青竹の痛み(令和5年1月)

青 竹 の 痛 み(あおたけのいたみ)

令和5年1月 若葉会御講

      
 今日は悪いことをして、その罪を戒められた王子の話をします。その王子とはインドのカーシ国の都、バーラーナシーを治めていたブラフマダッタ王の跡継(あとつぎ)の息子のことです。
 この王子が16歳になった時、王は旅の仕度(したく)と金千枚を王子に渡して、「タキシラの都に優れた学者がいる。その師について一切の学芸を修めてきなさい。そして、私のあとを継いで、立派にこの国を治めなさい」と王子に言いました。当時、インドの王族では、自分の国にどんな優れた学者がいても、心身を鍛(きた)えるためとその子の将来のために、親元を離れて遠い他国の名高い学者のもとで修行させるのが習慣でした。ですので王子もたった一人で、タキシラの都を目ざして旅立つことになりました。野宿しながら2ケ月かかって、ようやく目的地に着きました。父親である王からの願書と、お礼として金(きん)千枚を師匠(ししよう)となるその学者に指し出し、王子も学者の弟子として学芸を教えていただけるよう心からお願いしました。その学者は、王子の礼儀正しい態度や姿勢を見て、入門を許可することにしました。
 王子は他の青年たちと寝食(しんしよく)を共にし、昼も夜も勉学に励みました。王子は、「世界一の立派な王さまになろう」との志をもって、どんなことも積極的に自ら進んで行い、強い意志をもってがんばり、その姿を見ているほかの仲間もすごいなぁと感心していました。
 ある日のこと、師匠は勉強の中休みに、弟子たちをつれて郊外での課外授業に出かけました。野原で皆、思い思いに遊んでおりました。その近くで、おばあさんがゴマを干していました。「ゴマの香り、懐かしいなあ」、「僕はゴマが大好物なんだ」と、弟子たちはそんな話をしながらゴマの香りを楽しみました。王子もゴマは大好きでした。久しぶりのこともあって、皆にわからないように一握りのゴマをつかみ、後で口に入れました。とってもいい味です。しかし、その行動をおばあさんは陰で見ていました。「なんて子だろう。でもカラスに食べられたと思いましょう。きっと修行が厳しいんでしょう」と思い、見過ごすことにしました。次の日も、学者の弟子一行がやって来て、王子がゴマを盗むのをおばあさんは目撃してしまいました。王子はおいしいゴマだったので、つい軽い気持ちで一握りつかんだのでした。おばあさんは、「あの偉い先生の弟子が一体どうしたんだろうね。でも修行している若者に差し上げたと思いましょう」と、その時もおばあさんは見過ごすことにしました。
 そして、3日目のことです。王子はさすがに気がとがめて手を出しませんでしたが、別の青年が手を出してしまいました。おばあさんは、「あの先生は一体どんな躾(しつけ)をしているんだろうね。さすがに今日は見のがすことができないよ」と思い師匠に、「ちょっと先生、あなたは弟子たちがどろぼうすることを認めているんですか。1回ならまだしも、今日で3回目ですよ」と、どなりました。師匠はびっくりして弟子たちを集め、「誰だ、ゴマを盗んだのは」と問い詰めました。今日盗んだ青年は隠れて名乗りません。王子は一歩前に出て、「私が盗みました」と名乗り出ました。師匠は、弟子の中で一番優秀な王子が犯人だったことにおどろきました。しかし、将来人の上に立つ立場にある王子をこのままにしておいてはいけないと思い、2人の青年に王子の両腕をもたせ、青竹で思いきり背中を3回打ちつけました。その晩、王子は熱を出してうなされ続け、体がひりひり痛みます。でも心の傷はもっと痛みます。「師匠は正直に名乗りでた僕に対して、どうして皆の前であんな恥をかかせたのだろうか」、「師匠はどうしてあんなに力いっぱいぶったのだろうか。王子である自分をねたんでいるのだろうか」と、そんな思いから、王子は師匠の深い心を理解することなく、「はずかしめを受けたこの恨みは決して忘れない。今にみていろ」という、怒りと怨念の心でいっぱいになり、傷ついた心はいつまでもなおることがありませんでした。
 そして、3年が過ぎ、学業を終えて王が待つ故国バーラーナシーに帰る日が来ました。王子は、「師匠、いろいろありがとうございました。私が王位に就いたら使いを寄こしますから、ぜひおいで下さい」と挨拶しました。しかし、師匠は、王子の心の傷がまだなおっていない様子を見て、だまって見送ることにしました。
 数年して王子は王位に就きました。早速、師匠は若い王さまから招かれることになりました。師匠は、「まだあの気性の激しさはなおっていないだろう」と判断し、丁重に招待を断りました。それからまた数年が過ぎました。師匠は、「王も随分思慮深くなったことだろう。今なら諭(さと)すことができるだろう」と、師匠は一人でバーラーナシーの王宮へ行きました。王は十数年ぶりの師匠の姿に大変喜びました。しかし、急に王子の時、師匠のもとで修行していたあの時のことがよみがえり、だんだんと怒りが込み上げてきました。王は、「師匠よ、あなたはあの時、私にした仕打ちをお忘れではないでしょうね。今日はその報いを受けてもらいますよ」と、口にしました。師匠は、「あなたはもう立派な王さまになりました。もし、あの時私があれほど青竹で打たなかったら、あなたは人の物を盗む罪の深さを知らず、これ位はいいだろうという甘えた考えから、抜け出すことができなかったでしょう。今、あなたは盗人(ぬすびと)にならず、かえって盗人を捕らえ、人びとの平和な暮らしを守り、正邪を分別される立派な王さまとなられました。私のあの時のむちは、今の王の姿のためです。私は学問を教えることよりも、人の心を正しく躾けることが大事だと思っています」と諭しました。王は、はっと我に返り、「師匠、あなたは私の心の父だったのですね。父だからこそ、恨まれるのを覚悟であそこまでして下さった。私はやっと師匠の深い教えが理解できました」とお礼を言いました。そして、師匠を国の政治を司る国師として自分のもとに招き入れ、心から国民の心を大事にできる、世界一の慈悲深い王になることができました。
 皆さんも、人として悪いこと、間違ったことをしても、はじめは見のがしてくれることもあるでしょうが、だんだん人はおこられなければいいと、ついついそのことに甘えてしまうものです。さらに、厳しく怒られると、はじめは「なんでこんなに怒られなければならないの?」と、恨みの心、怒りの心をいだくこともありますが、後できっと、「あの時怒られて良かった」と、感謝ができるようになります。
 皆さんは、まだまだ立派な大人になるために成長している時ですから、お父さんやお母さん、学校の先生に叱られることもあるでしょう。お父さんやお母さん、先生たちは、理由もなく叱ったりすることはありません。皆、立派な大人に成長するように、悪いことや間違ったことをしたならば、「ここは善悪を教えるために、しっかり叱らなければいけない」と思って、嫌でも叱らなければならないと思って叱るのです。
 そして、皆さんは叱られるようなことがあったならば、素直に受け止め反省し、自分の悪いところや、過ちを直すようにすることが大事なことです。そして、そのことを繰り返すことがないように気をつけることも大切なことです。だんだん大人になっていくと、自分のことを叱ってくれる人もいなくなり、逆にちょっと注意されると、「あなたにそんなことを言われる筋合いはない」と、大人になるにつれてだんだん自分のプライドが高くなり、素直に受け止めることもできず、反省すらできなくなることがあります。
 私たちは、どんなに年を取っても、世の中の高い立場になったとしても、周りの人からの意見などを素直に聞き入れ、反省することができるように心掛け、決して人を傷つけたり、人のことを悪く言ったりすることがあってはなりません。常に自分の行うこと、言うことに気をつけ、何か人から注意されるようなことがあったら素直に受け入れ、自分の悪い面を直すことができるように心掛け、あらゆる人から慕われ信頼されるような発言や行動ができるように、今のうちから思いやりの心、何事においても成長できるように心掛けましょう。
 そして、1番大事なことは、真剣に勤行や唱題を行って行くことです。御本尊様は、私たちの心をいつも清く正しくしてくれる唯一の存在です。また、御本尊様に手を合わせ真剣にお題目を唱えていると、不思議と自然に正しいことを行えるように、言えるように変わってきます。こんなに有り難い御本尊様なのですから、今年も御本尊様への信ずる心を忘れず、いざという時正しい道を進めるように、幸せに感じる毎日を送ることができるように頑張っていきましょう。