御報恩御講(令和4年12月)
令和四年十二月度 御報恩御講
『崇峻天皇御書(すしゅんてんのうごしょ)』
建治三年九月十一日 五十六歳
人身(にんしん)は受(う)けがたし、爪(つめ)の上(うえ)の土(つち)。人身(にんしん)は持(たも)ちがたし、草(くさ)の上(うえ)の露(つゆ)。百二十(ひゃくにじゅう)まで持(たも)ちて名(な)をくた(腐)して死(し)せんよりは、生(い)きて一日(いちにち)なりとも名(な)をあげん事(こと)こそ大切(たいせつ)なれ。中務三郎(なかつかささぶろう)左衛門尉(さえもんのじょう)は主(しゅ)の御(おん)ためにも、仏法(ぶっぽう)の御(おん)ためにも、世(せ)間(けん)の心ね(こころ)もよ(吉)かりけりよかりけりと、鎌倉(かまくら)の人々(ひとびと)の口(くち)にうたはれ給(たま)へ。穴賢(あなかしこ)穴賢(あなかしこ)。蔵(くら)の財よ(たから)りも身(み)の財す(たから)ぐれたり。身(み)の財よ(たから)り心(こころ)の財(たから)第一(だいいち)なり。此(こ)の御(ご)文(もん)を御(ご)覧(らん)あらんよりは心(こころ)の財を(たから)つませ給(たま)ふべし。(御書一一七三㌻一〇行目~一四行目)
【通釈】人間として生まれてくることは難しく、それは爪の上に載るわずかな土のように稀である。(人間に生まれても)寿命を持つのは難しく、草の上の露のようにはかないものである。たとえ百二十歳まで長生きしても、名を汚(けが)して死ぬよりは、生きて一日でも名を挙げることこそ大切である。中務三郎左衛門尉は主君のためにも、仏法のためにも、世間のことに対する心掛けも、非常に立派であった、立派であったと、鎌倉の人々に称賛されるようになりなさい。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財がすぐれており、身の財よりも心の財が第一である。この手紙を御覧になられてからは、心の財を積んでいきなさい。
【拝読のポイント】
〇折伏の縁は日常の振る舞いの中に
拝読の御文に「爪の上の土」「草の上の露」と譬えられるとおり、人間に生まれることは極めて稀であり、それができたとしても一生はわずかな期間です。たとえ長寿を得たとしても、大聖人の仏法に値わなければ、罪障消滅も叶わず成仏を遂げることもできません。私達は「生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」との御金言を銘記し、法華講員として篤き信心を貫いていくことが肝要です。
また、本抄末尾に「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ」(御書一一七四)とあるように、正法の信仰者としてふさわしい言動を常日頃から心掛け、人々の信頼を得られる人格者でありたいものです。信頼によって培われた人間関係は、必ず折伏のよき縁となります。一歩でも二歩でも、広宣流布へ向けた折伏の歩みを進めるべきです。
〇心の財とは強盛な信心
拝読の御文に「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」と示され、財産等の蔵の財や、知識能力等の身の財よりも、第一に求めるべきは心の財であると教えられています。
また、総本山第六十七世日顕上人は「最も大切な財は三世十方に通ずる真実の教法、すなわち妙法蓮華経であります。故に、妙法への強い信心が、まことの心の財なのであります」(妙法七字拝仰下八一)と指南されています。
私達は、大聖人が拝読の御文に「此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし」と仰せのように、今日からさらに信心を深めるべきです。自行化他の確実な実践により、心の財を積み重ねてまいりましょう。
○日如上人御指南
自分一人だけの幸せを求める信心、すなわち利己的な信心は、大聖人様がお示しあそばされた自行化他にわたる信心にはほど遠く、これではかえって成仏を妨げることになるのであります。したがって私どもの信心にとって、謗法の害毒によって不幸に喘ぐ多くの人々を救う折伏がいかに大事であるかを、一人ひとりがしっかりと知らなければなりません。
(大日蓮・令和四年十月号)
□まとめ
「報恩躍進の年」も残りわずかとなりました。何事においても気の緩みや心の隙、油断は失敗を招く大敵です。殊に大聖人が「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(聖人御難事・御書一三九七)と仰せのように、「たゆむ心」は魔につけ込まれてしまいます。私達には人々を一刻も早く救う重大な使命があるのです。いよいよ日々の唱題に真剣に励み、全身全霊で折伏を実践して本年の折伏誓願を達成し、明年「折伏躍動の年」を迎えようではありませんか。
□住職より
いよいよ宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山が行われ、また妙眞寺創立九十周年・妙眞寺法華講結成七十五周年の佳節である、令和五年『折伏躍動の年』まで二十日余りとなりました。皆さんには、今月中に本年の反省と明年の目標をしっかり定めて頂き大晦日を迎え、心新たに輝かしい新年を迎えて頂きたいと願います。特に大聖人様は『十字御書』に、「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり」と御教示のように、様々な準備を整えた上で御本尊様と共に決意新たに元旦を迎えることにより、その一年が有意義且つ人の心をも動かす福徳に充ち満ちた年となるのであります。
世間でも「一年の計は元旦にあり」と言われておりますように、元日をいかに迎え過ごすかによって、その一年が決まるわけでありますからこそ、その意とするところをよくよく肝に銘じて新年を迎えて頂きたいと存じます。また、その為には、本年残りの日々をいかに過ごすか、明年に繋がるよう心してその日々を送ることが肝要であります。本日拝読の御書にもありますように、皆様一人ひとりの心根、身口意三業における行業の姿が、大聖人様仰せの如きものでなければならないことは言うまでもありません。特に、慈悲の心篤きものであれば、自ずと発言や行動にもその心が表れ、それによって周囲の方々からの信頼を得て、折伏に繋がるような人間関係の構築ができると思います。逆に、人を悩まし、困らせ、怒らせるような姿や、嘘、詐り、放言等の発言や行動の姿があったならば、全てが真逆の結果となってしまい、周囲の方々からの信用を一瞬にして失ってしまいます。
大聖人様が、「月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる」と仰せの如くであり、皆様方の一念心は三世十方に遍く相通ずるのであり、決して軽んずることがないようにしなければなりません。
とにかく我が心根を清く正しく持つためには何が必要か。それは正に慈悲の極みである折伏の志を常に抱き、御本尊様をはじめ、あらゆる方々への感謝の念を具体的に報ずることを心掛けて行くことであります。現在サッカーW杯がカタールで行われておりますが、日本代表が優勝候補国代表に勝利すること以上に、試合後の綺麗に片付け清掃され、折り鶴と共に感謝の言葉が残された日本代表の使用したロッカールームの姿が話題になっており、日本代表の森保監督も会見で、「お借りして使用した場所は、使用する前よりも綺麗にしてお返しするのが日本人の礼儀である」と話されておりました。
また、日本人は「判官贔屓」という言葉もありますように、弱い立場の人を助け応援する心や、思いやりの心を持つことを美徳としてきたはずです。しかし、令和の今日に至り、いつしかそうした心も失われ、インターネット、SNS等の普及もあり、人を平気で欺き、傷つけ、見えないところで中傷するような姿、思いやりのかけらもないような発言、行動が目立っております。しかし、今回のサッカー日本代表のそうした姿を見て、私たちも今一度、自分自身の所作振る舞いを省み、日本人としての古き良き伝統と、仏道修行者として恥じない発言・行動をすべきであると思います。どうか皆様には、今こそ折伏を成就させて頂きたいとの慈悲の一念を持って頂き、その為には今の自分に何が足りないのか、何をすべきかを真剣に考え実行に移し、記念すべき明年、まずは本年よりも一歩前進した信行の実践を心掛けて頂きたいと思います。