御報恩御講(令和5年5月)

 令和五年五月度 御報恩御講

 『諸法実相抄』(しょほうじっそうしょう)      文永十年五月十七日   五十二歳

 いかにも今(こん)度(ど)信心(しんじん)をいたして法華経(ほけきょう)の行者に(ぎょうじゃ)てとを(通)り、日蓮が一門(いちもん)とな(成)りとをし給(たま)ふべし。日蓮と同(どう)意(い)ならば地涌(じゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)たらんか。地涌(じゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)にさだ(定)まりなば釈尊(しゃくそん)久(く)遠(おん)の弟子(でし)たる事(こと)あに疑は(うたが)んや。経に(きょう)云(い)はく「我(われ)久(く)遠(おん)より来(このかた)是(これ)等(ら)の衆(しゅ)を教化(きょうけ)す」とは是(これ)なり。末法(まっぽう)にして妙法蓮華経の五字(ごじ)を弘(ひろ)めん者(もの)は男女(なんにょ)はきらふべからず、皆(みな)地涌(じゆ)の菩(ぼ)薩(さつ)の出現に(しゅつげん)非(あら)ずんば唱(とな)へがたき題目(だいもく)なり。            (御書六六六㌻一四行目~一七行目)

【通釈】なんとしてもこの度は信心をいたして法華経の行者となり、日蓮の一門となり通すべきである。日蓮と同意であるならば地涌の菩薩に違いない。地涌の菩薩であると定まったならば、釈尊久遠の弟子であることを、どうして疑うことができようか。法華経に「我(釈尊)は久遠以来、これらの(地涌の菩薩)衆を教え導いてきた」と説かれているのはこのことである。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女の別なく、皆地涌の菩薩として出現した者であり、そうでなければ唱えることのできない題目なのである。

【拝読のポイント】
〇地涌の菩薩の眷属として使命を全うしよう
 末法に生まれた私達は、過去世に仏との縁を持たない「本未有善」の衆生です。しかし、大聖人は拝読の御文において「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」と、大聖人と同意して妙法弘教に励む者は、地涌の菩薩に他ならないと示されています。
 本未有善の衆生が地涌の菩薩となる所以について、総本山第六十七世日顕上人は「初めは本未有善として全く仏法に縁のない末法の衆生が、妙法を受持し、題目を唱え、折伏を行ずるとき、地涌の菩薩の命に生まれ変わる。したがって、久遠以来、妙法を行ずる清浄な地涌の徳がそのまま、その者の命となり、久遠以来の妙徳が生ずる。これが、妙法の不思議な功徳なのである」(すべては唱題から四一)と、その意義を指南されています。
 大聖人の御心を深く体して折伏を実践するとき、「地涌の流類」(御書六六六)、すなわち地涌の菩薩の眷属として生まれ変わることができるとの仰せです。私達はこの尊き使命を全うするため、正法弘通にこの身を捧げ、与えられた時間を妙法に奉ることこそ肝要です。
〇「日蓮が一門となり通し」誓願貫徹を
 竜口法難・佐渡配流と時を同じくして、門下一同にも諸難が競い起こり、多くの者が不信を抱き退転しました。そのような状況下にあって、大聖人は「信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給ふべし」と、強盛な信心をもって障魔を打ち破り、決して退転することなく、日蓮が一門として信仰を貫き通すよう教示されたのです。
 私達が信心修行、とりわけ折伏行を実践していく時、様々な困難に直面することもあります。しかし、御法主日如上人猊下は本抄を講ぜられて、「我々一人ひとりが『地涌の流類』であるという確信を持つことが大切なのです。この確信があれば、あらゆる難も乗り越えていけるのです」(折伏要文一四三)と指南されています。私達は今、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき」と仰せの題目を唱えています。この身の福徳に感謝申し上げ、御法主上人の御指南のまま、折伏実践に立ち上がってまいりましょう。
○日如上人御指南
 我々が広宣流布の戦いをしていけば、この先、いかなることがあるか判りません。しかし、それを大御本尊様への絶対の信をもって乗りきっていくところに、私達の一生成仏があるわけであります(中略)難に負けない、難を乗り越える信心こそ、今、私達にとっても、一番大事な信心の姿ではないかと思います。            (大日蓮・令和四年九月号)
□まとめ
 現在、全国・全世界から法華講の同志が参加して、大聖人御聖誕八百年の慶祝記念総登山が賑賑しく行われています。この時に当たり、今までコロナ禍で会えなかった未入信の方にも正法の功徳を語り、寺院へお連れして折伏を成就し、記念すべき総登山に共に参詣しようではありませんか。「折伏躍動の年」にふさわしく、元気で明るく活き活きと、講中一丸となって折伏誓願目標を必ず達成しましょう。

□住職より(法華講妙眞寺支部第33回総会)

 本年は御承知の通り、昭和8年12月8日に妙眞寺の前身として信行閣が開堂されて以来90周年の佳節を迎えました。更に、昭和22年12月11日に本地山妙眞寺として寺号公称いたし、その翌年、昭和23年10月20日に講頭・星野直人氏、副講頭・石田嶺作氏の認証を賜り、20名ほどの法華講衆によって法華講妙眞寺支部が結成されて以来75周年の節目を迎えました。
 この伝統ある妙眞寺法華講衆の現今における一大目標は、令和15年妙眞寺創立百周年の記念事業として本堂・庫裡新築・改築事業と、法華講500世帯1000名体制の構築であります。本日現在、妙眞寺法華講は約300世帯500名の陣容となっており、皆様にはどうか、妙眞寺法華講衆の歴史と伝統に誇りを持ち、これらの誓願成就に向かって、異体同心し一致団結して世情の浄化矯正と、御自身はもとより、ありとあらゆる方々の真の幸福を実現すべく、いよいよ自行化他の信心に住して憂国の志士仁人となり、下種・折伏成就出来うる境涯を確立し、今こそ御自身の最大限の御精進を尽くして頂き、意義ある今生現世を過ごした証(あかし)を示すことができるよう、人として生を受け値い難き正法に縁することができた御自身の使命と責務を全うして頂きたいと願います。
 今、世の中は人を不幸に貶める邪宗教を始め、宗祖日蓮大聖人様の正法正義を下げしめる新興宗教団体跋扈の害毒により、コロナ禍や日本各地での大地震勃発をはじめ混乱の極みを見せております。ただえさえ、世の中には三毒煩悩の毒気渦巻く悪風が吹き荒ぶ世の中でありますからこそ、私たちは意を決して自身の命を悉く浄化し、世情の流れに身を任すこと無く、今成すべき行業を油断怠りなく実践していくことが至極肝要であります。
 日蓮正宗の歴史を振り返りますと、この国を司るべき重要な立場にいた徳川幕府第6代将軍・徳川家宣公御夫妻、第13代将軍徳川家定公御令室様の天璋院篤姫、大正天皇御令室様の貞明皇太后をはじめ、時の世情を鑑み憂い嘆きつつ、大聖人様の正法に帰依された方々の御心境を拝するにつけ、そうした名だたる方々をはじめ、宗門八百星霜に亘り身命を賭して正法を護持興隆なされてきた、先師先達方お一人お一人の御遺志を胸に、誇り高き令和の法華講衆たる私たちがその歴史と伝統を継承し、今こそ立ち上がり前進すべき時であります。
 仏教の歴史におけるお釈迦様滅後の正像末三時流通の次第と、外用上行菩薩の再誕、本地たる久遠元初乃至末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の御教えを今日まで正しく継承してきた日蓮正宗の歴史は、大聖人様御在世当時より法難に次ぐ法難の連続であり、第六天の魔王を始めとする魔の跳梁による広布への道程を立ち塞ぐ障壁の存在は、大聖人様の御教えが唯一無二の正法たる所以であります。しかしながら、その障魔に決して屈することなく身命を賭し粉骨砕身し、本門戒壇の大御本尊様と、大聖人様から第二祖日興上人様に受け継がれた、血脈伝持の代々の御法主上人に信伏随従申し上げ、更に自らの菩提寺をそれぞれ護りぬいてきたのが法華講衆の輝かしい歴史であります。
今回、結成75周年を迎えた妙眞寺法華講衆の皆様も、信行閣開堂から始まり戦前戦中戦後の混乱期を乗りこえ妙眞寺の礎を建立され、一時は正信会僧侶に帰命依止の道場たる当妙眞寺を30年間に亘り、不法占拠されるという不遇の時代もありましたが、平成22年7月21日に宗門へと復帰して以来、すぐさま皆様方妙眞寺法華講衆により、以前の輝きを取り戻すべく東奔西走して折伏を行ぜられ、赤誠の志によって御宝前の荘厳改修をはじめ、寺域のあらゆる修繕整備に御尽力頂きましたことは、今もって感謝の念に堪えません。
 どうか皆様には本年を契機に、妙眞寺法華講衆の日常生活における一つの心得として、気遣いや心遣い、気配りや心配りが自然と実践できるよう心掛け、縁する全ての方々からの信頼を得ることができるよう慈悲の一念心をもって接して頂き、更にそこから下種・折伏へと繋げていけるよう、不断の唱題行に徹し、功徳利益に満ち溢れた、有益にして真の幸福なる人生を一歩一歩確実に前進して頂くことができるよう、より一層の御精進を心よりお祈り申し上げます。