令和4年4月度 東京第二布教区広布推進会指導教師指導

 東京第二布教区各支部代表の皆さまには、新型コロナウイルス感染拡大中のなか、更に本年『報恩躍進の年』も新年度がはじまり何かとお忙しいなか、深信なる広布推進会への御参加、誠に御苦労様でございます。

 現在、コロナ禍となって3年目を迎え、更に昨今追い打ちをかけるように、ロシアによるウクライナ侵攻という戦禍、東北地方をはじめ日本各地での大地震等の災禍が、日本乃至全世界の人々を苦悩と混乱の渦へと巻き込み、多くの方々が嘆き悲しむような状況となっております。こうした時こそ、私たちは信心の原点に立ち返り、広布への使命と責務をもって自行化他の信心を奮い起こして、折伏弘教に全力を傾注し、正法広布へ邁進して大功徳を享受させて頂く時であると拝し、またその功徳利益をもって全世界の平和安寧と、あらゆる災禍を排除できるよう御精進頂きたく願います。
 さて、本年は寅年でありますが、今から24年前の平成10年、御先師日顕上人より1年間に亘り富士学林大学科において、「三大秘法義」の特別御講義を受講させて頂きました。その御講義のなかで、宗祖日蓮大聖人様が龍口の御法難において発迹顕本なされたお姿について、「この竜口の頸の座は、宗祖大聖人が前代未聞の法華経の行者として、何人も読むことのできえなかった勧持品の身読の実証であり、また身命を捨てる大事において法華経を行じ給う即身成仏の実証である。故に『開目抄』の、「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の國にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず」の文につき本宗相伝の本義より拝せば、この「魂魄」とは久遠元初自受用身の神である。すなわち「子丑の刻」とは、凡夫の日蓮の頸が刎ねられたことで、凡身日蓮の死の終わりであり、続く寅の刻は、久遠元初自受用日蓮の初めである。故に「魂魄佐渡国にいた」と示されたのである」とのテキストの御文について、日顕上人は、「丑寅の刻とは正に転機の時である。丑年から寅年となった本年、客殿が新築落慶され、更に本門戒壇の大御本尊様を御遷座申し上げ、正本堂を解体することに至ったのである。つまり、丑年から寅年は、陰から陽へと様々な物事が明らかになっていくと同時に、寧ろ私たち自らが変わらなければいけない時である(趣意)」と御説明されました。正に平成10年4月5日、新客殿落慶法要最終日、午後の法要において日顕上人は、「革進の年たる本年こそ、本門戒壇の大御本尊様を謗法の団体が与して建立された正本堂から御遷座し奉るにふさわしい年である」と御指南遊ばされ、法要終了後、ただちに大御本尊様を正本堂より改装された奉安殿へと御遷座されました。その後、平成14年宗旨建立750年の大佳節に奉安堂が新築落慶され、本門戒壇の大御本尊様が御遷座なされて以来、早くも20年の歳月が立とうとしております。
 そして本年「報恩躍進の年」にあたり、皆様方には二点ほど申し上げたいことがあります。一つは、現在もコロナ禍が打ち続いているなか、如何に折伏に励むべきかであります。
 折伏を成就する為には、広布への志を高く持ち、崇高な慈悲の境界に至るべく、全身全霊をもって唱題行を行うことが必要不可欠であり、そしていざ折伏を実践しようと思ったところ、折伏経験豊富な方はその功徳と歓喜のもと、あらゆる手段を講じて勇猛果敢に励むことができるでしょうが、なかなか思うようにできない方も少なくないと思います。特に今、コロナ禍での訪問折伏や街頭折伏も躊躇われる状況であり、ただ唱題行を行じて座して待っても折伏はなかなか進みません。ですから、具体的実践方途を御住職や折伏経験豊富な方々から、そのコツと言いますか、心掛けていることを学ぶことも必要ではないでしょうか。また、最近希薄となっている御近所付き合いや自治会活動、お子様を持たれている方は幼稚園や小中学校の親御さんとの交流を通じて、人脈を広げて地域社会に溶け込み、あらゆる方々から信頼され慕われるような人格を構築し、またその信頼を失わないよう、日頃の御自身の発言、行動には充分注意することも肝要であります。
 そして、そうした方々から色々と相談を持ち掛けられるような信頼関係を築き、臆する事無く下種していくこと。できれば寺院にお連れし、その良き清気清風に触れて頂き、娑婆世界の毒気に汚された命を浄化矯正させて頂く御本尊様のお力を、直接身心に感じて頂くことも肝要なことであります。そうした実践を繰り返し行じていくと、自ずと必ずそこに御本尊様のお力添えと諸天の御加護が生じてくると思います。そこのところを確信し地道に精進していくことが折伏成就への一つの秘訣となってくるのではないでしょうか。
 私の次女の話になりますが、今月6日に小学校へと入学し、下校の際は1年生が各方面グループとなって教職員の先生方が付き添って下さり、我が家はそのグループの一番最後になりますので、有り難くも玄関まで先生にお送り頂いております。丁度先週の木曜日、先生と共に帰宅した娘が山門の前でお題目を三唱すると、その先生も一緒になって手を合わせて三唱している姿を、たまたま家内がモニターで見ておりました。その後、娘に先生と一緒に三唱したのと聞いてみると、「ちょっと恥ずかしいから、小さい声になったけど、一緒にしたよ」と言っており、こうした形でも子供なりの妙法の下種結縁の姿になっているのだろうと感慨深く思ったところであります。とにかく、私たちはあらゆる場面で、妙法の下種結縁の機会が必ず訪れると思います。その機会を逃さないためにも、日頃からその気概と準備をしておくことが大事ではないでしょうか。
 妙眞寺支部におきましては、一つの試みとして、より一般世間の方々の目線に立った、下種折伏に必要な配布物を作成しようと考え、新入信者から意見を集め、それをもとにして、日蓮正宗とその教えについて、よりかみ砕いた内容の小冊子を作り、宗務院布教部の許可を得て、講員各位に活用できるよう用意致しました。現在、この小冊子を大量に印刷し、すぐさま簡単に手渡せるよう、講員各位には随時携帯するようお願いしております。どうか皆様には、如何に折伏に励むべきかを創意工夫し、1人ひとりが折伏成就できるよう御精進頂きたく存じます。
 さて、二つ目に、法統相続を確実に行っていくことの大事であります。大聖人様は『聖人御難事』に、「我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はをそるゝ心なし」と仰せのように、元来世間の人々は仏様が説かれる正法を信ぜず蔑ろにし、目先の欲得に心を奪われ執着し、遠き将来のことを考えず、今目の前にある現実ばかりを直視しがちであり、突如として諸難困難を迎えた時、現実に打ちのめされ悩み苦しむ姿、更に臨終が近づいた時、初めて死の恐怖を感じ右往左往するような姿があります。
 御先師日顕上人は、「親が本当に子供の幸福を思うならば、大聖人様の仏法の信心を、命を懸けて教えていくということが一番に大切だと思うのであります。これをおろそかにしている人が、わりに多いように思います。背いておる子供、孫の姿、これは全部、自分の信心の姿を表しておるのであるということを深く考えられるならば、この一瞬から本当に御祈念をされることが大切であります」と御指南されております。今こそ、各支部の将来を担う少年部の育成に積極的に取り組み、少年部の親御さんと密に連携が取れるよう、少年部長さんを初め、支部を挙げて少年部の育成に取り組む必要性を、真剣に捉え実行して頂きたく存じます。
 また、世界的なことわざとして、「木を見て森を見ず」と言う言葉があります。これは目先の物事に心を奪われ、我意我見に執着し、非常に狭い視野となり全体像を掴めない状況、小さなことに執われ本来見るべき物事の本質、来たるべき未来に目を向けないことを意味します。つまり、私たちが今心得るべき大切なことは、未だ猛威を奮っているコロナ禍に対しいたずらに恐れおののき、信行の実践まで自粛することがないよう、10年、20年先を見据えた今出来うる最大限の精進と、新入信者や宗門の未来を担う少年部の育成にあると思います。どうか、コロナ禍の今こそ各支部少年部育成に関して、各支部指導教師の御指導のもと、地方部内各支部互いに情報交換し、他支部の活動状況を参考にするなど、あらゆる手段を講じて真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。
 どうか皆様には、新型コロナウイルスの感染拡大や様々な自然災害等は、御本尊様からの私たちへの試練であると意得て、決して怖じず怯むことなく、いまこの時を鑑み末法唯一無二の正法正義が大きく広まり前進し、1日も早く宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念登山をさせて頂く事ができるよう意を決して、いよいよの信行倍増、福徳増進を心より御祈り申し上げ、指導教師指導とさせて頂きます。本日は誠にご苦労さまでございました。