御報恩御講(令和5年1月)
令和五年一月度 御報恩御講
『大悪大善御書(だいあくだいぜんごしょ)』 文永十二年 五十四歳
大(だい)事(じ)には小瑞な(しょうずい)し、大悪(だいあく)をこ(興)れば大善(だいぜん)きたる。すでに大謗法(だいほうぼう)国(くに)にあり、大正法(だいしょうぼう)必(かなら)ずひろまるべし。各々(おのおの)なにをかなげ(嘆)かせ給(たま)ふべき。迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも、ま(舞)いをもま(舞)いぬべし。舎(しゃ)利(り)弗(ほつ)にあらねども、立(た)ちてをど(踊)りぬべし。上行菩薩の(じょうぎょうぼさつ)大(だい)地(ち)よりい(出)で給(たま)ひしには、をど(踊)りてこそい(出)で給(たま)ひしか。普(ふ)賢(げん)菩(ぼ)薩(さつ)の来(き)たるには、大(だい)地(ち)を六種(ろくしゅ)にうご(動)かせり。 (御書七九六㌻五行目~八行目)
【通釈】大事の前には小さな前兆はない、大悪が起これば大善が来るものである。既に大謗法が国に現れているので、大正法は必ず広まるであろう。あなた方は何を嘆いておられるのか。迦葉尊者ではなくとも、舞を舞って喜ぶべきであろう。舎利弗ではなくとも、立ち上がって踊るべきである。上行菩薩は大地からお出になる時、歓喜踊躍して出現されたではないか。普賢菩薩が出現した時には、大地を六種に震動させている。
【拝読のポイント】
〇大悪の最たるものは謗法
仏法では、五逆罪は無間地獄の業因とされます。大聖人は、『顕謗法抄』に「懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし」(御書二七九)と仰せられ、謗法罪は五逆罪をはるかに超えた大罪であると断言されています。
また謗法者が国に充満すれば、国土・国家に過酷な現証が出来することを、『立正安国論』に「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(同二三四)と教示されています。しかも大聖人は、謗人(身)・謗家・謗国という三義を示され、たとえ自身は謗法を犯さずとも、家族乃至一国に充満する謗法を対治しなければ、その罪は免れがたいことを指摘されているのです(秋元御書・同一四五二参照)。
一家和楽を願い、一切衆生救済と立正安国実現のためには、子の苦しみを何としても取り除こうとする親のような慈悲心を、固く強く持ち、積極的に謗法を破折していく以外に道はありません。
〇唱題行の功徳で折伏に踊躍前進
大聖人は、拝読の御文に「大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし」と仰せです。また総本山第二十六世日寛上人が、『報恩抄文段』に「彼の大集経の『白法隠没』の時は即ち是れ今経広布の時なり。譬えば明闇の来去同時なるが如し」(御書文段四六四)と指南されています。今まさに、暗闇が極まって夜明けが始まるように、大聖人の大白法が日本及び世界に流布し、興隆していく時なのです。したがって私達は、『御義口伝』に「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は皆地涌の流類なり」(御書一七六四)との仰せを拝し、「地涌の流類」としての使命を自覚し、いよいよ信心を奮い立たせ、正法流布に真剣に精進すべきです。
現在行っている一月唱題行は、総本山をはじめ全国の末寺で毎年行われています。第六十七世日顕上人が詠まれた歌に「唱題は最上にして最善の心と身との鍛へなりけり」(大白法・平成十五年一月一日号)との一首があります。私達は唱題によって心身を鍛え、混迷の世にあって確たる実証を示し、自らの姿、自らの立ち振る舞いで世の人々を正法に導いていくことが肝要です。〝信心修行に唱題は欠かせない〟と心得、唱題の功徳と歓喜をもって折伏に踊躍前進しようではありませんか。
○日如上人御指南
折伏を忘れた信心は、本宗のなかには存在しません。まさに、自行化他にわたりての南無妙法蓮華経であります。一人ひとりが折伏をしっかり行じていくところに、必ず大きな功徳が存することは間違いありません。広宣流布を願う我々が一致団結して、この難局を乗りきっていくことが肝要であろうと思います。 (大日蓮・令和四年十一月号)
□まとめ
『折伏躍動の年』の初御講にあたり、共に本年の精進と折伏誓願目標の達成を御宝前に誓い合いましょう。また本年は、日蓮大聖人御聖誕八百年の慶祝記念行事として、三月四日には慶祝記念総会、その日を初日として十二月まで慶祝記念総登山が実施されます。必ず誘い合って参加して御報恩の誠を尽くし、もって広布に向かって大きく前進してまいりましょう。
□住職より
令和五年『折伏躍動の年』の新年、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山、妙眞寺創立九十周年・妙眞寺法華講結成七十五周年の佳節を迎えました。
本年はこうした記念すべき節目の年として、依然コロナ禍打ち続く中ではありますが、皆様には今まで以上に強盛なる信心をもって、本年にふさわしい有益な一年をお送り頂きたく存じます。
総本山第二十六世日寛上人様は『観心本尊抄文段』に、「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。妙楽の所謂「正境に縁すれば功徳猶多し」とはこれなり。これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり」と御指南されております。
末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様が御認め遊ばされた本門戒壇の大御本尊様は、不可思議偉大にして御威徳に充ち満ちていることは当然のこと、末法令和の時代の法華講衆たる私たちが、唯一無二の拝すべき明鏡であり、縁するだけでも功徳が生ずるわけでありますから、一人でも多くの方々に下種結縁せしめ、この御本尊様との仏縁を結ばせて頂く為にも、是非ともありとあらゆる方を寺院にお誘い申し上げることができるよう努めて頂きたいと思います。
また、皆様方一人ひとりにおいても、大聖人様が『弥源太殿御返事』に、「日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を期し給へ(中略)能く能く諸天にいのり申すべし。信心にあかなくして所願を成就し給へ」と仰せの如く、不思議にして有り難き結果を示して下さる御本尊様に対する絶対的確信を持ち、自らに迫り来たる諸難、困難をはじめ、あらゆる苦悩と混乱を排除し、皆様の祈りや志を成就させて頂き、進むべき道程を明らかにして下さる御本尊様の仏力法力を賜るためには、皆様の不断の信力行力に亘る精進、つまり自行化他に亘る真剣なる唱題行は欠かせません。
正に大聖人様が、『呵責謗法滅罪抄』が、「何なる世の乱れにも、各々をば法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」と仰せのように、世の中がどのような状況であろうとも、私たちの信心の姿は大聖人様御在世当時より何一つ変わっていないのであり、今こそ信心の原点に立ち返り、八百年の伝統有する日蓮正宗の歴史に刻まれる檀越方の姿に則りつつ学び習い、御本尊様の御冥加を賜り諸天善神の御加護を頂くことが出来うる信行の実践に励まなければならないと思います。
しかしながら、私たちが真剣に励めば励むほど、あらゆる障魔の用きや、その信行の功徳利益をもって、自身の罪障消滅宿業転換いたす為の障礙が生ずることは当然であります。それが物理的問題や精神的問題、健康を害し大病を患うこととなったり、人それぞれ様々な形で諸問題を抱えることがあったとしても、決して臆することなく疑うことなく、いかに大きな困難を迎えようとも、信行増進していけば、必ず乗り越えることができると確信し、その為にも確固たる決意と覚悟を抱くことが肝要であります。そして大聖人様が、『法華題目抄』に、「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」と仰せのように、不死鳥の如く立ち上がりよみがえり、更なる前進を遂げるためにも、不退転にて不撓不屈の信念をもって、日々弛まざる信行の実践と、岩をも貫く一念心をもって、「impossible」(不可能)を「I’m possible」(自分は可能)とすることができるよう、皆様の少しの一念や心掛けの違いによって、後に大きな結果の違いが生じるのでありますからこそ、今こそ一人ひとりが、その有り難き果報を実現させて頂きたく、意を決しての御精進を心より念願いたします。