御報恩御講(令和3年4月)

令和3年4月度 宗祖日蓮大聖人御報恩御講

 『開目抄』(かいもくしょう)              文永9年2月  51歳
 大願(だいがん)を立(た)てん。日(に)本(ほん)国(ごく)の位を(くらい)ゆづらむ、法華経(ほけきょう)をすてゝ観経等(かんぎょう)について後生(ごしょう)をご(期)せよ。父母(ふぼ)の首(くび)を刎(は)ねん、念仏(ねんぶつ)申(もう)さずば、なんどの種々(しゅじゅ)の大難(だいなん)出来(しゅったい)すとも、智(ち)者(しゃ)に我(わ)が義(ぎ)やぶられずば用(もち)ひじとなり。其(そ)の外(ほか)の大難(だいなん)、風(かぜ)の前(まえ)の塵(ちり)なるべし。我(われ)日(に)本(ほん)の柱と(はしら)ならむ、我(われ)日(に)本(ほん)の眼目(げんもく)とならむ、我(われ)日(に)本(ほん)の大船(だいせん)とならむ等とちかいし願(がん)やぶるべからず。
(御書572㌻5行目~8行目)

【通釈】(日蓮は)大願を立てよう。(たとえ)日本国の位を譲るから法華経を捨てて観無量寿経等を信じ後生を願え、(あるいは)念仏を唱えないならば父母の首を刎ねる、などの種々の大難が起こってきても、智者に我が法義が破られることがなければ、(それらの言葉を)用いることはない。その他の大難は、風の前の塵のようなものである。我は日本の柱となろう、我は日本の眼目となろう、我は日本の大船となろう等と誓った願いは、破ることはない。

【拝読のポイント】
〇諸難があろうとも不退転の信心を
 大聖人は拝読の御文において、御自身の振る舞いを通して、たとえどのような甘い言葉や脅しがあったとしても、絶対に信心を捨ててはならないことを教えられています。また本抄において「諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書574)と激励くださっています。
 信心修行の途上には様々な困難が待ち受けており、現今のようなコロナ禍などの災難もあります。それらの困難に直面した時こそ、私達は、御法主日如上人猊下の「難事を克服して妙法広布に精進していくところに、広大無辺なる功徳を享受できることを、我々はよく知らなければならないのであります」(大日蓮・令和元年9月号)との御指南のとおり、強盛な信心で克服し、大法広布に邁進することが肝要です。
○大法広布に邁進しよう
 拝読の御文で大聖人は、「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」と、下種本仏の三大誓願を示されました。1つ目が、我は日本国の柱となって人々を護っていくとの誓願、2つ目は、仏法の正邪について人々の目を開かしめ成仏に導くとの誓願、3つ目は、謗法の罪業によって苦しむ人々を救済せんとする誓願です。「柱」とは主徳、「眼目」とは師徳、「大船」とは親徳を意味しています。そして本抄の結論では「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(御書577)と、御自身が三徳兼備の仏であることを宣言されているのです。
 御本仏・大聖人の一切衆生救済の願業は、代々の御法主上人へと受け継がれています。御当代日如上人猊下は、大聖人御聖誕八百年を迎えるに当たり御命題を下され、私達は平成21年から折伏実践を重ね、見事にそれが成就したのです。この大慶事を機縁として、これからも御法主上人猊下の御指南を根本に、まずは本年度の折伏誓願目標を完遂させるべく、講中一丸となって、師子奮迅の戦いを進めるべきです。その意味からも、大聖人が「月々日々につより給へ」(聖人御難事・同1397)と仰せのように、日々の信行における心の隙や油断を排して、いよいよ信心強盛に、自行化他の実践に精進してまいりましょう。
○日如上人御指南
 南無妙法蓮華経の広大無辺なる功徳は、ただ御在世のみに止まらず、末法万年のほか、尽未来際に至るまでにも及び、一切衆生を救済あそばされると仰せであります。されば、私どもはこの一切衆生救済の大法を、日本はおろか全世界の一人でも多くの人々に伝え、いよいよ妙法広布に尽くしていくことが肝要であります。(大日蓮・令和2年5月号)
□まとめ
 今月は、大聖人が一切衆生を救わんと宗旨を建立された意義深い月です。私達一人ひとりが、「大願とは法華弘通なり」(御義口伝・御書1749)との御金言を体し、まず自分自身が1年に1人の人を折伏し、さらに共に広布の陣列に列なるべく育成していくことです。右の御指南にあるように、妙法の功徳は広大無辺ですから、真剣な唱題を重ねて我が命を活性化させ、一天広布に向けて、勇気ある行動を起こそうではありませんか。

 

□住職より

 宗祖日蓮大聖人様は『御義口伝(おんぎくでん)』に、「されば文句(もんぐ)の四に云はく「相とは四濁(しじよく)増劇(ぞうぎやく)にして此の時に聚在(じゆざい)せり。瞋恚(しんに)増劇(ぞうぎやく)にして刀兵(とうびよう)起こり、貪欲(とんよく)増劇にして飢餓(きが)起こり、愚癡(ぐち)増劇にして疾疫(しつえき)起こり、三災(さんさい)起こるが故に煩悩倍(ますます)隆(さか)んにして諸見転(うたた)熾(さか)んなり」と」と仰せになられております。
 要するに、世の中で、瞋り憎しみ合うことが増えれば争い事や戦争が起こり、利己的で欲深い人たちが増えれば飢餓が起こり、互いに詈りあったり謗法を喧伝(けんでん)したり嘘偽りを吹聴するような愚かな人たちが増えたならば疫病が起こり、こうした兵革(ひようかく)・穀貴(こつき)・疫癘(えきれい)という三災(さんさい)が起こると、更に世の中が混乱することを言われています。
 特に今、コロナ禍にありこの新型コロナウイルスの感染は、空気感染、飛沫感染が主な原因であり、感染者の口からウイルスが飛散することにより感染を広げます。大聖人様は「わざわいは口より出でて身をやぶる」とも仰せになられておりますように、「新型コロナウイルスに感染した世の中の愚癡(ぐち)迷妄(めいもう)の人々が更に悪言(あくげん)妄言(もうげん)などを発することにより、その口からウイルスが拡散され現在の疫病蔓延の災禍(さいか)になっている」と、私たちは大聖人様の御教示を拝するべきであります。またこの御教示は、我々こそ世間の方々以上に気を付けなければならないことでもあります。そして、この災禍の終息乃至世情の混乱をこれ以上増幅させないためには、まず世の中の人々が三毒強盛な心根を正しく治癒することが肝要であります。
 その為には大聖人様が、「されば妙法の大良薬(だいろうやく)を服する者は貪瞋癡(とんじんち)の三毒の煩悩の病患(びようげん)を除くなり。法華の行者南無妙法蓮華経と唱へ奉る者、謗法の供養を受けざるは貪欲(とんよく)の病を除くなり。法華の行者罵詈(めり)せらるゝも忍(にん)辱(にく)を行ずるは瞋恚(しんに)の病を除くなり。法華経の行者是人於仏道決定無有疑(ぜにんのぶつどうけつじようむうぎ)と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬(だいろうやく)は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは大良薬の本主なり」と仰せのように、末法唯一無二の正法正義こそがあらゆる不幸の根源である三毒強盛な人々の心根を浄化し、疫病の災禍をはじめ、あらゆる世情の混乱を治する唯一の方途であることを、固く信ずるべきであります。
 どうか、我が身を滅ぼすことがないよう、「さいわいは心よりいでて我をかざる」と仰せの如く、より一層信行の実践に励み我が心根を浄化矯正して功徳を積みかさね、『観心本尊抄』に「瞋(いか)るは地獄、貧(むさぼ)るは餓鬼、癡(おろ)かは畜生、諂曲(てんごく)なるは修羅、喜ぶは天、平(たい)らかなるは人(にん)なり」とありますように、愚癡を発して畜生の境界に堕することが無きよう、またその他、三悪道四悪趣の境界に堕することのないよう、我が身を省みこうした瞋りを顕(あらわ)にし、五欲を貪り、愚かな醜態(しゆうたい)を晒(さら)し、媚びへつらうことが無きよう、我が身を深く注意して日々の生活をお送り頂きたく存じます。