時 局 雑 感

 昨秋、一人のウクライナ人女性が妙眞寺に参詣されました。その方は、日本に在住し息子さんが、私の子供達が通っている小学校の卒業生でした。ちょうど、夕勤行の時に来られていて、お寺の雰囲気や長女が叩く太鼓の響きに感動され、「日本に来て色々なお寺をお参りしたけど、このお寺は他のお寺とは全然違う。本当に素晴らしい。気持ちが落ち着く」と片言の日本語で語られていました。

 それから半年余り、かのロシアによるウクライナ侵攻が始まり、そのウクライナ人女性が沢山のお盛り物を持ってお寺に参詣されました。おそらく、お寺とはどういう場所なのかを知って、そうしたお盛り物をお供えに来たのだろうと思い、すぐさま精霊台にウクライナ殉難者の位牌と御塔婆を建立し、お供え申し上げました。その女性のお参りは週に2、3回と、次第に精霊台のお供えが増えていきました。ある時、家内がその方とお話しし、ウクライナに親御さんや長男の方がいることがわかりました。更に長男は亡くなったかもしれないとのことで、その方は、どうしたら良いのか、どこに相談したら良いのかがわからず、非常に悩まれており、「5月になったらウクライナに行こうと思う」と話されていたそうです。

 私はこの事態に、どうすれば良いのか悩みましたが、まず家内が目黒区に相談すると、「在日ウクライナ人の方には基本的に何もできません」との回答で困り果て、ウクライナ領事館に連絡しても繋がらず、とりあえず次男のお子さんと同級生の親御さんに相談することにしました。たまたま私自身、過去にPTAの役員を2年、本年もPTA副会長を任されているので、いざ行動にでようとしたところ、偶然、その女性と知り合いの長女の同級生の親御さんと話す機会がありました。正に諸天の遣いのように感じられ、それからその親御さん、更に顔見知りの自由が丘住区の青少年事業部の部長さんと、私、家内の4人で事に当たることにしました。

 まずは、ウクライナ人女性がこれからどうしたいのかを聞くと、「とにかくウクライナに行きたい、その時は次男をお願いしたい」と頼まれました。しかしその後も、日増しに表情が暗くやつれていく姿を見て、やりきれない気持ちになりながらも、話を聞いてあげたり、状況を確認することしかできない状況でした。

 それから数週間が経過した今月8日、夕勤行を終えると先に庫裡に戻った長女が、本堂の片付けをしている私に、「早くこっちに来て」と言い、何事かと思い駆けつけると、ウクライナ人女性が、家内の作った夕飯のおかずを食べながら、リビングで家内と談笑していました。事の次第を聞くと、21歳になる長男の方は本年4月4日にキーウで亡くなり、お経をして欲しいと言うではありませんか。更に、普段お寺に来る子供たちに対し、お菓子やジュースをあげてと沢山持ってきてくださいました。

 私はすぐさま、その女性と私の家族全員でお経を行うことにしました。御焼香の仕方を教えてから、お経をはじめ、長女が太鼓を叩き、長男の方の追善供養の御回向を申し上げました。終了後、目に涙を浮かべながら、「ここは私の家です。本当にありがとう」と英語で話され、とりあえずその日はそれで帰られました。

 私は近いうちにその方に信心の話をして、必ず御授戒させて頂きたい、亡くなった長男の方の追善供養を共に行っていきたいと心に誓いました。

 今回の件で、お寺とは所嘱信徒の帰命依止の道場であると共に、地域の方々のいざという時の頼りになる場所でなければならないと、深く感じたところであります。その為には、日頃から地域の方々との交流を通じて、信頼を得ることが必要不可欠であり、御近所関係は特にそうではないかと思います。そうしたところから、折伏につなげて、地域広布を目指すことも住職としての使命と責務であり、決してお座なりにしてはならないことと思います。

 大聖人様は『米穀御書』に、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし」と仰せであります。どうか皆様も、この御教示をを肝に銘じ、最近希薄になりつつある御自宅近隣の皆さんや、自治会関連、お子さんお孫さんの学校関係の親御さんとの交流を通じて、折伏に繋がるような関係を構築できるよう、心掛けて頂きたいと存じます。