取れなくなった鬼のお面(令和2年11月)

 むかしある村で、おとなしい息子(むすこ)と年老(としお)いた母親がくらしていました。息子は母親思いの正直(しようじき)な働(はたら)き者(もの)で、誰(だれ)か良い人がお嫁(よめ)にきてくれないものかと思い、その願いを何とか叶(かな)えようと、仕事が終わるとお寺にお参(まい)りするようになりました。
 母親は息子のお寺参りを喜び、「親孝行者(おやこうこうもの)で信心深く、こんないい息子はいない。自分は日本一の幸せ者だ」と、息子に感謝(かんしや)していました。それから1年くらい過ぎたころ、となり村の娘(むすめ)が息子のお嫁に来てくれることになりました。息子と母親は大喜びで、「ありがたい、ありがたい、これも仏さまのおかげだ。お嫁さんを大事にしなければね」と、抱き合って喜びました。

 お嫁さんは2人にとても大事にされ、お嫁さんも母親と夫の2人を心からしたい、朝は1番先に起きて、2人が起きるころにはもう朝ご飯ができていました。昼間(ひるま)は夫(おつと)とともに畑仕事(はたけしごと)に精(せい)を出し、夜もおそくまで家事(かじ)をこなしていました。そして時間をみつけては夫と、または1人でお寺へお参りに行きました。そんな、けなげで働き者のお嫁さんを迎え、家の中はいつもきれいで、毎日の生活がより明るくなり、母親も息子もお嫁さんにたいへん感謝していました。
 ところが、月日がたつにつれて、母親はお嫁さんにやきもちをやくようになりました。今までは自分1人だけをやさしく大事にしてくれていた息子が、嫁に対してもやさしく仲良くしています。仕事も一緒、お寺参りも一緒、いつも2人が仲良く一緒にいるので、嫁に対する感謝の気持ちが、だんだん、しっとの気持ちに変わり、いじわるをするようになりました。

 ある日のこと、母親は息子に、「なにも畑まで一緒にくっついて行かなくてもよいではないか。お前は南で、嫁には北の畑をやらせればよいじゃろう。お寺参りも、嫁がきてくれて願いが叶ったのだから、もう行かなくてはいいのだよ。だいたい2人がいつもくっついて歩いているのはみっともない」と言いました。すると息子は、「おっかさん、何を言うんだ。畑は1人より2人の方がはかどって楽しくできるんだ。お寺参りも、今は願いが叶ったから、お礼参りに行くんだよ。それに、夫婦なんだから他人が何と言おうと、2人一緒にいて悪いことなどないんだ」と母親に言い、母親はビックリしました。息子は今まで何でも言うことを聞いてくれたのに、嫁がきてから、だんだん反発(はんぱつ)するようになってしまい、母親は悲しく、さみしくなりました。母親は、息子に言ってもだめだと思い、嫁に「南の畑は息子が、北の畑をあんたが耕(たがや)しなさい。それからお寺参りは、もう行かなくていいよ。2人でいつも一緒にいると、よそさまにみっともないからね。それと今日から夜に粉5升(しよう)をひいてちょうだいね」と言いました。すると嫁は、「はい、わかりました。お母さん」と素直に言うことを聞いて、さっそくその夜から5升の粉を石臼でひきはじめました。そして、それが終わると、そっと1人でお寺参りに行きました。
 母親は、嫁には息子の言うことよりも自分の言うことを聞いてほしいと思い、息子も以前のように自分だけの息子でいてほしいと思うようになりました。そして、息子が自分よりも嫁を大事にするくらいなら、嫁を追い出した方がいいとも思うようになりました。

 数ヶ月がすぎたころ、嫁がお寺参りに行った留守中(るすちゆう)に母親は息子に、「嫁はお寺参りに行くって出て行くけど、よそで好き放題遊んでいるのよ。近所の人に聞いてみなさい」と言いましたが、それを聞いた息子は、ほとほと困(こま)りはてました。母親はもうすぐ70才、自分は40才、妻は30才になります。自分の歳(とし)を考えて、やきもちをやいたり、近所に嫁の悪口を言い回ったりしないで、仏さまの信仰をして人に感謝するやさしい人になってほしいと思いました。息子は妻が「母親が長生きをして、心おだやかに暮らせるように」と、仏さまにお祈りしているのを知っていましたので、母親に対し、少し強い調子で「じょうだんじゃないよ。いいかげんにしてくれ」と相手にしませんでした。すると母親は怒って家を出て行きました。手にはデバ包丁(ぼうちよう)、顔には赤い鬼のお面をつけて、お寺に向かって行きました。
 母親は、「息子がそんな態度(たいど)をとるなら、嫁を少しこらしめて追い出してやろう」と息巻(いきま)いていました。そして、お寺から出てくる嫁を待ち伏せして、「ウォー」と大声を出して、包丁を振り上げました。嫁はまっ赤で歯をむき出した鬼の顔を見て、気を失って倒れてしまいました。
 目的を果たした母親は、家に帰って鬼のお面をはずそうとしましたが、なぜか顔から取れなくなってしまいました。息子が、「何をしているんだ」と言って、お面をはずそうとしましたが、母親は痛がって泣きさけびます。そこへ嫁が帰ってきました。鬼のお面をつけた母親を見て、「さっき包丁(ほうちよう)で驚かしてきたのはお母さんだったのか」と気づきましたが、夫にはだまっていました。そして、嫁がお経を唱えながら鬼のお面をはがし始めたところ、お面はうまくはずれました。しかし、母親の顔は鬼のように赤くただれ、みにくくなっていました。母親は自分の顔を鏡で見て、自分のやってしまったことを心から反省しました。

 それからは、心おだやかな信心深い母親に変わりました。嫁は、母親の変わった姿を見て、自分への母のひどい仕打ちは忘れて母親を大切にしました。「鬼のような心をもった人でも反省さえすれば、かえって仏さまのような心を持つことができるものだなぁ」と、嫁は仏さまに感謝しました。
 日蓮大聖人さまは、「小さな罪でも反省しなければ悪道におちてしまいます。大きな罪でも反省懺悔(はんせいざんげ)すればその罪は消えて無くなります」と言われています。
 皆さんは、反省しなければならない時があるかもしれません。自分が悪いと思った時はしっかりと反省しすることが大事なことです。そして、なるべくそうしたことがないように、日頃から御本尊さまにお題目を唱えて、正直で素直に、お父さんやお母さん、学校の先生の話をよく聞いて、あらゆるお友達を思いやり、心やさしく毎日を過ごせるようにしていきましょう。