御報恩御講(令和3年3月)

宗祖日蓮大聖人は、『顕立正意抄』に下記のように仰せです。この御指南をよくよく拝し、御精進下さい。

 日蓮去(い)ぬる正嘉元年太(たい)歳(さい)丁巳(ひのとのみ)八月二十三日、大地震を見て之(これ)を勘(かんが)へ定めて書ける立正安国論に云はく「薬(やく)師(し)経(きよう)の七(しち)難(なん)の内五難忽(たちま)ちに起こって二難猶(なお)残れり。所以(いわゆる)他国侵逼(たこくしんぴつ)の難・自界叛逆(じかいほんぎやく)の難なり。大(だい)集(しゆつ)経(きよう)の三災の内二災早く顕はれ一災未(いま)だ起こらず。所以(いわゆる)兵革(ひようかく)の災(さい)なり。金光(こんこう)明(みよう)経(きよう)の内の種々の災禍一(いち)々(いち)に起こると雖(いえど)も、他方の怨賊(おんぞく)国内を侵(しん)掠(りよう)する此(こ)の災未だ露(あら)はれず此の難未だ来たらず。仁(にん)王(のう)経(きよう)の七難の内六難今盛んにして一難未(いま)だ現ぜず。所以四(し)方(ほう)の賊来たりて国を侵(おか)すの難なり。加之(しかのみならず)国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るヽが故に万(ばん)民(みん)乱ると。今此の文(もん)に就(つ)いて具(つぶさ)に事(こと)の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡(ほろ)ぶ。先難是(これ)明らかなり、後災(こうさい)何ぞ疑はん。若し残る所の難、悪法の科(とが)に依(よ)って並び起こり競(きそ)ひ来たらば其(そ)の時何(いかん)がせんや。帝王は国家を基(もとい)として天下を治め、人臣は田園を領して世(せ)上(じよう)を保つ。而(しか)るに他方の賊来たりて此の国を侵逼(しんぴつ)し、自界叛逆(じかいほんぎやく)して此の地を掠領(りようりよう)せば豈(あに)驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん」等云云已上立正安国論の言なり。

 立正安国論に云はく「若し執(しゆう)心(しん)飜(ひるがえ)らず、亦(また)曲(きよく)意(い)猶(なお)存せば早く有(う)為(い)の郷(さと)を辞して必ず無(む)間(けん)の獄(ひとや)に堕(お)ちなん」等云云。今符(ふ)号(ごう)するを以て未来を案ずるに、日本国上下万人阿(あ)鼻(び)大(だい)城(じよう)に堕せんこと大地を的と為(な)すが如し。此(これ)等(ら)は且(しばら)く之を置く。日蓮が弟子等又此の大難脱(のが)れ難(がた)きか。彼の不(ふ)軽(きよう)軽毀(きようき)の衆は現身(げんしん)に信(しん)伏(ぷく)随(ずい)従(じゆう)の四字を加ふれども猶先謗(せんぼう)の強きに依って先づ阿鼻大城に堕(だ)し、千(せん)劫(ごう)を経歴(きようりやく)して大苦悩を受く。今日蓮が弟子等も亦(また)是(か)くの如し。或(あるい)は信じ或は伏(ふく)し、或は随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮りて心(しん)中(ちゆう)に染まらざる信心薄き者は、設(たと)ひ千劫(せんごう)をば経(へ)ずとも或は一(いち)無(む)間(けん)或は二無間乃至十百無間疑ひ無からん者か。是を免(まぬが)れんと欲(ほつ)せば各(おのおの)薬王・楽(ぎよう)法(ぼう)の如く臂(ひじ)を焼き皮を剥(は)ぎ、雪山(せつせん)・国王等の如く身を投げ心を仕(つか)へよ。若し爾(しか)らずんば五体を地に投げ遍身(へんしん)に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以(もつ)て仏前に積め。若し爾らずんば奴(ぬ)婢(ひ)となって持者に奉へよ。若し爾らずんば等云云。四悉檀(ししつだん)を以(もつ)て時に適(かな)ふのみ。我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我(われ)を恨(うら)むべからず等云云。