4月度広布推進会より

 4月14日(水)午後6時45分より、新宿・大願寺において、4月度・東京第二布教区広布推進会が行われました。その際、御法主日如上人猊下の、「折伏は慈悲なのです。だから自分の親、あるいは子供、あるいは配偶者や親戚といった近い人を、しっかりと折伏しなければだめです。それには、やはり人格が必要です。成仏という言葉には色々な解釈がありますけれども、その一側面としては人格の完成という意味もあるのです。折伏する時も、自分の人格をしっかり磨いていかなければ、相手は言うことを聞いてくれないでしょう。そのためには、人格の完成を目指してお題目をしっかり唱え、その功徳と人格をもって、親でも子供でも親戚でも近所の人でも折伏していってごらんなさい。ここから変わっていくのです。その根本のところがぐらついていると、本当の折伏はできません」との御指南を拝読いたしました。

 私たち日蓮正宗僧俗の信仰には様々な修行があります。まずは毎日の勤行・唱題、総本山への登山参詣、菩提寺への参詣と厳護(げんご)、先祖菩提の塔婆供養、そして折伏であります。これら1つ1つの具体的実践行を満遍(まんべん)なく行じて行くこと、特に折伏は世の中の人々の人生を大きく開かしめ、様々な困難な状況を打破し、真の幸福の実現と喜び溢(あふ)れる日々を互いに送ることができるよう、私たち日蓮正宗の僧俗にとって行ずべき、最も肝心な慈悲行中の大慈悲行であります。しかし、折伏はそう簡単には成就することはできません。それこそ、御法主日如上人猊下の御指南にありますように、まずは日頃の信心修行の功徳利益をもって我が身、我が人格を磨いていかなければ成就することは難しいかと思います。当然、末法である現代において、なぜ大聖人様の教えこそが唯一無二の正法正義であるのかという道理、理屈を説いていくことも大事なことですが、最終的に折伏されている方は、折伏している方の姿を見て入信するか否かを判断するのではないでしょうか。ですからこそ、まずは自分自身を理解し人格を磨き上げ、本当の折伏を行ずることができるようになることを目指して行くことも至極肝要なことであります。

 それでは、自分自身を見つめ直し、より一層人格を磨くに当たり、その指針となることについて、同じく広布推進会の指導教師指導において、大修寺御住職・國島道保御尊師は、中国・唐の第2代皇帝、太宗(たいそう)・李世民(りせいみん)の言行録である『貞観政要(じようがんせいよう)』の「三鏡(さんきよう)」を挙げられました。この「三鏡」について『貞観政要』には、「太宗(たいそう)、嘗(かつ)て侍臣(じしん)に謂(い)ひて曰(いわ)く、夫(そ)れ銅を以て鏡と為(な)せば、以(もつ)て衣冠(いかん)を正(ただ)す可(べ)し。古(いにしえ)を以て鏡と為せば、以て興替(こうたい)を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失(とくしつ)を明(あきら)かにす可し。朕(ちん)常に此の三鏡を保ち、以て己(おの)が過(あやまち)を防ぐ(銅を鏡にすれば、自分の顔や姿を映して、元気で、明るく、楽しそうかどうかを確認することができる。歴史を鏡にすれば、世の中の興亡盛衰(こうぼうせいすい)を知ることができる。人を鏡とすれば、その人を手本として、自分の行いを正すことができる。私は常にこの三鏡を以て、自分の過ちを防ぎ正すようにしている)」とあります。

 まず「銅の鏡」とは、現代では姿見(すがたみ)等、ごく一般的な鏡のことを言います。要するに、自身自身の姿を鏡に映して、毎日「元気に、明るく、楽しそうな良い表情をした所作振る舞いであるかどうか」を確認することであります。
 特に折伏を行ずる時、折伏相手はその表情を見るでしょう。そうした時、その表情が「鬼気迫る表情」や「あたかも義務感にかられた表情」であったとしたらどうでしょう。その表情がそのまま相手に伝わってしまいます。ですから、折伏する時はまず、この信心に帰依(きえ)したならば、自分のように「毎日が、前向きで、明るく、元気に、楽しい毎日を送ることができるようになりますよ」と、表情で伝えることが肝要ではないでしょうか?ただでさえ、御自身の心意気や思いやり、祈りなどは必ず相手に自然と伝わります。ましてや現実として、自分自身の表情を見て、更に心証も変わってくるでしょう。「目は口ほどにものを言う」、「目は心の鏡」ともいわれるように、それだけ自分自身の表情というものが大事であることを、日頃から意識することが大切であります。

 次に「歴史の鏡」とは、「過去の事例をよく学んで今後の資糧(しりよう)とする、未来に備える」ということであります。古来より、日蓮正宗八百年の歴史では、「総本山への登山は、阿仏房(あぶつぼう)の精神で」、「熱原(あつはら)三烈士(さんれつし)の信心を」と言い伝えられています。

 まず登山については、大聖人様御在世当時、大聖人様が佐渡御配流中に入信された阿仏房は、大聖人様が身延の山に登られたのち、佐渡から身延までは高齢の阿仏房の足で二十日以上もかかり、その道程は、日本海の荒波を越えて険しい山道を歩き、山賊などに襲われる危険を回避しながらなど、非常に大変なものでした。しかし、阿仏房は大聖人への渇仰恋慕(かつごうれんぼ)の思い止(や)みがたく、道中の苦難を顧(かえ)りみず参詣を果たしたのであります。また、大聖人様御在世当時の信徒方は、大聖人様を渇仰恋慕し御目通りできる喜びを胸に、御供養の物品を携え交通不便な中を歩み困難を押して登山されました。大聖人様はそれだけの覚悟をもって登山された御信徒方に対し、「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし」と仰せになられております。現在の私たちの登山の精神もまさにここにあり、有り難くも交通網が発達し添書登山も毎月行われている今日、毎年度々の総本山への御登山が、いつしかお座なりの御登山にならないように致すべきであります。

 次に信心の面について、大聖人様御在世当時以来、日蓮正宗の歴史においては、御信徒の信仰を妨(さまた)げる数々の法難があり、その第一として挙げられるのが熱原法難(あつはらほうなん)であります。

 熱原法難とは、文永(ぶんねい)11年、日蓮大聖人様が身延に入山されたあと、日興上人の折伏教化により、富士地方の岩本・実相寺や四十九院、滝泉寺などの邪宗寺院の僧侶が、次々と大聖人様の教えに改宗帰伏(きぶく)しました。そうした日秀、日弁師等改宗した僧侶による折伏教化により、熱原地方(現在の静岡県富士市)の農民信徒が大聖人様の教えに帰依し始め、後に三烈士と言われる、神四郎(じんしろう)・弥五郎(やごろう)・弥(や)六郎(ろくろう)の三名も、弘安(こうあん)元年に入信し、熱原の農民信徒たちの中心者となりました。
 こうした状況に滝泉寺の院主代・行智等、邪宗僧侶・信徒たちは激怒し、熱原の法華講衆(ほつけこうしゆう)への迫害が始まりました。弘安2年4月8日には流鏑馬(やぶさめ)の行事の雑踏(ざつとう)のなか、法華講衆の1人・四郎男が何者かに斬りつけられ、同年8月、弥四郎(やしろう)が斬り殺されました。同年9月21日には熱原法華講衆の農民たちが、稲刈りの作業をしているなか、そこに行智配下の武士や農民たちが押し寄せ、神四郎以下20名を捕縛(ほばく)し鎌倉へ押送(おうそう)されました。

 そして、熱原の法華講衆が、滝泉寺・行智所有の稲を刈り取ったとして「苅田狼藉(かりたろうぜき)」という罪状をねつ造し、虚偽の訴状をもって告訴された上、この事件の顛末(てんまつ)に対する取り調べは一切なく、かわりに平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじようよりつな)の次男・飯沼判官資宗(いいぬまはんがんすけむね)によって、蟇目(ひきめ)の矢による拷問(ごうもん)が行われました。そこでは、事件と関係無く「ただちに法華経を捨てて念仏を称えよ」という理不尽な要求が行われましたが、誰一人退転することなく、声高らかにお題目を唱え続け、同年10月15日、平左衛門尉頼綱は無慚にも、私邸にて神四郎・弥五郎・弥六郎の三名を斬首の刑に処しました。

 この熱原法難は、国家権力という強大な力を背後にした平左衛門尉頼綱の迫害に屈すること無く、ましてや斬首された三名は入信して間もない信徒でありながら、大聖人様が「彼等(かれら)御勘気(ごかんき)を蒙(こうむ)るの時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云云。偏(ひとえ)に只事(ただごと)に非(あら)ず」と仰せのように、正に命を顧みずお題目を唱え続け、不退転の信心を貫き通したところに、私たちが学ぶべき深い意義があります。またその不惜身命の精神は、本門戒壇の大御本尊様在す総本山大石寺奉安堂の門前に、熱原三烈士の墓所(むしよ)とその信心を讃える顕彰碑(けんしようひ)が建立され、私たち日蓮正宗僧俗の鏡として、七百四十星霜(せいそう)を数える令和の今日まで受けつがれています。

 因みに、熱原の法難に加担した大田親昌や長崎時綱は落馬して悶死(もんし)し、平左衛門尉頼綱、飯沼資宗親子は法難の14年後の永仁元年4月に頼綱私邸にて誅殺され(誅殺された原因は頼綱と不仲だった長男・宗綱の讒言、または頼綱による謀叛とも伝えられている)、頼綱の長男・宗綱も佐渡流罪に処され、大聖人様をはじめ大聖人様門下を迫害した頼綱一家は、ついに滅亡の道を遂げたのであります。

 私たち妙眞寺僧俗は、こうした熱原三烈士の御信心を鏡として、また妙眞寺九十年の歴史と伝統の中にも、一介の僧侶が信行閣として一宇を建立寄進し城南弘教を始め、今日の妙眞寺法華講衆の礎が築かれ、その時々に堂宇の修繕改修がなされ、その歴史のなかには1日一万遍の唱題行によって、盲目を開かしめた北原長太郎氏の御子息、北原鐡雄氏御夫妻をはじめとする強盛なる御信徒方によって支えられてきた妙眞寺を、今後共より一層興隆発展せしめるべく、精進の誠を尽くして参るべきであります。

 さて、最後に「人の鏡」についてであります。人の鏡とは、直言してくれる人を大事にし、その意見をよく傾聴して、自身の所作振る舞いや発言に役立てるということであります。

 よく「忠言(ちゆうげん)耳に逆らう(真心の込もった忠告の言葉は、聞く者にとっては耳が痛いから、素直に受け入れられにくいということ)」との言葉がありますが、この言葉はもともと中国の『孔子家語(こうしけご)』にある、「孔子曰(いわ)く、良薬(ろうやく)は口に苦(にが)けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり(孔子が言うには、いい薬は苦いが病に効き、忠言は耳に痛いものだがよい行動をするのに役立つ)」が語源になっています。
 人というのはなかなか自分自身のことを理解できません。むしろ、なにか注意をされたら不愉快な気分になるのが落ちですし、せっかく自分の欠点や短所、直すべきことを言ってくれているにもかかわらず、自分のことを悪く言われていると感じてしまうのが人というものです。しかし、それではいつまでたっても、人として成長できません。ですから、何か人から注意なり意見を言われたら、よく考え身に当てはまるようであったら素直に受け止め、万が一それが単なる悪口、罵詈、中傷行為であったならば、正当な根拠を以て反駁(はんばく)すべきでありますし、誰かしらに意見を述べたり、目上の人に進言する場合は、しっかりとした根拠を示すことも大事なことです。
 ただ意味も根拠も無く、むやみに思ったこと感じたことをさらりと他人に言ってしまうと、それが喧嘩(けんか)や怨嫉(おんしつ)のもとになってしまうこともあります。ですから、まずは自分自身が発する一言が、本当に言うべき事柄なのか、相手の心を傷つけたりはしないだろうか、本当に真心を込めた意見であるかどうかを考え、逆に人から言われた意見や進言は真摯に受け止めた上で、自問自答して自分の成長に役立てることが肝要であります。

 以上のように、自分自身の人格を磨くに当たり、『貞観政要』の「三鏡」を挙げましたが、まずもって大事な事は、大聖人様の「只今も一念無明(いちねんむみょう)の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如(ほっしょうしんにょ)の明鏡(めいきょう)と成るべし。深く信心を発(お)こして、日夜朝暮(ちょうぼ)に又懈らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」との御教示の如く、貪・瞋・痴の三毒、煩悩や世間の垢に塗(まみ)れた己の命そのものを、妙法唱題の功徳利益を以て正しく磨き上げて浄化矯正し、そして「三鏡」に挙げられる三つの鏡をもって、自身の人格を正しく構築していくことが、令和の法華講衆としてその使命を全うすべく、今を生きる私たちにとって非常に大切なことではないでしょうか。