妙眞寺80年の歴史と伝統・北原家御一家の信仰①

 私たちの帰命依止(きみょうえし)の道場たる妙眞寺は、昭和八年十二月八日に「日蓮正宗(にちれんしょうしゆう)信行閣(しんぎょうかく)」として創立し、昭和二十二年十二月十一日に「本地山妙眞寺」と寺号公称致しました。

 そして、その翌年、昭和二十三年十月十八日には妙眞寺法華講が結成されました。その頃、妙眞寺の厚隆発展に御尽力頂いた方々の中に、妙眞寺法華講第五代講頭並びに妙眞寺総代を務められた北原鐡雄(てつお)氏がいらっしゃいます。

 この方は、かの有名な歌人・北原白秋氏の実弟であり、かつて北原家は九州・柳川の地で浄土宗専念寺を菩提寺としておりましたが、度重なる不幸が続き、黒住教(くろずみきよう)や金光教(こんこうきよう)といった新興宗教に入信しておりましたところ、東京品川の日蓮正宗妙光寺信徒の西尾喜三郎(にしおきさぶろう)氏の教化(きょうけ)を受け、昭和九年三月に鐡雄氏夫妻と、父・長太郎(ちょうたろう)氏、母・シゲ氏や、実弟の義雄氏夫妻が入信されました。

 この時、父・長太郎氏は八十歳近い高齢で両眼も失明状態でありました。しかし、毎日、朝夕の勤行と壱万遍の唱題を欠かさず続け、同年夏には総本山大石寺に登山参詣し御開扉を受けられました。こうした熱烈なる信仰の結果、長太郎氏の視力は奇跡的に回復し、その敬虔なる信仰体験に心打たれた白秋氏も入信され、翌年昭和十年正月二日に白秋氏が、三日、四日に北原家揃って総本山に登山参詣されました。

 その時、鐡雄氏によって総本山御経蔵付近から撮影された富士山の写真が下の写真です。また、妙眞寺の大過去帳には鐡雄氏の御両親や、鐡雄氏夫妻、教化親である西尾喜三郎氏の御法名が認(したた)められておりますが、北原白秋(隆吉)氏は享年五十八歳にて、昭和十八年十一月二日に逝去せられ、『世界之日蓮』誌主幹の小笠原慈聞師が、通夜にて読経・唱題・御回向されました。

 以上、北原家御一族の信仰の御紹介と致します。

北原鐡雄氏御両親(長太郎氏・シゲ氏)