ぼしたはずの越の国が、ひそかに我が国を狙っていると思われます」と、蝉とカマキリと雀の譬えをもって、実は越の勾践王と西施、大宰の伯?こそが謀反を企てていて、謀反の罪で処刑された伍子胥は、本当は無罪だったということを言いたかったのです。
 しかし、勾践王も西施も伯?も自分には何でも「はい、わかりました」と言って、よく仕(つか)えてくれ、夫差王の好きな献上品(けんじようひん)も多く、色々と気遣(きづか)ってくれます。伍子胥のように生意気に意見してくるようなこともなかったので、すっかり本来大切であった人の意見も聞くことができなくなっていた夫差王は、顔を真っ赤にして怒り、「なんだお前、伍子胥と同じことを私に言うのか。私のすることにいちいち口出しするな」と、実の息子である太子さえも国外に追放していまいました。そして、ついに紀元前473年、呉の国の夫差王は越の勾践王によって滅ぼされてしまったのです。
 『説苑(ぜいえん)』という歴史書には、越と呉の国の争いについて、「園中(えんちゆう)に樹(き)有り。其(そ)の上に蝉(せみ)有(あ)り。蝉高居(こうきよ)し悲鳴(ひめい)して露(つゆ)を飲(の)み、螳螂(かまきり)の其の後ろに在(あ)るを知らざるなり。螳螂身を委(ゆだ)ねて曲附(きよくふ)し、蝉を取らんと欲し、而も黄雀(こうじやく)の其の傍(かたわ)らに在るを知らざるなり。黄雀頸(くび)を延(の)べ、螳螂を啄(ついば)まんと欲し、而(しか)も弾丸の其の下(しも)に在るを知らざるなり」とあります。これは太子が夫差王に言ったことをそのまま言っています。つまり、蝉はカマキリに狙われていることも知らずにのんきに水を飲み、カマキリは目の前の蝉を取ることに夢中になり、雀はカマキリを狙うことに集中し、雀は自分を狙っている鉄砲に気づかずにいるという、目先のことだけに集中して、周りのことや後先のことをまったく考えていないことを言っています。
 私たちは、いつの時も目先のことだけを考えるのではなく、もっと先のこと、将来のことを考えながら、毎日、勤行や唱題・勉強・習い事、将来に役立つことなどを一生懸命頑張って行くことが大事だということです。そして御本尊様は、真剣にお題目を唱えて行くと、自分自身の努力を2倍3倍にして頂けるような、不思議な力を私たちに与えて下さいます。また、涅(ね)槃経(はんぎよう)というお経には、「慈(じ)無くして詐(いつわ)り親(した)しむは是(こ)れ彼(かれ)が怨(あだ)なり」と、慈悲(じひ)の思いやりがなく表面的な友人関係、単なる遊び友だちは、将来の自分にとって悪い結果を招く友になってしまうかもしれません。「まさかの友こそ真の友」という言葉がありますように、本当に大切な友人知人であったならば、いつの時もお互いに励まし合い、思い合い、信頼し合える友であることが大事な事です。そして、一緒に信心ができる友を一人でも多く作れるように、大切な友人であればあるほど、大聖人様の教えに導くことができるように、信心の話をしてあげて下さい。また、自分の周りに悩んだり困ったりしている友だちがいたならば、積極的に声をかけてあげて話を聞いてあげて下さい。