牛の証人(令和4年3月)
牛 の 証 人(うしのしようにん)
令和4年3月 若葉会御講
むかし、インドのある村に、1人の心やさしい青年(せいねん)が住んでいました。青年の両親(りようしん)はすでに亡(な)くなり兄弟(きようだい)もおらず、ひとり寂(さび)しく暮(く)らしていました。毎日、山に行っては木を切り、その木を薪(たきぎ)にして、町へ行って売りながらひっそりと生活していました。
ある日のことです。青年は、町へ行った帰りに、畑のあぜ道で休んでいました。すると、ひとりのおじいさんが畑を耕(たがや)していました。青年はそのおじいさんに、「1人でこの広い畑を耕して大変ですね。誰も手伝う人はいないのですか?よかったらボクが手伝いましょうか?」と尋(たず)ねると、おじいさんは、「それはありがたい、ちょうど疲(つか)れたところだから助(たす)かるよ」と言って、青年に鍬(くわ)を渡しました。青年はさっそく畑を耕して、夕方鍬を返しにおじいさんの家に行きました。そこには、ずいぶんと汚れた牛小屋(うしごや)があり、青年はついでだからといって、牛小屋もきれいに掃除(そうじ)してあげました。
おじいさんは、畑を耕してくれたうえ、頼(たの)みもしないのに牛小屋の掃除までしてくれた青年をとても気に入りました。そこでおじいさんは青年に、「今日はどうもありがとう。よかったら夕食を食べていきなさい」とさそいました。おじいさんは食事のあと青年に、「君はよく働くし、まじめだし、とても感心したよ。実は君のような青年を探(さが)していたんだよ。どうかね、この家でずうっと働いてくれないか。家には跡取り息子(あととりむすこ)がいないので、時期を見てわたしの娘と結婚させても良いと思っているんだが、どうかね?」と言いました。
青年は夢のような話にビックリしました。自分はもともとひとりぼっちだし、裕福(ゆうふく)でもないし、お嫁(よめ)さんをもらえるなんて思ってもいませんでした。そんな自分を婿(むこ)にしてくれるなんて、こんな良い話はないと思いました。青年は「願ってもないことです。ぜひそうさせて下さい」と、すぐに返事をしました。次の日から青年は、おじいさんの家で生活することになり、朝早く起きて牛小屋の掃除から牛の世話、そして畑に出ると日が暮れるまで一生けんめい働きました。そして、今までおじいさんが手をつけることができなかった土地まで耕し畑にしました。そして、この家には、大きくておとなしい、よく仕事をする牛と、小さくてなまけものの牛がいましたが、わけへだてなく面倒をみるので、2頭とも青年になつくようになりました。
田植えも無事にすんだある日、青年はおじいさんに、「娘さんとの結婚はいつお許しいただけるのですか」と尋ねると、「ああそうだね」と、おじいさんは答えましたが、あまり気のりのしない返事でした。実はおじいさんは、結婚の話をまだ奥(おく)さんや娘(むすめ)さんに言っていなかったのでした。おじいさんは早速(さつそく)その話を奥さんと娘に、「あの青年は私が見込んだ男で、この家で働いてもらっているのだが、娘と結婚してもらいこの家を継いでもらおうと思っているのだが、お前たちはどうかね?」と尋ねました。すると娘は「はい、わかりました。よろこんで結婚します」と言いましたが、奥さんは「どこの馬の骨(ほね)ともわからない男に、大事なかわいい娘をやれません。そんな約束をしたのなら、すぐにあの青年に家から出て行ってもらいましょう」と言いました。おじいさんは、「そんなことを言っても、あの青年が出ていったら、またひとりで大変な思いをして畑を耕さなくてはならない。少しは私のことも考えてくれ」と言いました。しかし、奥さんは「結婚はぜったいに反対です」と承知(しようち)しませんでした。
おじいさんは仕方(しかた)がないので、青年に「婚礼(こんれい)の時には米がいる。秋の米の収穫(しゆうかく)まで待ってほしい」と言いました。そして、秋になり米が収穫されると今度は、「婚礼には砂糖(さとう)がいる。さとうきびが取れるまでもう少し待ってほしい」と言いました。そして、さとうきびが取れると今度は、「婚礼にはパンがいる。小麦が取れるまで、あともう少し待ってくれ」と言いました。冬になり小麦が取れると、もう米が無くなってしまったから、来年の秋の収穫まで待ってほしい」と言い、いつまでたっても娘さんと結婚させてくれません。さすがに青年も、すべての作物(さくもつ)が1度に取れることはありえませんので、おじいさんは娘さんと結婚させる気がないのだと気づきました。
ある日青年は、約束を守ってもらえないことにがっかりして、かわいがっていた牛たちに、おじいさんが約束を破ったことを話しました。すると大きな牛が、「では私は証人(しようにん)になりましょう。お役人(やくにん)さまに話して下さい。おじいさんの約束が本当であることの証明をするために、おじいさんが約束を守るまで、私は食事を与えられても食べません」と言いました。とつぜんの牛の言葉にはビックリしましたが、牛の励ましで心強くなった青年は、お役人に訴えました。お役人はおじいさんに、「そのような約束はしたのか」と尋ねると、おじいさんは「そんな約束はしていません」とウソをつきました。すると青年は、結婚の約束は「この大きな牛が証明してくれます」と言って、1週間何も食べなかったので、ガリガリになってしまった牛を連れてきて言いました。青年は「お役人さま、この牛はおじいさんが本当のことを言うまでエサを食べないでしょう」と言い、その話を聞いたおじいさんはビックリして、ウソがばれては大変だと、牛の頭を押さえつけて無理やりエサを食べさせようとしましたが、牛はエサを食べないばかりか、おじいさんの手を頭ではらいのけ、頭を上に向けました。お役人はこの姿を見て、「ガリガリになって、おなかをすかした牛がエサを食べないばかりか、そのことを証明するために天を何回もあおいでいるではないか。これはどういうことかね」とおじいさんに言い、「この青年と娘さんとの結婚の約束をしたのなら、その約束は必ず守りなさい」と、おじいさんに言い渡しました。そして、ようやく青年は大きな牛の証明と、お役人の力添えによって、約束通り結婚することができ、かわいい奥さんと力を合わせて幸せに暮らしていきました。
みなさん、今日のお話はどうでしたか?この話から、お年寄り、体の不自由な人、助けを求めている人には積極的(せつきよくてき)に助けること、私たち人間も動物も同じ命を与えられているのですから、この世の生き物すべてをわけへだてなく大切にしなければいけないこと、そして1度結んだ約束は必ず守り、決して自分の都合で勝手に約束をやぶってはいけないこと、またウソをついたり人の心を軽(かろ)んじてはいけないことを教えられています。
世の中では、「天知る、地知る、我(われ)知る、人知る」という言葉があります。これは、「どんなことも天にいる善神の方々やあらゆる草木などの自然、自分自身は当然のこと、誰かしらが見聞きしているのであり、決して隠し事をしたり悪いことをしたり、結んだ約束を無かったことにしようとしても、必ず明らかになってしまうこと」を言っています。
仏さまの教えでも、善い行いをすれば善い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が待っているという、善因善果悪因悪果が説かれており、ましてや、御本尊さまは私たちの毎日の様子すべてを常にご覧になっていますから、信心を行っている人もいない人も、隠しごとや、隠れて悪いことをしても、いつしか必ず明らかになっていきます。また、そうしたウソをついらり、ごまかそうとする心を持っていると、自然と自分自身の顔や体にも罰(ばち)となって現れてきます。そして、ついには周りの人から避(さ)けられ、離(はな)れていってしまい、自分の幸せも逃げていってしまいます。皆さんはそうしたことがないように、ワガママな心を無くし、正直ですべての人に分け隔(へだ)てなく常に優しく、思いやりの気持ちをもって接し、困った人を進んで助けられる人になれるよう、毎日心掛けていきましょう。