宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要奉修(令和3年2月16日)

 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大慶事に当たり、2月16日午前11時、午後2時、午後7時より、妙眞寺本堂におきまして宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要を奉修致しましたところ、平日にもかかわらず大変多くの方々に御参詣賜り、特に、午後7時の法要におきましては、それぞれ学校を下校されお疲れのなか、未来を担う小中学生、高校生、大学生の子供たちに多数御参詣賜りまして、各親御様方には、誠に有り難く謹んで御礼申し上げます。いよいよ福徳増進してコロナ禍を乗り越え、より一層御精進の誠を尽くして参りましょう。

 

宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要法話

 只今は、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要にあたり、皆様方には深信の御参詣、並びに御本尊様に御供養奉り読経唱題申し上げ、御報恩のまことを尽くされ、御本仏日蓮大聖人様もさぞお慶びになられていることと存じ、大いなる功徳成就を確信する次第であります。

 さて宗祖日蓮大聖人様は、貞応元年2月16日、安房国長狭郡東条郷の片海で、父・貫名次郎重忠、母・梅菊の間に御誕生遊ばされました。そのご誕生について、第二祖日興上人様が大聖人様から直接承った御誕生の秘話を書き留めた『産湯相承事』には、「産生(うまれ)たまふべき夜の夢に(中略)梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下して、本地自受用報身如来の垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下したまふ。御誕生は唯今なり」、「無熱池の主・阿那(あな)婆達多(ばだつた)、竜王、八功徳水を持ち来たるべし、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり。仍って竜神王即時に青蓮華を一本荷(にな)ひ来たれり。其の蓮より清水を出だして御身に浴し進らせ侍りけり」(同)「其の余れる水を四天下に灑(そそ)ぐに、其の潤ひを受くる人畜・草木・国土世間、悉く金色の光明を放ち、四方の草木華発き菓成る。男女座を並べて有れども煩悩無し。淤泥(おでい)の中より出づれども塵泥(じんでい)に染まざること、譬へば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し」(同)「人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧げて、日に向かって『今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子、唯我一人、能為救護』と唱へ奉ると見て驚けば、則ち聖人出生したまへり」(同)等と、驚くべき法界不思議の御誕生の秘話が記されております。

 御本仏様の御誕生には、そのような壮大な出来事が展開されております。なお大聖人様御自ら、「日蓮が弟子檀那等悲母の物語と思ふべからず、即ち金言なり。其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり」と仰せられておりますように、それらの瑞相は単なる物語ではなく、不思議なる実相そのものであると拝すべきであります。正に末法の衆生を救済あそばされる為に、仏界寂光土より凡夫地にお出まし遊ばされた大聖人様に付き従い、大梵天王も帝釈天王も四大天王等々の法華守護の諸天善神も来下してお祝い申し上げると共に、御誕生を見護られたことがよくよく拝されます。

 次に『破良観等御書』に、「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給へ。十二のとしより此の願を立つ」と示されているように、12歳の頃より清澄寺の堂宇にある虚空蔵菩薩に願を立てられた大聖人様は、『清澄寺大衆中』に、「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん、明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば、八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」とありますように、それから程なくして、生身の虚空蔵菩薩より智慧の大宝珠を受け取られておられます。大宝珠とは正に大智慧のこと、その大智慧を賜わった大聖人様が、一切経、つまり釈尊が説かれた仏教のすべての教えをご覧になり、法華経こそが仏教における最上の教えであると、八宗並びに一切経の勝劣を掌握されたことが明らかであります。大聖人様はまた同抄において、「其の上真言宗は法華経を失ふ宗なり。是は大事なり。先づ序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ」と、さらに一期の破邪の大事、つまり釈尊出世の本懐たる法華経を蔑ろにした究極の邪義が真言であること。その真言を徹底して破折する為の序分として禅宗と念仏宗を破折したことを述べられておりますから、それら破邪顕正の御化導の全てを、その時に悟ることができたと拝することができます。

 なお御入滅後、約220年頃の伝記である『註画讃』という書物には、「十月八日より虚空蔵に祈ること三七日宝珠を受く」との趣旨の記述があり、12歳の年か、その直近の10月8日より三七、21日間虚空蔵菩薩に祈り、ついに智慧の宝珠を賜わったのが28日であることから、総本山第六十七世日顕上人は、その虚空蔵菩薩への御報恩のために立教開宗の日を3月、4月の両28日とされたのではないかと御指南あそばされています。いずれにしましても立教開宗のはるか前、清澄寺から各地へ赴かれるご遊学前に、大聖人様はすでにすべてを悟っておられ、その上で、釈尊の経証の根拠を明確に把握され、当時の仏教界の実状を見聞し、いかに妙法を弘通すべきかを見極める為に、ご遊学の旅に出られたと拝すべきであり、決してご遊学の途中で悟られたのではない、ということを改めてご認識賜わりたいと存じます。

 また『御本尊七箇之相承』には、「一、明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時・古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し・明星の池を見給へとの玉へば、即ち彼の池を見るに不思議なり日蓮が影・今の大曼荼羅なり」とあり、まさしく「虚空蔵に御祈請ありし時・古僧示して言はく(中略)日蓮が影・今の大曼荼羅なり」と示されているように、そもそも生知の妙悟、大聖人様は生まれながらにして已に悟られていたとも拝されます。このように、大聖人様の一期においては、一言では説明することができない程の奧深い御聖意が拝されるのであります。

 さて『法華経』の「如来神力品第二十一」には、「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と、太陽の光や月の明かりに照らされた大地の暗闇が除かれるごとく、「斯の人」が世に御出現になり、よく凡夫衆生の闇を滅することが説かれておりますが、この経文に示される「斯の人」とは、まさに法華経如来神力品第21において釈尊より後五百歳たる末法の弘通を託された上行菩薩の再誕たる日蓮大聖人のことであります。まさにこの神力品の文は、釈尊が大聖人様の出現を予証した教示と拝せられます。

 ところで、本宗では大聖人様を、外用は上行菩薩、内証は末法の御本仏と拝するには、様々な深い理由がありますが、その1つを拝考するとき、『産湯相承事』に、「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」と、大聖人様こそ、末法の一切衆生よりすれば、主師親であると記されております。つまり主師親の三徳が兼備された方こそが仏様でありますから、私たちは大聖人様を末法の仏様であると拝するのであります。なお、釈尊は法華経の寿量品において、「我れ本菩薩の道を行じて、成ぜしところの寿命、今なお未だ尽きず、また上の数に倍せり」と、ご自分が菩薩の修行をして仏になったことを説かれておりますが、何を修行したのかは全く説かれておりません。これは、その根源の教えを説くべき立場にないからであり、実は、そこに釈尊は、あくまでも御本仏が迹を垂れて出現された迹仏たる所以があり、釈尊の御化導の限界があるのであります。
 では、その教えとは何かと申しますと、大聖人様は『秋元御書』に、「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」と明かされており、さらに『開目抄』に、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」と示されるように、釈尊をも仏に成さしめた大法とは、まさしく法華経の文底に秘沈された南無妙法蓮華経であったのであります。まさに、その仏法根源の種子を開顕された方こそ日蓮大聖人様であられることから、大聖人様こそ御本仏であることが拝察されるのであります。なお、日寛上人様が『開目抄愚記』に、「二月十五日を仏滅日と為す」と教示されておりますように、2月15日に迹仏たる釈尊が入滅され、2月16日に本仏たる大聖人様がお生まれになられたということが、脱益仏法より下種仏法への一大転換を意味するものであると拝します。

 そして、この御本仏たる大聖人様が御一期の御化導の中で生涯御指南されたのが法華折伏破権門理、すなわち折伏弘教であり、その大目標が広宣流布であります。私達は深甚なる大聖人様の下種仏法をたとえ理解ができなくても、お題目を無二無三に唱え、折伏を行ずるという、自行化他の修行に励むところに、大いなる功徳成就の道があることを確信し、大聖人様の御遺命たる広宣流布実現のその日まで、不惜身命の精神をもって、たとえ我が身が滅びようとも成し遂げるという気概、強い志を持ち、大聖人様が、「かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふかしと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」と仰せられるように、いよいよ僧俗一致、異体同心して共々に折伏行を展開し、もって大聖人様の御恩徳に報いるためにも、世の中の平和安寧、この世全ての人々の真の幸福の実現、ましてや先の見えないコロナ禍の早期終熄のためにも、本日を契機により一層仏道に邁進し、福徳増進されんことを念願申し上げます。

 以上、皆様の更なるご精進とご繁栄を心よりお祈り申し上げ、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要の法話とさせていただきます。