羅刹女(令和3年9月)

               羅 刹 女(らせつによ)

                              令和3年9月 若葉会御講        

 むかし、下野国(しもつけのくに)(現在の栃木県(とちぎけん))に法空(ほうくう)という僧侶がおりました。はじめは、奈良の法(ほう)隆寺(りゆうじ)で仏教を学び、法華経(ほけきよう)の教えを信じ修行するようになりました。毎日、昼夜(ひるよる)3回ずつ法華経を読経(どきよう)し、修行に励んでいました。
 ある時、法空は仙人(せんにん)の道を極(きわ)めようと決心し、法隆寺を出て生まれ故郷(こきよう)である下野国に帰り、山々をめぐり修行を重ねていました。ある日、山奥の山中に古い仙人の洞窟(どうくつ)があることを聞き、法空は山中(さんちゆう)をさまよい、ようやくその洞窟にたどり着きました。その洞窟は、五色(ごしよく)のコケでおおわれ、床(ゆか)はまるでジュウタンを敷(し)きつめたようで、周りもコケでおおわれていました。
 法空は仙人の修行をするにはもってこいの所だとすっかり気に入り、この洞窟で修行することにしました。「これこそ、私が生涯(しようがい)にわたって仏道修行していくにふさわしい場所だ」と、法空は1日中その洞窟にこもり、法華経を読経し修行していました。
 法空がその洞窟で修行し始め数年がたった頃、1人の美しい女性が現れ、おいしそうな食べ物を法空に御供養(ごくよう)しました。法空はとつぜんやってきた女性にビックリし、何か化(ば)け物の化身(けしん)だろうかと思い、恐る恐るその食べ物を頂きました。すると、今までに食べたことのない、とてもおいしい食べ物でした。
 法空はその女性に、「大変ごちそうになりました。お陰(かげ)で力がわきました。ところで、あなたはいったいどこのどなたで、なぜこの洞窟においでになられたのですか?」と尋(たず)ねました。するとその女性は、「私は人間ではなく、羅刹女(らせつによ)です。あなたが長年にわたって『法華経』の教えを修行されたので、その功徳(くどく)によって私はあなたをお守りし、お仕(つか)えするためにここに使わされたのです。どうか、心安らかに『法華経』の修行を続けて下さい。あなたをお守りすることが私の使命であり、役目でありますから、どうぞ御心配なく」と答えました。
 法空はその言葉を聞いて、とてもうれしく、有り難く思いました。そして、ますます法華経の修行に励みました。やがて、その洞窟の前には、熊や鹿、猿などの動物たちがやってきて、法空の『法華経』の読経を聞いていました。
 そんなある日のこと、諸国の霊場(れいじよう)をめぐり歩く修行僧であった、良賢(りようけん)という1人の修行僧が山中をさまよい歩き、どこからともなく聞こえる法華経を読経する声を頼(たよ)りに、その洞窟の前にやってきました。良賢は他の動物たちと一緒に正座し、両手を合わせてじっと読経が終わるのを待ちました。
 法空は、十数年ぶりに見る人間の姿にビックリしました。良賢は、「私は修行僧です。道に迷ってしまい、お経の声に導かれてここにやってまいりました。それにしても、この山奥にお聖人(しようにん)さまのような尊いお方が修行されているとは思いもしませんでした。私は今日からお聖人さまにお仕えします。どうぞよろしくお願いします」と法空にお願いし、法空も了承(りようしよう)しました。
 こうして良賢が法空に仕えるようになり、数日が過ぎました。良賢は、毎日法空に食べ物を御供養する美しい女性を見て、不思議でなりませんでした。「お聖人さま、こんな山奥まで毎日食べ物を御供養しに来る、あの美しい女性はどなたなのですか、どこから来られるのですか?」と法空に尋ねると、法空は「私もどこから来られるのかはわかりません。ただ毎日『法華経』を読経するのを尊く思い、毎日お食べ物を供養して下さるのです。ありがたいことです」と答え、本当のことは教えませんでした。
 良賢は、その女性が法華経を修行する人を守る羅刹女であるとは思いもしませんし、ましてや、法空が法華経の教えを修行することによって、羅刹女に守られていることさえ、わかりませんでした。良賢は、「きっと、あの女性はどこかの里の人で、お聖人さまに好意(こうい)を抱(いだ)いて、こうして毎日食べ物を届けるのだろう。私もあの女性から好意をもってもらいたいものだ」と、法空のもとで真剣に修行しようという最初の目的を忘れ、だんだんその女性に心を奪(うば)われるようになりました。
 羅刹女は、この良賢の心を察知(さつち)して、法空に「汚(けが)れた心の者がこの清浄(しようじよう)な修行の場所におります。すぐにその者の命を断とうと思います」と言いました。すると法空は、「この清浄な場所で人を殺(あや)めてはなりません。命だけは助けて人里に追い返した方がよいでしょう」と羅刹女に言い、羅刹女は法空の言葉に従い、美しい女性の姿から本来の恐ろしい鬼神(きじん)の姿に戻り、良賢をつまみ上げ空を飛んで、歩けば何日もかかる山道を一瞬にして下り、人里の村へ投げ捨てました。
 あまりの恐ろしさに気を失った良賢は、しばらくして息を吹き返し、「法華経守護の羅刹女に対し、私はよこしまな汚らわしい心を起こしてしまった。何と愚かなことか」と深く反省し、それよりは自分の欲望(よくぼう)の心を断って、一心不乱に法華経の教えを信じ修行に励みました。
 大聖人さまは、「南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し。いかなる病(やまい)さはりをなすべきや。鬼子母神(きしもじん)・十羅刹女(じゆうらせつによ)、法華経の題目を持(たも)つものを守護(しゆご)すべしと見えたり」、「人の心かたければ、神のまぼり必ずつよしとこそ候(そうら)へ。是(これ)は御(おん)ために申すぞ。古(いにしえ)の御心ざし申す計(ばか)りなし。其(そ)れよりも今一重強盛に御志(おんこころざし)あるべし。其の時は弥々(いよいよ)十羅刹女の御まぼりもつよかるべしとおぼすべし」と仰せになられています。
 法華経のお経典には、法華経の教えを修行する人を守ると誓(ちか)った諸天善神(しよてんぜんじん)が沢山説かれています。羅刹女もその1人で、法空のように真剣に法華経の教えを修行し、毎日羅刹女に守られるようになりました。私たちも毎日、御本尊さまに真剣に勤行・唱題して、コロナ禍やいざという時、そうした諸天善神に守られるような信心修行を行って参りましょう。そうした姿を御本尊さまや諸天善神が常に見られています。
 世の中には、楽をして暮らそうとしている人や、悪いことを考える人、誤った宗教の教えを信じて、不幸になる人が沢山います。ですから、私たちがそうした人たちを大聖人さまの教えに導けるように、お父さんやお母さんたちと力を合わせて、近所の人やお友達、親戚など、縁ある人に大聖人さまの尊い教えと、「この教えを信じるとあらゆる本当の神さまたちに守られるようになります」と言えるようになりましょう。

住職より

前の記事

コロナ禍での信心⑧
住職より

次の記事

コロナ禍での信心⑨