新年度を迎えて

 改めて令和3年の新年度を迎え、進級進学を迎えられました方々、新たに社会人として就職された方々には、心より目出たく存じ上げ祝意を表すると共に、どうか油断怠りなく努力精進なされ、実りある一日一時を大切にお過ごし頂きたく願います。

 さて、せっかく悦ばしき新年度の門出を迎えられたにもかかわらず、明るい未来に暗い影を落とすべく昨今のコロナ禍という現実によって、決して手放しで喜べないのが実情であると存じます。特に今、新型コロナウイルスの感染拡大が始まって1年以上が経過し、どこかコロナ慣れし油断している状況が多々見られ、緊急事態宣言が解除されたとはいえ変異株の感染拡大などが全国的に広まるなか、小池都知事が「三密を避け今後も不要不急の外出は避けるよう」、東京都民に対して訴えているにもかかわらず、週末の自由が丘駅界隈では週を追うごとに滞在人口が増え、青木目黒区長に至っては自ら街頭に立たれ、「目黒川流域の花見自粛」を再三に亘り呼びかけられていたにもかかわらず、先週末には目黒川での花見客の混雑、密集ぶりがニュースになったほどであります。

 こうした姿を見るに付け、実際、新型コロナウイルスに罹患された方々の経験を拝するに、「今まで味わったことのない命の危険さえ感じるほどの苦しみ」、「完治への先行きがなかなか見えない喪失感や後遺症の苦しみに打ち碎かれていること」、「新型コロナウイルスをただの重い風邪だと甘く見ていた」と、その苦しさや後悔などの念を散見し、罹患することによりいかに大変な思いをするかがうかがい知れます。

 うららかな春を迎え、ついつい外に出たくなる心地よい陽気になってはおりますが、私たちも他人事ではありませんので、どうか不要不急の外出は避け、やむを得ず外出する際には予防措置を必ず執られ、更なる信行の実践による福徳増進によって御本尊様の御冥加と諸天の御加護を願うのみであります。

 疫病の災禍の原因については度々申し上げて参りましたが、そもそも末法の衆生は仏さまからすれば無明煩悩の用きによって、本来成すべき事、求める可き道を誤り迷う世の中の人々の姿を、重病に冒されている状況そのものであると譬えられております。それが故に、正しく尊い人生を送ることができず、更に三世の生命という道理に疎いが為に理由も理解できずに宿世の因縁や宿業に苦しみ喘ぎ、世情における道義の退廃とあらゆるものへの執着、我意我見、物質文明の発達による精神文明の没落によって悩み苦しむ姿があります。ましてや現在のコロナ禍によってその苦しみが二重三重となり、世の中の人々を更に追い詰め、正に耐え難き人生、後先見えない不安な毎日となっているのが現状であります。

 故に、宗祖日蓮大聖人様は『持妙法華問答抄』に、「かゝる重病をたやすくいやすは、独り法華の良薬なり。只須く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこをたをし、忿りの杖をすてゝ偏に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし」、「臨終已に今にありとは知りながら、我慢偏執名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし」、更に『御義口伝』には「されば妙法の大良薬を服する者は貪瞋癡の三毒の煩悩の病患を除くなり」と仰せであり、今生における我執をすべて捨て去り妙法の大良薬を服して、三毒煩悩転じて成仏得道の道を歩むべき大事を仰せになられているのであります。

 よって私たちはこれらの御文をよくよく拝し奉り、まずは自分自身が「狐疑執着の邪見に身を任する事なかれ。生涯幾くならず。思へば一夜の仮の宿を忘れて幾くの名利をか得ん。又得たりとも是夢の中の栄へ、珍しからぬ楽しみなり。只先世の業因に任せて営むべし」との大聖人様の御教示の如く、無常極まるはかない人生を、無始已来の因縁にその身を委ねて妙法唱題に励み、その功徳利益を更に倍増する為にも、一天四海妙法広布へ向かい仏さまの使いとしての使命を全うし、是非とも後悔のない澱みの無い信仰生活をお送りなされ、一日一日を御仏意のままにお過ごし頂きたく存じます。

 とにもかくにも全ては日々の勤行・唱題が根本であり、そこにこそ御自身をはじめ、折伏弘教やあらゆる物事に無限の可能性を開かしめる鍵があります。また、御本尊様より功徳利益を賜ったなら報恩感謝申し上げることが肝要であります。私自身もお題目を唱える度に、ありとあらゆる御仏智を賜りますが、やはり御本尊様に対する感謝の念をもち、その御恩に報いることがいかに大事であるか、ということを改めて感ずるところであります。どうか皆様方には、御本尊様に対する報恩感謝の行業の極みとして、今日の五濁乱漫たる世間における悩める方々を一人でも多く、正法正義に導くことができる崇高なる御境界になられ、この暗澹たる日々を明るく元気に前向きにお送りできますよう心よりお祈り申し上げます。