毒蛇とネズミ(令和3年4月)

 今日は地獄(じごく)や畜生(ちくしよう)の世界から、法華経(ほけきよう)の書写(しよしや)、読誦(どくじゆ)など法華経を信仰(しんこう)する功徳(くどく)によって救(すく)われた2つの話をします。
 むかし、信濃国(しなののくに)(今の長野県)の長官が任期を終え、京都に帰る途中(とちゆう)のことです。多くの家臣たちが行列を作って、大きな荷物を乗せて歩いていました。
 2日目のことです。気がつくと衣装箱(いしようばこ)に、大きなまだら模様(もよう)の毒蛇がからみついているではありませんか。棒で追い払おうとすると、牙(きば)をむきだし向かってきて、誰もその毒蛇を追い払うことができません。次の日も、また次の日も毒蛇はその衣装箱から決して離(はな)れようとしませんでした。まるで敵(かたき)でもつかまえるようなしぶとさです。
 長官はその様子を見て、これは何か深い事情があると思い、毒蛇のことを仏さまに祈りました。そして、毒蛇に「蛇よ、そなたは信濃からずっと我々のもとにいて離れようとしない。そなたは一体何者なのか?神の化身(けしん)か?誰かの魂(たましい)なのか?我々に何のようか?どうか私に本来の姿を見せて、わけを聞かせてほしい」と言いました。
 その夜、長官は夢を見ました。夢の中に、毒蛇と同じような衣装を着た1人の男が現れて、長官に「長官殿、あなたの行列についているのは私の化身です。実は、私の宿世(しゆくせ)の敵(かたき)が衣装箱の中にひそんでいるのです。私はその者を討(う)ち取りたく、こうして着いて参りました。その者を私に渡してくだされば、私はあなたの行列から去って行きましょう」と言いました。
 翌朝、長官は家臣を呼んで、さっそく衣装箱の中を開けさせました。すると、衣類の隅(すみ)の方に、1匹の老(お)いたネズミが様子をうかがうように潜(ひそ)んでいました。家臣たちはすぐに、そのネズミを追い払おうとしましたが、長官がそれを止(と)めました。「待(ま)て、そのネズミを今放せば、毒蛇がネズミをとらえて飲み込むだけだ。それでは2匹の争(あらそ)いは絶(た)えることがない。私は両方を助けてやりたいのだ。ネズミはそのままにしておけ」と家臣に命令し、衣装箱のふたは閉(し)められました。
 長官は日頃から、法華経の教えを信仰していましたので、その日のうちに法華経を書写(しよしや)し、家臣たちと共に法華経を読誦(どくじゆ)し、ネズミと毒蛇の回向(えこう)をしました。
 するとその日の夜、長官は再び夢を見ました。夢には純白(じゆんぱく)の衣(ころも)を着た2人の武士(ぶし)が現れ、正座(せいざ)をして、「長官殿、我々は長い間宿敵(しゆくてき)として、相手を殺しまた殺され、互いに憎しみあってきました。今また、ネズミと蛇の姿になってまで、ただ相手をたおすことだけを生きがいにしていました。今日、あなた方が法華経を書写し、読経(どきよう)して下さったことにより、今までの人を殺した罪も殺された怨(うら)みの心も、次第に薄れ消え去りました。そして、我々は帝(たい)釈天(しやくてん)さまが住む、忉利天(とうりてん)に生まれ変わることができました。これもみな、長官殿が法華経をもって供養してくれたおかげです。本当にありがとうございました」と言いました。
 目が覚めた長官は、家臣と共に衣装箱の所へ行き、ふたを開けてみると、そこにはネズミと毒蛇が、安らかな姿をして共に横たわって死んでいました。
 次に、『今昔物語(こんじやくものがたり)』にある話で、法華経読誦の功徳によって、地獄に堕(お)ちた娘が忉利(とうり)天(てん)に生まれ変わった話をします。
 むかし、越中立山(えつちゆうたてやま)(今の富山県)の、地獄谷(じごくだに)でのことです。ある修行僧(しゆぎようそう)が地獄谷の称(しよう)名滝(みようだき)までやってきました。この場所は、地獄(じごく)に堕(お)ちた人が鬼神(きじん)になって住むと言われていました。この滝の高さは350メートルで、回りは岩と大木に囲まれ、太陽の日差しも届かないほど薄暗い中に、白い水しぶきがぼんやりと光り、滝の上から水の落ちる轟音(ごうおん)だけが響(ひび)きわたっています。
 そんな不気味(ぶきみ)な光景の滝つぼがある岩の上に、1人の若い娘が立っています。修行僧は震(ふる)えながら「これは鬼神に間違(まちが)いない」と思い、逃げようとしました。そこへ、弱々しくすがりつくような声がしました。「待って下さい。私を助けて下さい。どうしても父と母に伝えてもらいたいことがあります」と、その若い娘が修行僧に言いました。
 修行僧がくわしい話を聞くと、娘は訴(うつた)えるように「私は生前(せいぜん)、近江国(おうみのくに)蒲生郡(がもうのこおり)(今の滋賀県)に住んでいました。私の両親は、仏師(ぶつし)として色々な仏像を作っていて、それを売って暮らしています。しかし、両親はまったく信仰心がなく、ただ仏像を作っては売るばかりでした。私は18才の時、急病で死にましたが、両親の仕事が原因で地獄に堕ちてしまい、毎日苦しんでいます。どうかそのことを両親に伝えて下さい。そして供養して私を救ってくれるように言って下さい」と言いました。
 修行僧は、すぐに娘の両親をたずね、娘の出来事を話し聞かせました。両親は、自分たちが作った仏像で娘の回向をしていましたが、修行僧は仏法の正邪(せいじや)についてを話し、法華経を書写し読誦するよう勧めました。両親は、法華経が正しい教えであることを知り、一心に法華経を信仰し回向しました。
 数日後、娘の父親は娘の夢を見ました。娘はきれいな衣装を着ていて、「父上さま、私は法華経の力でようやく地獄から逃(のが)れることができ、今は忉利天(とうりてん)に生まれ変わることができました。父上も母上も、これからは一緒に法華経を信じて幸せになって下さい」と言いました。両親は仏師でありながら信仰の正邪に無知だったことを恥(は)じ、娘によって自分たちが救われたことを喜び合いました。
 この2つの話の1つめは、お互いを憎(にく)しみ命を落とし合うことによって、畜生界の世界に堕ちても、まだその戦いをやめようとしない愚(おろ)かな2人。2つめは仏像などを作る仏師という仕事をしながら、信仰心もなく仏法の正邪も理解しようとしない2人。
 要するに、正しい法華経の教え、今の時代では南無妙法蓮華経の教えでしか、私たちは成仏もできませんし、本当の幸せな生活を送ることはできません。つまり、自分が亡くなって成仏し仏さまのもとへ旅立つことができないということは、地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界に迷い込んでしまう、ということになります。また、そうした世界でさまよっていると、なかなかその世界から出ることができなくなります。ですから、私たちは亡くなったご先祖さまの塔婆供養などを行って読経・唱題して、成仏できずに苦しみの世界にいるご先祖さまたちを救ってあげることが大事なことです。
 そして、まだまだ先のことかもしれませんが、私たちは自分自身がそうした世界に堕ちることがないよう、普段からしっかり勤行・唱題をして、仏さまの世界に旅立つことができるようにしましょう。また、そうした話をお友達や親戚の人たちに教えてあげることも、大事なことだと思います。