雪山童子

 雪山童子については、釈尊が過去世において修行していた頃の説話で、『涅槃経第十四聖行品第七』に説かれています。
 雪山童子は雪山の山中において、既に外道の法に通達していたのですが、未だ真実の教えに縁することができず、毎日真理を求めて修行をしていました。
 ある時、その姿を見ていた帝釈天は、童子の求道の心を試してみようと、恐ろしい形相をした鬼神に身を変えて、童子の前に現れ、「諸行無常・是生滅法」と半偈を説きました。それを聞いた童子はこの上ない歓喜と更にその先を聞きたいという心に満ち溢れました。
 そして童子は鬼神に「どうか残りの半偈を説いて下さい」と懇願したのですが、鬼神は半偈を説く代わりに、お腹がすいているから童子を食べたいと言うのでした。しかし童子は迷うことなく「どうぞ残りの半偈を説いて下さい。もし聞かせて頂いたら、この身をあなたに差し上げます。」と言ったのでした。 すると鬼神は、「よし、それならば説いてあげよう」と言って残りの半偈を説いてくれることになりました。
 童子はすぐさま着ている服を脱いで地に敷いて、「どうぞここにお座り下さい」と言って、頭を地に付け、合掌して説法を待ちました。
 鬼神は言われるがままにそこに座り、そして「生滅滅已・寂滅為楽」と説きました。
 それを聞いた童子は更に喜びを増し、死んでも忘れまいと何度も繰り返し口ずさみ、又後でこの山を訪れた人にもこの尊い教えを知らせてあげようと、周りにある木々や石に、鬼神が説いた偈文を刻み付けました。
 童子は「もうこれで思い残すことは何もありません」と鬼神に言い、近くの高い木に登り、鬼神の前に飛び降りました。
 しかし、体が地面に叩き付けられる寸前、鬼神はもとの帝釈天の姿に戻り、童子を受け止めました。そして「あなたの尊い心を試した私をお許し下さい。あなたは本当の菩薩です。後世には必ず仏様になられるでしょう。その時は、この世における全ての衆生をお救い下さい」と言い、消えてしまいました。
 この雪山童子は後世で、釈尊として生まれ変わり、迷いの衆生に成仏得道の教を弘めたのでした。
 さて、鬼神が雪山童子に説いた「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」は「諸行無常偈」や「雪山偈」、又我が身を犠牲にしてまでも偈を聞いたので「施身聞偈」とも言いますが、その意味はというと、「世の中の森羅万象は全て無常であり、生滅を繰り返しているのである。この生滅の法に執着する心を滅するならば、それは一切の諸法を正しく悟り、寂滅の相を現じて真実の姿となる。」ということであります。又、日本には古来より伝わる「いろは歌」がありますが、それはこの雪山偈をもとに作られたといわれます。つまり、
いろはにほへとちりぬるを(諸行無常)わかよたれそつねならむ(是生滅法)
うゐのおくやまけふこえて(生滅滅已)あさきゆめみしゑひもせす(寂滅為楽)
ということです。つまりこの「いろは歌」も、はかなく過ぎてゆく人々の生涯において、恒常なものは何一つなく、ただめまぐるしく変化する世間の中で、あらゆるものが因縁を以って有為転変していく道理を正しく悟り、明日があると思いがちな人生を無駄なく過ごすことを促しています。
 これらの意味するところは釈尊が説かれた数多の教説の中の基本テーゼとして、又末法濁世の闇夜に、但煩悩・業・苦の三道に苦しむ一切衆生の足下を照らす月光の如くに、正道に向かわしめる指針ともいえます。
 要するに三世の生命の中、宿世の因縁における現世を宗祖日蓮大聖人が『松野殿御返事』に、
世の中もの憂からん時も今生の苦さへかなしし。ましてや来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ  (御書一〇五一頁)
と仰せの如くに仏道修行に励むべきであるということです。
 更にこの雪山童子の説話の中には、私達が、仏道修行をするに当たって、肝要とすべきことが説かれています。
 一つには、法を説く人がどのような人であっても、仏様の如くに敬い、更に法を求めるにおいては、とにかくも自分の命を惜しまないという、身軽法重・死身弘法の心を示してい.0ます。そして二つには、鬼神の説法を聞いた童子が、それを周りの木々や石に刻み付けたという化他の心、即ち自己満足だけではなく、他人にこの法を伝えたい、法を得た喜びを多くの人と分かち合いたいという菩提心を持たなければいけないことを示しています。
 今日、何よりも求むべきは自行化他に亘るところの仏道修行であり、私達は大聖人様の御金言を心肝に染め、御法主日顕上人猊下の御指南の下、雪山童子の求道の一念を深く心に刻み、あと一年余りに迫った来るべき平成十四年宗旨建立七百五十年の大佳節に向けて、尚一層の精進に励むべきであります。