御報恩御講(令和4年7月)
令和四年七月度 御報恩御講
『四条金吾殿御返事』
文永十二年三月六日 五十四歳
法華経(ほけきょう)の文(もん)に「難(なん)信(しん)難(なん)解(げ)」と説(と)き玉(たま)ふは是(これ)なり。此(こ)の経を(きょう)き(聞)ゝう(受)くる人(ひと)は多(おお)し。まことに聞(き)き受(う)くる如(ごと)くに大難(だいなん)来(き)たれども「憶(おく)持(じ)不(ふ)忘(もう)」の人(ひと)は希(まれ)なるなり。受(う)くるはやす(易)く、持(たも)つはかた(難)し。さる間(あいだ)成仏(じょうぶつ)は持(たも)つにあり。此(こ)の経を(きょう)持(たも)たん人(ひと)は難(なん)に値(あ)ふべしと心得(こころえ)て持(たも)つなり。「則(そく)為(い)疾(しっ)得(とく)無上(むじょう)仏道(ぶつどう)」は疑ひ(うたが)無(な)し。三(さん)世(ぜ)の諸仏(しょぶつ)の大(だい)事(じ)たる南無妙法蓮華経を念(ねん)ずるを持(たも)つとは云(い)ふなり。(御書七七五㌻一二行目~一五行目)
【通釈】法華経の文に「信じ難く理解し難い」と説かれるのはこのことである。この経を聞いて受ける者は多いが、深く聞き入れ、どのような大難が来ても、「心に持って忘れない」人は稀である。受けるのはたやすいが、持ち続けることは難しい。ゆえに、成仏は法華経を持ち続けるところにある。この経を受持する者は難に値うと覚悟して持つべきである。「速やかに無上の仏道を得る」ことは疑いない。三世の諸仏の大事である南無妙法蓮華経を固く心に留めて忘れないことを持つと言うのである。
【拝読のポイント】
〇成仏は持つにあり
法華経には、末法において正法を行ずる者には必ず難が競い起こると説かれています。そこで大聖人は、金吾に対しても、他の御書において「始中終すてずして大難をとをす人、如来の使ひなり」(御書一三九二)と示され、大難にも臆することなく、入信してから臨終に至るまで信心を貫く人こそ、如来の使いであり、尊い使命を全うできる者であると仰せられています。私達は不退転の決意で、本抄の「成仏は持つにあり」との御金言のまま、ひたすら信心修行を重ねてまいりましょう。
〇「難信難解」について
大聖人は冒頭で、法華経が「難信難解」であることを示されています。それは法華経が、人々の機根にかかわらず、仏自らの悟りをそのまま説き明かされた「随自意」の教えだからです。しかし、『新池殿御消息』の「法華経は随自意なり(中略)一字一点も深く信ずれば我が身即ち仏となる」(御書一三六五)との仰せのように、たとえ難信難解であっても、強盛な信心をもって仏道修行に励むことで、自身の成仏を確たるものとすることができるのです。要は、堅固な信に基づく、ひたむきな修行の実践、これに尽きます。とりわけ、今の社会状況を見ると、破邪顕正の折伏こそ肝要であり、急務であることは明白です。
〇激励に優れる指導なし
大聖人は、金吾が過酷な難に遭う度に、信心修行の心構えや日常生活の立ち居振る舞いなど、細部にわたり金吾を教導されました。また、その一つひとつを忠実に守った金吾の純粋な信心姿勢こそ、諸難克服の要諦にほかなりません。私達も今、御法主日如上人猊下が常々仰せられている折伏の大事、心構え、振る舞いなどの御指南をしっかりと拝し、忠実に実践していくべきです。
その際、御法主上人猊下の「激励に優れる指導はなしと言います。広布の戦いのなかで、講中の人がお互いに言い励まして、激励して、一人も退転させることなく戦いを展開していくことが、いかに大事であるかを知るべきであります」(大日蓮・令和元年五月号)とのお言葉も、忘れないようにしたいものです。私達は、本年も一人が一人以上の折伏成就を目指し、協力し、互いに励まし合いながら、折伏活動に勤しんでまいりましょう。
○日如上人御指南
今、五濁悪世の末法の世相そのままの姿を映し出している混沌とした様相を見る時、私どもは折伏がいかに大事であるかを改めて認識し、講中一結・異体同心して勇猛果敢に折伏を行じていかなければなりません(中略)何しろ折伏を行ずることが第一であり、先決であることを確認し、折伏に打って出るようにして頂きたいと思います。(大日蓮・令和四年六月号)
□まとめ
立正安国論奏呈の月、総本山はもとより全国の末寺においても唱題行が執り行われています。私達は、〝唱題を欠いて折伏成就はなし〟と心得、僧俗一体の実践をもって、今こそ、折伏に立ち上がろうではありませんか。そして、一人ひとりが如来の使いとしての自覚と大御本尊への絶対の確信をもって、広布大願へ向けていよいよ精進してまいりましょう。
□住職より
7月6日(水)に新宿の大願寺にて、7月度広布推進会が開催されました。その折、妙光寺正道講の方による体験発表では、創価学会の謗法の害毒による現証の恐ろしさ、偽本尊の邪気と恐ろしさを自ら身をもって感じ、妙光寺を訪ねられ、無事、御授戒並に御本尊下付を受けられ、更に母親や弟もそれぞれ勧誡・御授戒を受けられたことを発表されました。その要旨については、広布推進会報にて拝読頂きたいと思います。
今新型コロナウイルスの感染が再び増加傾向にあります。当然、疫病に罹患することは恐いことであり、できれば感染したくないものであります。しかし、私たちはそうした、世の中の邪宗謗法の害毒によって起こる災禍を乗り越える為に、日々信心修行に励んでいるのであり、その信心に油断怠り、我見に執われた信行の実践では、なかなか思うような結果を伴うことはできません。
同じく広布推進会において、広説寺住職・阿部正教御尊師は、「御本尊を受持し奉り、不退の信仰を貫くことこそ、末法に於ける真実の如説修行の人であり、それが皆様方、新型コロナに負けず屈せずに、強盛な信行により乗り越えんとされる篤信の法華講員の方々である。但し、一口に受持といっても決して容易なことではなく、難にあえば退転しやすい。しかし、御当代日如上人猊下が、「我々は、むしろ喜んで難を受けるという決意をもって折伏に臨んでいけばよい」と仰せられるように、最大のピンチを罪障消滅の最高のチャンスと捉え、喜んで難を受けて更なる強盛な信仰により見事に乗り越えられ、不退転の信仰を貫いたならば、自らの過去の罪障が消え、現世は安穏に、後生は善処に生まれる大果報を賜わり、御臨終の刻には、大聖人が生死の中間に大白牛車に乗って迎えに来てくださるのであるから、臨終の夕べに至る迄、素直に根気よく継続して、この御法を持ち続けて戴きたい。さて、改めて、ここで確認しておきたいことは、法華講員だからといって、正しく大聖人の仏法を行じなければ、成仏が約束されているわけではない、ということ。御本尊に、正しい姿勢で、正しいお経とお題目をお供えしなければ、正しい功徳を賜わることは難しい。もし、功徳がいまだ微弱だと感じるならば、それは大聖人の仏法を正しく実践できていない証左。ならば、まずは勤行を見直し、さらに唱題をあげて、折伏をしっかりと実践し、「十四誹謗」を犯さぬご精進に努めていただきたい。さすれば、必ずや法界の不思議が顕現することを確信する」と御指導されました。
よって今大事なことは、いたずらにコロナ禍を恐れ信心まで自粛することが無きよう、寧ろコロナ禍によって悩み苦しんでいる方々、邪宗謗法の害毒によって苦しんでいる方々、それこそ親、兄弟、家族、そして縁する全ての方々を大聖人様の正法に帰依せしめて、歓喜と勇気を持って毎日の生活をお送り頂けるよう誘うことが重要であり、更に日々の信行実践の功徳によって迫り来る災禍を乗り越え、有意義な人生を送ることが肝要であります。その為には、一念発起して自らの信心姿勢を省みて、御本尊様から尊い御仏智を賜ることができる信心、諸天善神に守護頂けるような信心を心掛けることが肝要であることを肝に銘じ、特に今月は、今から762年前の文応元年7月16日に、宗祖日蓮大聖人様が時の権力者等に『立正安国論』を奉呈された月であり、正義を大きく顕揚された意義ある月であります。どうか、この大事な月に改めて、広布前進のためにも自らの信行増進を決意して、残すところ半年余りを有意義にお送り頂きたく存じます。