御報恩御講(令和4年1月)
令和四年一月度 御報恩御講
『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』 文永十年八月十五日 五十二歳
師(し)子(し)王(おう)は前(ぜん)三(さん)後(ご)一(いち)と申(もう)して、あり(蟻)の子(こ)を取(と)らんとするにも、又(また)たけ(猛)きものを取(と)らんとする時(とき)も、いき(勢)をひを出(い)だす事(こと)はたゞをな(同)じき事(こと)なり。日蓮守(しゅ)護(ご)たる処の(ところ)御(ご)本(ほん)尊(ぞん)をしたゝめ参(まい)らせ候(そうろう)事(こと)も師(し)子(し)王(おう)にをとるべからず。経(きょう)に云(い)はく「師(し)子(し)奮(ふん)迅(じん)之(し)力(りき)」とは是(これ)なり。又(また)此(こ)の曼(まん)荼(だ)羅(ら)能(よ)く能(よ)く信(しん)じさせ給(たま)ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如(ごと)し。いかなる病(やまい)さは(障)りをなすべきや。鬼(き)子(し)母(も)神(じん)・十羅(じゅうら)刹(せつ)女(にょ)、法華経(ほけきょう)の題(だい)目(もく)を持(たも)つものを守(しゅ)護(ご)すべしと見(み)えたり。(御書六八五㌻六行目~九行目)
【通釈】師子王は前三後一といって蟻の子を取ろうとする時も、また獰猛な獲物を取ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。日蓮が、守護の御本尊を認めることも師子王に劣ることはない。経に「師子奮迅之力」とあるのはこれである。またこの曼荼羅(御本尊)をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようである。いかなる病も障りをなすことができようか。鬼子母神・十羅刹女は、法華経の題目を持(たも)つ者を守護すると経文には見えている。
【拝読のポイント】
〇御本尊の大功徳
大聖人は本抄において、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」(御書六八五)と仰せられ、御本尊には御本仏大聖人の御法魂が込められていることを明かされています。ゆえに御本尊の功力は絶大であり、拝読の御文に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」と、御本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目を唱えるならば、いかなる病や苦悩も平癒し、解決できることを教示されています。
このように御本尊に具わる功徳は無量無辺ですから、本抄に「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」(同)と仰せのように、どのような困難が目の前に立ちはだかろうとも、私達は御本尊への信心を一層強固にし、唱題を重ね、しっかり御祈念し、いよいよ活気と歓喜に満ちた日々を送ってまいりましょう。
〇師子吼をもって折伏戦に挑もう
大聖人が謗法を呵責する音声は、すべての獣が恐れをなす「師子吼」そのものでした。また門下に対しても、大聖人は「各々師子王の心を取り出だして、いかに人をど(嚇)すともを(怖)づる事なかれ(中略)日蓮が一門は師子の吼ゆるなり」(聖人御難事・御書一三九七)と仰せられています。
今、世間の人々は、長引くコロナ禍や異常気象に起因する災害、後を絶たない凶悪事件等により、心も体も疲弊しています。しかし、これらの災難と不幸の原因が謗法の害毒にあることを知る私達が、世間の風潮に流されて折伏の手を止めてしまったならば、いったい誰が苦悩に喘ぐ人々を救っていくというのでしょうか。中国の古典にも「已(や)むべからざるに於て已む者は、已まざる所無し(やめてはならない所でやめる人間は、何をやっても中途半端なことしかできない)」(盡心章句上)とあります。
大聖人は『兵衛志殿御返事』に、「すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ」(御書一一六六)と御教示です。私達は、大聖人の折伏弘教の精神をわが身に体し、どのような相手にも臆することなく、いかなる時も弛むこともなく、勇猛果敢に破邪顕正の折伏を実践してまいりましょう。
○日如上人御指南
悪世末法の世相そのままに、謗法の害毒によって混沌とした現状を見る時、この窮状を抜本的に救済するには、私ども一人ひとりが断固たる決意と勇気を持って折伏を行じ、もって不幸と混乱と苦悩の原因たる邪義邪宗の謗法を対治し、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに妙法広布に挺身していくことが、今、最も急務であると知るべきであります。どうぞ皆様には、このことをしっかりと胸に刻み、一天広布を目指し、講中一結して折伏を行ぜられますよう心からお祈りいたします。(大日蓮・令和三年十二月号)
□まとめ
「報恩躍進の年」を迎え、決意を新たにし、全力でスタートを切る時です。恒例の一月唱題行に進んで参加いたしましょう。本抄の「但し御信心によるべし」(御書六八五)とのお言葉のとおり、あらゆる物事の成否は自身の信心によるのであると決意し、日々の唱題に励み、誓願目標達成に向け、さらなる折伏行に邁進していこうではありませんか。
□住職より
このところ、新型コロナウイルスの蔓延、異常気象や天変地夭他、悲惨な事件事故が後を絶ちません。当然、こうした災難悪果の原因は邪宗謗法の害毒をはじめ、世の中の人々の三毒煩悩による五欲への執着をはじめとする、人心の荒廃によるものと拝すべきであります。
よって私たちは、「自身の満足、目先の欲得」ではなく、「明日は我が身、今こそ自他の幸福を」と拝しつつ、我意我見に執着することなく、我執を破して、慢心を起こすことがないよう心掛け、大聖人様の御意に適った信心を全うすべきであります。特に、毎月の御法主日如上人猊下の御指南を拝し、今為すべき大事を汲み取り、御本尊様からお褒め頂けるような信心に住した時、自ずと境涯が無限に開けてくるのであります。
大聖人様は『十字御書』に、「法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし」と仰せのように、私たちは幸福を万里の外より集むべく、また日々の弛まざる信心によって、朝な夕なに勤行唱題し、その功徳をもって平穏無事な毎日、その1日1日を送れることに、心から感謝申し上げ、更なる信行の実践に励むことが至極大切なことであります。
今、世の中には一つの財を成すなり、継承して豊かな人生を送る方、努力が実を結び、才能を開花させ広く世の中にその名を馳せる方、将又、コロナ禍によって苦難を被っている方、物事がうまく進まず困難を迎えている方、それぞれ、悲喜こもごも、目まぐるしく喜怒哀楽、有為転変する日々を送っている人々の姿を見ていると、地位や名誉を求め奔走する方々、あらゆる欲望を貪り、倫理常識の道を踏み違えてしまい、自分こそが正しいと思い違いをしている方々の多さに、心を痛めるばかりであります。
そうしたなか、私たちはそれぞれ宿世の因縁によって平等にその果報を受けているわけですから、今後の未来乃至未来世の果報を善果へと転じ、あらゆる諸難困難を克服して、かけがえのない尊い人生を構築するためにこそ、末法唯一無二の正法正義に帰依し、精進していく行業が必要になることは当然であります。
私たち日蓮正宗の僧俗は、大聖人様や御釈迦様が仰せのように、与えられた人生をいかに生きるかを考え、仏道修行を修して正しい人生を歩み、苦渋の決断を迫られる時、三障四魔の用きに心揺さぶられる時、過去世からの因縁宿習に悩まされる時もあろうかと思いますが、どこまでも御本尊様の仏力法力を確信し、御自身の信力行力を持って四力成就する時、必ず解決の道が開けてくるのが、仏法で説かれる尊い慈悲の御教えであります。
そこをしっかりと掴み取り、大聖人様が『日厳尼御前御返事』に、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮がとがにあらず」と御教示の通り、志、目標を持った人生とその成就のために、1年1年、瞬く間に巡りゆく日々を、仏道修行を行じて無始已来の罪障を消滅し、宿業打開していく為にも、日々努力精進することが信心修行の醍醐味であり、功徳利益の現証を自らの生活に顕すことができるよう願って止みません。そして、更なる崇高な境界を目指して、万人から慕われ愛され信頼されるような人格を構築して、破邪顕正の信心に住し、大聖人様の御遺命たる広宣流布に向かって、微力なりともそのお手伝いをさせて頂くべく、勇猛果敢に折伏の実践を行うことが今もって肝要なことであります。
どうか、本年も昨年同様コロナ禍に紛動されることなく、愈々強盛なる御信心に住し、その状況に応じつつ、総本山への御登山をはじめ、寺院参詣、寺院行事へ御参加なされ、世情の動向やメディアの情報にその身心が流れ乱されることなきよう、物事を正しく見極め、価値ある有意義な1年をお送り頂きたく存じます。