身の病と心の病(令和4年2月)

身の病と心の病

令和4年2月 若葉会御講 

 むかし、インドの舎衛国(しやえいこく)にお釈迦(しやか)さまの弟子でシュダッタという人がいました。そのシュダッタの親友(しんゆう)にコウセという、お金持ちで地位も名誉も人徳もある長者(ちようじや)がおりました。しかし彼は自分の生き方に自信をもっているので、仏さまの教えを素直に信じることができませんでした。
 そんなコウセが、あるとき重病(じゆうびよう)にかかって寝込んでしまいました。コウセは、これはもう寿命だからしかたがないとあきらめていました。だから彼の病気を心配して見舞いにきてくれる親類、兄弟、友人たちが、「医者に診(み)てもらって病気をなおしてください」と言っても、医者に行こうとはしませんでした。このように、みんなが困っているところへシュダッタが見舞いにきました。コウセは親友のシュダッタの言うことだけは何でもよく聞くので、みんなはシュダッタに望みをたくしました。
 コウセはシュダッタを見て、「自分は今まで朝には太陽に手を合わせ、夕方には月に手を合わせ、先祖をうやまい、両親には孝行を尽くし、主人には忠義(ちゆうぎ)を尽くし、勉学に励んできた。だから妻子や家臣たちには自分の生き方に何の後悔もしていないし、これで死ぬなら、本望だと言っているんだ」と言いました。
 シュダッタはコウセのやせた手を握って、「君の信念はわかる。しかし僕は君に元気になってほしい。僕がお仕(つか)えしているお釈迦さまは功徳のある方で、今までに何人もの人が元気になり、病気も治っている。だから君もぜひお会いしてお説法(せつぽう)をお聞きしてみたらと良い思うよ。寿命だとあきらめないで、勇気を出して生きぬくことを考えようよ」と励(はげ)ましました。ついにコウセは親友の熱意に打たれ、お釈迦さまにお会いすることを約束しました。
 お釈迦さまはコウセの招きで、弟子とともにコウセの家までやってきました。コウセはお釈迦さまの身から光明が放たれているのを見て、その神々(こうごう)しさに思わず、正座して手を合わせました。コウセは、「仏さま、今日はわざわざ私のためにお越しくださり、本当にもったいないことです。ありがとうございます。私は常に日月をうやまい、先祖や父母をうやまい、忠孝を尽くし、自らの道に精進してきました。そして、たとえ病気になっても神仏(しんぶつ)や医者に頼らないで、身をつつしめというのが我が家(や)の家訓(かくん)です。このたび親友の紹介で仏さまにお会いすることができましたが、私の生き方は間違っているでしょうか」とお釈迦さまにお聞きしました。そこでお釈迦さまは病についてコウセに対し、「人がせっかくこの世に生まれても、横死(おうし)(人生の目的を達せないまま死亡すること)したら何にもなりません。その横死に3つあります。1つに病気になって治療しても治らないまま死んでしまうことです。2つめは、病気が治って健康になっても、その身を慎まないで、粗末にすることです。3つめは、正邪(せいじや)もわきまえず、欲望の心のままに身勝手な行動をすることです。そのような身の病、心の病の人はたとえ太陽や月をうやまい、先祖を敬っても、それだけでは救われないのであり、その病は治らないのです。病気を治すためには正しい道を明らかにすることが大事です。その道とは、第1に身体の病には医薬を用いて治すことです。熱さ、寒さに注意し、暴飲暴食にも注意しましょう。第2に賢人、聖人(しようにん)に仕え、困っている人がいたら必ず助けること、すべての生き物にも愛情をもって、自分さえよければいいということではなく、常に多くの人の幸せを祈り、物事に感謝して、いろいろな障害も知識と智恵をみがいて乗り越える努力をしましょう。第3には多くのよこしまな悪鬼(あつき)、悪知識(あくちしき)、邪義(じやぎ)などに対しては、正しく仏法を信じて、仏道の修行をもってこれを退治していきましょう」と説いて聞かせました。
 そしてまた、お釈迦さまはコウセに、「光明を求めて太陽を拝(おが)み、両親には恩を感じて孝行(こうこう)を尽くし、主人には忠義を尽くし、師匠(ししよう)にしたがって本当の道を知るのである。また命をながらえるためには医術を用(もち)い、善行を積めば徳はまさる。知識を得るのは聞くことによって得られるのである。妻子や兄弟や友を幸せにし、家庭の安楽は妻によって得(え)ることができる。戒律(かいりつ)を守り、正法(しようぼう)を受けたもてばすみやかに心の安らぎを得られる。欲望(よくぼう)と怒(いか)りの心をなくせば、すぐに心は安穏(あんのん)になるであろう。あなたはすみやかに正法(しようぼう)の師に仕えるべきである。身の病(やまい)は良医の治療(ちりよう)にまかせ、心の治療は仏の教えに従(したが)うべきである」と、わかりやすく話されました。コウセは、お釈迦さまのお話を素直に聞くことによって、曇(くも)った空が晴れるように、心がはればれとしました。すると心も体も軽くなり、なんだか力がみなぎってきて、ついに床(とこ)から起きあがることができました。
 それからのコウセは、生きる勇気が出てきて、仏さまに仕え、家も栄え、妻子、友人、また、あらゆる人びとの幸せを祈り、仏道修行(ぶつどうしゆぎよう)に精進(しようじん)する人生を歩むことができるようになりました。コウセは、彼なりに一生懸命努力して、正しい人生を歩んできたと信じていましたが、それはまだ自分の心が中心で、それだけを信じてきましたので、煩悩の悩みとまよいの心を解決することはできませんでした。
 信仰とは、自分の心や人生を、御本尊(ごほんぞん)さまにおまかせする、従っていくということです。ですから、日蓮大聖人(にちれんだいしようにん)さまや御法主上人猊下(ごほつすしようにんげいか)さまのお言葉の通りに、毎日の勤行や唱題を行って、自分の祈りや願いを叶(かな)えることができるよう努力することが大事なことで、もし周りに困ったり悩んだりしている子がいたならば、勇気を出して、大聖人さまの信心の話を伝えてあげることも大事なことです。
 そして、信心するうえで「ほうれんそう」の信心をしていこうということも大事なことです。「ほう」は報告(ほうこく)、「れん」は連絡(れんらく)、「そう」は相談(そうだん)です。なにごとも自分だけで判断せず、何か迷うことがあったり悩むことがあったら、必ずお父さんやお母さん、住職さんや信心している友達に、「報告し、連絡し、相談してものごとを進めていこう」ということです。つまり、毎日の生活を信心と共に正しく送っている人との心のかよい合いがあれば、コウセのように自分自身のかたよった考え方にとらわれず、正しい信心をして仏さまから尊い智慧を頂けるということです。
 皆さん、「報告、連絡、相談」という、「ほうれんそう」の信心、生活ということは、自分をみがき、成長させる生き方であるということを知り、今世の中はコロナ禍で大変な状況ですが、こうした時だからこそ、御本尊さまに守られるように、毎日の勤行や唱題、そして毎日やるべきことをしっかり行っていき、いつしか自分の夢や希望が叶えられるよう、御本尊様にお題目を唱えて祈っていきましょう。