御報恩御講(令和3年6月)
『四条金吾殿御返事』 弘安二年十月二十三日 五十八歳
いかに日蓮いのり申(もう)すとも、不(ふ)信(しん)ならば、ぬ(濡)れたるほ(火)くち(口)に火(ひ)をう(打)ちか(掛)くるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に(ごうじょう)信力(しんりき)をい(出)だし給(たま)ふべし。すぎし存 命(ぞんみょう)不思議(ふしぎ)とおもはせ給(たま)へ。なにの兵法よ(ひょうほう)りも法華経(ほけきょう)の兵法を(ひょうほう)もち(用)ひ給(たま)ふべし。「諸(しょ)余(よ)怨(おん)敵(てき)皆(かい)悉(しつ)摧(ざい)滅(めつ)」の金言(きんげん)むなしかるべからず。兵 法(ひょうほう)剣 形(けんぎょう)の大(だい)事(じ)も此(こ)の妙法よ(みょうほう)り出(い)でたり。ふかく信心(しんじん)をとり給(たま)へ。あへて臆病に(おくびょう)ては叶(かな)ふべからず候。(そうろう)
(御書1407頁一4行目~1408頁2行目)
【通釈】いかに日蓮が祈っても、(あなたが)不信であるならば、濡れた火口に火を打ちかけるように(叶わなく)なるであろう。よって、心して励み、強盛な信力を出すべきである。これまで存命であったことを不思議と思いなさい。いかなる兵法よりも法華経の兵法を用いるべきである。「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言が空しくなることはない。兵法・剣形の大事もこの妙法から出ているのである。深く信心を取りなさい。臆病であっては(何事も)叶わないのである。
【拝読のポイント】
〇不信を誡め、信力・行力を奮い起こそう
私達の成仏にとって最も大切なのは、御本尊への絶対信です。ですから、拝読の御文においても「いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし」と仰せられ、一人ひとりの不信を強く誡められています。私達は、徹底して不信の心を捨て去り、「はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし」とのお言葉のように、自らの信力を奮い起こし、ひたすら自行化他の修行に邁進すべきです。そうしてこそ大聖人の御心に叶う弟子檀那となることができ、自身のあらゆる願いも成就することができるのです。また金吾が、実際に、御本尊の偉大な功徳と諸天善神の加護を賜り、難局をことごとく乗り越えたことに思いを致し、いかなる障魔が競い起ころうとも、私達は御本尊への信心を一層堅固にし、仏道修行に精進していくことが大切です。
〇法華経の兵法で諸難を乗り越える
末法時代はあらゆる苦悩、災いが充満しています。信心に励むなかで障魔が競い起きたり、折伏を実践するなかで迫害に遭うようなこともあるかもしれません。そのような時には、凡夫の知恵で思い悩むのではなく、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし」とのお言葉のとおり、より真剣に、また強盛にお題目を唱えることです。大聖人が「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(諸経と法華経と難易の事・御書一四六九)と仰せられ、拝読の御文に「兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり」と示されているように、常に一切の根本・根源である妙法への信心を元にするならば、御仏智を頂き、いかなる困難も必ず克服することができます。
御本尊の功徳は絶大なのですから、このことを知らない未入信の人に対し、慈悲心を持って教え導くことも忘れてはなりません。今一度「臆病にては叶ふべからず」との御制誡を肝に銘じ、自ら発奮して、敢然と折伏に打って出ることが肝要です。魔を退け、臆病を克服する原動力は唱題にあります。真剣な唱題を重ねて強い心を養い、折伏を果敢に推し進めていく、その行動にこそ、諸天善神の強い加護があり、どんな諸難をも乗り越えて自他共の成仏が叶うのです。
○日如上人御指南
昨今の国内外の状況を見ますと、新型コロナウイルス感染症によって、国内のみならず世界的に混沌とした様相を呈しており、この先の不安を感じている方々も少なくないと思います。しかし我々は、こうした混迷する現状を見て、改めて『立正安国論』の御聖意を拝し、この窮状を根本的に救えるのは、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の三大秘法の仏法以外にはないことをよくよく知るべきであります。(大日蓮・令和三年五月号)
□まとめ
先行き不透明な世情ですが、幸せな未来を築くのは今この時です。人生の貴重な時間を、無為に過ごしてはなりません。毎日の勤行・唱題を欠かさず行い、日蓮大聖人が行じられた折伏を、大聖人が行じられたとおりに、しっかりと実践してまいりましょう。また、本年の支部折伏誓願目標達成のためにも、七月に実施される唱題行に積極的に参加し、その功徳と歓喜による大折伏戦を展開いたしましょう。
□住職より
皆さんのなかには、お子様やお孫様がいらっしゃる方々が多々おられると存じますが、コロナ禍の今、この災禍を信心を以て乗り越えるべく、一家和楽し家族揃って信行の実践に励んでいるでしょうか。ごく稀(まれ)に「信仰は子供の意思に任せる」、「子供たちが必要な時を迎えたらやるだろう」とお考えの方々がおられますが、もしそうした考えをお持ちの方がいたならば、是非ともそのお考えを改めて頂きたいと願います。
当然、子供がいたならば、愛情をもって子供の健やかな成長を見守り、立派な社会人になれるよう、幸せな人生を送れるように、真心を込めて子育てをなさると思いますし、やがて親が亡くなれば、自ずと子供たちは親が遺した遺産などを相続することになります。しかし本来、一番大事なことは、この正しい信仰を相続することであります。
私たちは生を受けた以上、死を免れることはできません。更に、病に罹患したり年老いていくことは、仏教において生・老・病・死の四苦として説かれるところであります。ですから、諸行無常・生者必滅と言われる一期の人生をいかに有意義に生きるか、尚かつ一生成仏という、日頃私たちが目指すべき一大目標を成就することが最高最善の生き方であり、私たちはそのような教えを、家族揃って心掛け実践し、日頃の信行の実践により福徳を増進して積み累ねていくことが肝要であります。
また、大聖人様は『上野殿御返事』に、「抑今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。此はいかなる時もつねはたいせずとわせ給へば、水のごとく信ぜさせ給へるか。たうとしたうとし。まことやらむ、いゑの内にわづらひの候なるは、よも鬼神のそゐには候はじ。十らせち女の、信心のぶんざいを御心みぞ候らむ」と仰せであります。
これは、何か問題が生じた時に烈火の如く信心に励み、問題が解決したら少々お休みをしてしまう方、水の流れるように日々穏やかに信行の実践に励み、何事が起きても動じない、全ては自分自身の過去世からの因縁であることを達観し、時にはその信心の姿が本物であるかを、十羅刹女が何かしらの試練を与え、その諸問題を信心の力を持って解決するかどうかを試しているのであると感ずる方、もちろん後者の方こそ大聖人様の御心に叶った信心の姿であります。
コロナ禍のいまだからこそ、御自身の信心の姿を省み、唱題に唱題を重ね福徳増進し、広大無辺不可思議偉大なる御本尊様の御仏智を賜り、幸福な人生をより幸福に、お子様お孫様であったらならば、幼少期のうちから幸福な人生を築く礎、土台を作り上げ、信心を行じながら人生を送るところに万事、仏さまの仏様の御心のままに、しかるべき道へと誘(いざな)って下さることを決して忘れてはなりませんし、その信心をしっかりと伝えて頂くことを願って止みません。
どうか、妙眞寺檀信徒の皆さまには、その意とするところをお汲み頂き、お子様お孫様への法統相続、信行の実践を勧めて頂くと共に、コロナ禍の今、この信心こそが疫病の災禍を乗り越える唯一の方途であることを再度確信し、志を立て御精進の誠を尽くして頂きたく存じます。