疫病流行について ~新型コロナウイルス感染拡大に対して~ ④

疫(えき) 病(びよう) 流(りゆう) 行(こう) に 就(つい) て
                               日柱謹記

 大正七年の末より八年の春にかけて、世界感(かん)冒(ぼう)なる疫風(しつぷう)流行し、それに罹(かか)れる者、算なく、死亡者幾千万人と注せらる。依て予は曾(かつ)て御書の明鏡を掲げ、以て所見を披陳(ひちん)したりき。然るに本年に至て、亦た前年にもまさる悪症の感冒流行し、患者続出、殪(たお)るる者、日に幾百千人と称す。鳴呼(ああ)悲惨、転(うた)た同情に堪えず、故に復た一言なかるべからざるなり。
 弘安元年の頃、疫病流行せるに付き、大聖人、檀越に示して曰く、「夫(それ)、人に二病あり。一には身の病。所謂(いわゆる)地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病。此の病は治水・流(る)水(すい)・耆(ぎ)婆(ば)・扁(へん)鵲(じやく)等の方(ほう)薬(やく)をもって此を治す。二に心の病。所謂三毒乃至八万四千の病なり。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝の力及ぶべしや。又心の病に重々の浅深分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此を治す。大乗の華厳・般若・大日経等の経々をそしりて起こる三毒・八万の病をば、小乗をもって此を治すれば、かへりては増長すれども平愈全くなし。大乗をもて此を治すべし。又諸大乗経の行者の法華経を背きて起こる三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言・三論等をもって此を治すればいよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもって消しやすし。水より起こる火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上り高くあがる。今の日本国去(こぞ)・今年の疫病は四百四病にあらざれば華(か)陀(だ)・扁鵲が治も及ばず。小乗・権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人々のいのりも叶はず。かへりて増長するか。設ひ今年はとゞまるとも、年々に止みがたからむか。いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ。法華経に云はく「若し医道を修して方に順じて病を治せば更に他の疾を増し、或は復死を致さん。而も復増劇せん」と。涅槃経に云はく「爾の時に王舎大城の阿闍世王○遍体に瘡(かさ)を生ず。乃至是くの如き瘡は心より生ず。四大より起こるに非ず。若し衆生の能く治する者有りと言はゞ是の処有ること無し」云云。妙楽云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」云云。此の疫病は阿闍世王の瘡の如し。彼の仏に非ずんば治し難し。此の法華経に非ずんば除き難し」『中務左衛門尉殿御返事』(新編1239)。
 此等の御書、蓋し亦た現今の有様を照し鑑みるの明鏡にあらずや。斯く疫病が、去年よりも今年と、猖(しよう)獗(けつ)を逞(たくまし)ふし、一回は一回より、病害の猛烈を加うるは、これ何の禍(わざわい)に由るか。而して其全く終(しゆう)熄(そく)するに至るには、右の聖言中に「いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ」と宣へるが如き、最後大事出来に逢(ほう)着(ちやく)するの前(ぜん)徴(ちよう)にあらざるなきか。若し然れば其の最後の大事とは、果して善事か、将た悪事か、須らく注意誡慎を要すべし。
 抑も病を治せんとするには、其の根源を知るを要すとは古来の確言にして、事実も亦た然かなり。されば衛生上、人力の及ぶ限りを尽して予防すべきは、元より当然なりと雖も、若しそれ悪鬼乱入して、人を食するための疫病たるに於ては、唯だ一遍の鼻風として軽症視すべきにあらず。又た一片のマスク或は含(がん)嗽(そう)等の能く予防し得べき所ならんや。
 現今の有様を観るに、国民は、果して身心共に健全なりと謂い得るか。其の多くは、殆んど奢(しや)風、驕(きよう)風、惰(だ)風、慢(まん)風、邪(じや)風、貪(とん)風、瞋(じん)風、痴(ち)風等の悪風に冒されざるはなきにあらずや。然れば又た一種の感(かん)冒(ぼう)症(しよう)に罹れる者と謂ふべし。此等の病因、宛かも此れ大聖人の聖言に「見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此始めなり」『治病大小権実違目』(新編1238)と宣へるに在るにあらずや。是を以て魔風疫風の茲に便を得て、猖(しよう)獗(けつ)を逞(たくまし)ふする。亦た怪しむに足らざるべし。
 大聖人示して曰く、「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。をゝ心(むね)は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼらせ給ふなり」『四条金吾殿御返事』(新編1117)。
 而かも亦た世人此の八風に冒されざる者、果して幾許かある。斯くの如く世人はなんすれぞそれ悪風に冒され易きや。斯くして最後大事出来を招致する如きは、甚だ心なき所(しわ)為(ざ)なり。宜しく定業能転、転禍為福の要術を施すべし。唯だそれ尋常一様の処方にては、却て「定業の者は、薬変じて毒となる」の聖言に該当するの虞(おそ)れなきにあらず。抑も身心健全たらしむるは、乃ち身心の二病を防ぐの要法なり。其の健全と云ふは、先づ純正の信念充実にあるなり。若しそれ信念充実せば、身心共に健全にして魔風悪風の冒すべき余地ある事なけん。
 『四条金吾殿御返事』に曰く。「摩訶止観第八に云はく、弘決第八に云はく「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」云云。神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎなれども、つかう人によりて物をきり候か」(新編1292)。『立正安国論』に曰く、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(新編250)。
 故に要する所は、国民の純正信念堅固たるに在り。然るに目下又た前の諸病にまさるの重病ありて、人心に浸染せんとす。三正一貫の正道を罔(な)みするの邪教則ちこれなり。これを大謗法の重病と名く。大聖人嘗(かつ)て教示して曰く、「今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり。この病のこうずるゆへに、四海のつわものたゞいま来たりなば、王臣万民みなしづみなん」『妙心尼御前御返事』(新編900)とへるが、今やまさに外来の邪教なる大謗法の重病其一を増せり。此の重病恰かも「あまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず、人もしらぬ病なり」と宣へるが如きもの、これが種々に変化し来りて、人心を毒惑し、下剋上、背上向下、破上下乱なる危険症の大重病となる、此の病のこうずるとき、終に国家を亡滅にさずんば止まざらんとす。これが防止の方法、決して油断すべきにあらず。
 如上の諸病、大謗法の重病、これを退治するの大妙薬は、唯だそれ大聖人方剤の妙法丹(に)あるのみ。(完)
白蓮華 第15巻第2号(大正9(1920)年2月17日発行)

[本文]
「大正七年の末より八年の春にかけて、世界感冒なる疫風流行し、それに罹〈かか〉れる者、算なく、死亡者幾千万人と注せらる。依て予は曾て御書の明鏡を掲げ、以て所見を披陳したりき。然るに本年に至て、亦た前年にもまさる悪症の感冒流行し、患者続出、殪〈たお〉るる者、日に幾百千人と称す。鳴呼悲惨、転〈うた〉た同情に堪えず、故に復た一言なかるべからざるなり。」
[通解]
「大正7年(1917)の末より大正8年(1919)の春にかけて、世界感冒(スペイン風邪)という疫病の風邪が流行し、それに罹患する人々は数え切れないほどで(非算)、死亡者は数千万名もあり極めて注意しなければならない状況です。よって私(日柱上人)はかつて『御書の明鏡』(『白蓮華』第14巻第3号・大正8年3月7日)に一文を掲載して所見を述べました(披陳)。しかし本年(大正9年)に入って、更に前年(大正8年一度終息したスペイン風邪の猛威)にも勝るほどの悪(性)症(状)のスペイン風邪(感冒)が流行し、患者は続出し、罹患して亡くなられた方が一日に数万(=百千)人いると伝えられています。なんと(鳴呼)悲惨なことでしょうか。誠に同情の念に堪えません。故に再び申し上げさせて戴かなくてはなりません。」

[本文]
「弘安元年の頃、疫病流行せるに付き、大聖人、檀越に示して曰く(『中務左衛門尉殿御返事(二病抄)』一七三八)
夫、人に二病あり。一には身の病。所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病。此の病は治水・流水・耆婆・扁鵲等の方薬をもって此を治す。二に心の病。所謂三毒乃至八万四千の病なり。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝の力及ぶべしや。又心の病に重々の浅深分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此を治す。大乗の華厳・般若・大日経等の経々をそしりて起こる三毒・八万の病をば、小乗をもって此を治すれば、かへりては増長すれども平愈全くなし。大乗をもて此を治すべし。又諸大乗経の行者の法華経を背きて起こる三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言・三論等をもって此を治すればいよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもって消しやすし。水より起こる火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上り高くあがる。今の日本国去・今年の疫病は四百四病にあらざれば華陀・扁鵲が治も及ばず。小乗・権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人々のいのりも叶はず。かへりて増長するか。設ひ今年はとゞまるとも、年々に止みがたからむか。いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ。法華経に云はく「若し医道を修して方に順じて病を治せば更に他の疾を増し、或は復死を致さん。而も復増劇せん」と。涅槃経に云はく「爾の時に王舎大城の阿闍世王○遍体に瘡を生ず。乃至是くの如き瘡は心より生ず。四大より起こるに非ず。若し衆生の能く治する者有りと言はゞ是の処有ること無し」云云。妙楽云はく「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」云云。此の疫病は阿闍世王の瘡の如し。彼の仏に非ずんば治し難し。此の法華経に非ずんば除き難し。」(1239~40)
[通解]
「弘安元年(1278)頃、日本に疫病が流行しました。これについて大聖人は檀越(四条金吾殿)に御教示されました。すなわち『中務左衛門尉殿御返事(二病抄)』(御書1738)には、
「およそ人には二種類の病気があります。一つは身体の病気です。いわゆる四大の中の地大に百一・水大に百一・火大に百一・風大に百一の合わせて「四百四病」があります。これらの病気は古代インドの名医といわれた治水とか流水、耆婆や中国古代の名医といわれた扁鵲等の医薬によって治すことができます。二つには、心の病気です。いわゆる貪・瞋・癡の三毒や八万四千もの煩悩の病です。心の病は、仏の力でなければバラモンの神である二天・三仙でも、治癒することはできません。まして儒教の神農・黄帝の力など及ぶものではありません。また心の病に浅深軽重が種々に分かれています。すなわち六道を輪廻する凡夫の貪、瞋、癡の三毒を始め、八万四千の煩悩による心の病は、小乗の三蔵経で教えを立てた?舎宗、成実宗、律宗等の仏でも治癒できます。しかし、大乗経典の『華厳経』『般若経』『大日経』等の経々を誹って起こる所の三毒八万四千などの諸病は、小乗経典で治癒しようとすれば、かえって病気が悪化することはあっても決して完治しません。その場合は大乗経典をもって治癒する以外にはありません。また大乗経典を信ずる者が『法華経』に背いて起こした三毒八万四千の病は、『華厳経』『般若経』『大日経』等の真言宗や三論宗等の教法で治癒しようとすれば、かえって病気を重くするばかりです。譬えれば、木や石が燃えている時の火は、水で消すことができます。しかし水から出た火は、水をかければ、かえって火の勢いが増して、炎が高く燃え上がってしまうようなものです。今の日本国に去年から今年にかけて流行している疫病は、身の病の「四百四病」ではありませんから、華陀、偏鵲などの名医の治療では完治しません。また小乗教、権大乗教でも治癒できる八万四千の軽い心の病でもありませんから、諸宗(謗法)の人々が祈っても叶うはずはなく、反って重くなるのでありましょう。たとえ今年は流行が止まったとしても、年ごとに起こってくるでしょう。決局、最後は一大事が起きた後に初めて終息するのかもしれません。『法華経』(譬喩品第三)には「若し、医道を学び、その手立てに従って病気を治癒しようとすれば、さらに他の病気を併発したり死に至ることもあります。しかもまた病気の勢いを増すであろう」とあります。『涅槃経』には「その時に王舎大城の阿闍世王の全身に悪瘡が出来ました。(中略)このような悪瘡は阿闍世王の心から起こったのです。地・水・火・風の四大から起こったのではありません。若し人が医術で治癒しようとしても、決して完治する道理はありません」云云とあります。妙楽大師の『法華文句記』には「智慧のある人は将来に起こるべきことを知り、蛇も自ら蛇を知っているのである」云云とあります。今、日本の国に流行している疫病は、阿闍世王の悪瘡のようなものであります。阿闍世王の悪瘡は釈尊でなければ治癒することができませんでした。今、日本国に流行している疫病は、『法華経』に依らなければ取り除くことはできません。」

※本抄は「身心の病」を説くため、別名を「二病抄」とも言います。(御真筆は京都都立本寺現存)
本抄に「日蓮下痢去年十二月三十日事起り、今年六月三日・四日、日日に度をまし月月に倍増す」とあるように大聖人が半年も罹患されていたため、四条金吾殿が調合した薬を御供養申し上げたことへの御礼です。最初に病気に身と心の二つの病があると示され、身の病は名医の薬で治癒しても、心の病は浅深があり『法華経』『涅槃経』『法華文句記』を引かれ、心の病気の根本的な治療は、正法での治癒以外にはないと御教示されています。結びには四条金吾殿が調合し御供養された薬で大聖人の病気が快癒されたことを喜ばれ、金吾殿を賞賛し深く感謝されています。

[本文]
「此等の御書、蓋し亦た現今の有様を照し鑑みるの明鏡にあらずや。斯く疫病が、去年よりも今年と、猖獗〈しょうけつ〉を逞〈たくまし〉ふし、一回は一回より、病害の猛烈を加うるは、これ何の禍に由るか。而して其全く終熄するに至るには、右の聖言中に「いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ」(1240)と宣へるが如き、最後大事出来に逢着するの前徴にあらざるなきか。若し然れば其の最後の大事とは、果して善事か、将た悪事か、須らく注意誡慎を要すべし。」
[通解]
「これらの(大聖人の)御書(の御教示)は、確かに(=蓋し)また現今の(スペイン風邪流行の現状の)有り様を照らし鑑みる明鏡と言えるのではなかろうか。この(スペイン風邪の)疫病が去年(大正8年)よりも今年(9年)と猖獗〈しょうけつ=悪い物事がはびこり、勢いを増し、猛威をふるうこと〉を逞〈たくましく=ほしいままに〉し一度は(終息しながらも)、さらに前回よりも病気の害独が(世界中の人々に)猛烈な(猛威を)加えている状況は、これは何の禍いに由るものだろうか。かくしてその(スペイン風邪流行)を全て終熄(終息)させるためには、右の大聖人の御金言に「いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ」と御教示されているように最後の一大事が出来することに出くわす(=逢着)前徴(しるし)なのではないだろうか。もしそうであれば最後の一大事とは果たして善い事なのか、はたまた悪い事なのか、当然(=須く)注意と誡慎(言動を誡め慎むこと)が必要ではないか。」

[本文]
「抑も病を治せんとするには、其の根源を知るを要すとは古来の確言にして、事実も亦た然かなり。されば衛生上、人力の及ぶ限りを尽して予防すべきは、元より当然なりと雖も、若しそれ悪鬼乱入して、人を食するための疫病たるに於ては、唯だ一遍の鼻風として軽症視すべきにあらず。又た一片のマスク或は含嗽等の能く予防し得べき所ならんや。」
[通解]
「そもそも病気を治癒しようとするためには、その(病気の)根源(根本原因)を知ることを必要とすることは古来の確言であり、実際(事実)そうである。そうであれば、衛生上では、人(間の能)力(=人智)の及ぶ(可能性の)限りを尽くして(病気を)予防しなくてはならないことは、もとより当然でありますが、もしもそれら(例えば今回のスペイン風邪流行など)に悪鬼(魔神)が乱入し、人(の命)を食する(奪う)ための(伝染病のような)疫病であれば、単なる一遍(従来)の鼻風のような軽症の病気と見(視)てはなりません。また一片のマスクや含嗽(うがい)等でよくよく予防することを徹底すべきでありましょう。」
[本文]
「現今の有様を観るに、国民は、果して身心共に健全なりと謂い得るか。其の多くは、殆んど奢風、驕風、惰風、慢風、邪風、貪風、瞋風、痴風等の悪風に冒されざるはなきにあらずや。然れば又た一種の感冒症に罹れる者と謂ふべし。此等の病因、宛かも此れ大聖人の聖言に「見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此始めなり」(『治病大小権実違目』1238)と宣へるに在るにあらずや。是を以て魔風疫風の茲に便を得て、猖獗〈しょうけつ〉を逞〈たくまし〉ふする。亦た怪しむに足らざるべし。」
[通解]
「現今の(スペイン風邪の)有様を観ると、国民は、果たして身心共に健全であると言い切れるのでしょうか。国民の多くは、ほとんど奢風(贅沢)、驕風(驕り)、惰風(怠惰)、慢風(慢心)、邪風(邪念)、貪風(むさぼり)、瞋風(いかり)、痴風(愚癡)等の悪い風に冒されているのではなかろうか。そうであればまた(スペイン風邪流行以前から)一種の感冒症に罹患している者と言うべきでしょう。こられの病(気の原)因は、あたかも以下の大聖人の御聖訓(御金言)に「見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此始めなり」(『治病大小権実違目』御書1238)と御教示されていることではありませんか。(御金言に明らかなように)これ(元品の無明を起こした私達凡夫の命)によって(悪鬼)魔(神)の風(がスペイン風邪という)疫(病の)風を吹かし、そこに便りを得てさらに悪い疫病が世界にはびこり勢いを増し猛威を奮っているのです。それにはまた疑念の余地はありません(=怪しむに足らない)。」

[本文]
「大聖人示して曰く(『四条金吾殿御返事』)賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をゝ心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼらせ給ふなり。」
[通解]
「大聖人は『四条金吾殿御返事』に賢人は八風に冒されないので賢人と言います。八風とは利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽(利益、老衰、毀損、名誉、称賛、罵詈、苦難、悦楽)です。大旨(おおむね)は、利益(利潤)があっても一喜(一憂)せず老衰しても嘆かないなどです。この八風に冒されない人を、必ず諸天は加護されます。と御教示されています。」

[本文]
「而かも亦た世人此の八風に冒されざる者、果して幾許かある。斯くの如く世人はなんすれぞそれ悪風に冒され易きや。斯くして最後大事出来を招致する如きは、甚だ心なき所為なり。宜しく定業能転、転禍為福の要術を施すべし。唯だそれ尋常一様の処方にては却て「定業の者は薬変じて毒となる」の聖言に該当するの虞れなきにあらず。抑も身心健全たらしむるは乃ち身心の二病を防ぐの要法なり。其の健全と云ふは先づ純正の信念充実にあるなり。若しそれ信念充実せば身心共に健全にして魔風悪風の冒すべき余地ある事なけん。」
[通解]
「しかもまた世の中の人でこの八風に冒されていない者はなど果たして幾人いるでしょうか。このように世の人々はどうしてこの悪風(八風)に冒されやすいのでありましょうか。かくして最後の一大事の出来することを招いてしまうようなことは、甚大なる心なき仕業です。(今こそ)宜しく「定業を能く転ずる」「禍転じて福と為す」ことの可能な大聖人の三大秘法という要法(妙法・仏法)の秘術(功徳)を施すべきです。ただ、それには尋常(普通の)一様(一般)の処(置)方(法)では、逆に「罪業の定まった者は薬も毒に変えてしまう」(『四条金吾殿御返事』御書1291)の御聖訓に該当する恐れがあります。そもそも身心を健全にできるということは、すなわち(大聖人の仏法は)身心両面の病気を防ぐ要法だからです。その健全さ(を心がける)には、まず純粋で正しい信念(信心)の充実にあります。もしその信念が充実すれば身心は共に健全となり、悪鬼魔神の病魔の風に冒される余地などありません。」

[本文]
「『四条金吾殿御返事』に曰く摩訶止観第八に云はく、弘決第八に云はく「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」云云。神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎなれども、つかう人によりて物をきり候か。」
[通解]
「『四条金吾殿御返事』(御書1292)に曰く、『摩訶止観』の第八ならびに『弘決』の第八には「必ず信心を堅固にするによって諸天善神の守護の威力(威勢)もすなわち強くなる」とあります。諸天善神が守護されます。と(天台大師や妙楽大師が)申された言葉は(再往)人々の信心の強さによるものと拝されます。『法華経』(大聖人の仏法=三大秘法)は良く切れる剣(=諸天善神の守護が必ずある)であっても、それを使う(=信仰する)人々(の信心の強さ如何)によって物を切れるか否か(=諸天善神の守護の有無)も決まります。」

[本文]
「『立正安国論』に曰く、汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。(250)故に要する所は、国民の純正信念堅固たるに在り。然るに目下又た前の諸病にまさるの重病ありて、人心に浸染せんとす。三正一貫の正道を罔〈な〉みするの邪教則ちこれなり。これを大謗法の重病と名く。」
[通解]
「『立正安国論』(御書250)には「あなた(北条時頼=最明寺入道)のような日本国の指導的な立場にある人こそ率先して、早く信仰の寸心(ほんの少しの気持ち)を正してすみやかに真実の仏法に帰依しなさい。そうすれば欲界、色界、無色界の三界は全て仏の国土となります。仏国土となればどうして衰微することがありましょうか。十方の国土はことごとく尊い宝の国土となります。宝の国土がどうして破壊されることがありましょうか。 国に衰微することなく、国土が破壊されることがなければ、国主も国民の身も安全にして人々の心は安定することでしょう。 この仏の教え、仏の金言(正しい仏法)を信じなさい、崇めなさい。 と御教示されています。故に(これまでに私日柱上人の述べて来たことは)要するに日本国民が純(粋)な正(しい信心の)信念を堅固することにあります。しかるに目下(の問題としては)また前の諸病(四百四病・八風)よりもひどい重病があります。その重病が人々の心に浸染しようとしています。三正(さんせい=《「書経」甘誓》天・地・人の三つの正道。《「礼記」哀公問》君臣、父子、夫婦の三義を正しく守ること)を一貫して説く正法正義(仏法)の正しい信心の道に罔(くらい・なみする=ないがしろにする)外道の邪教(キリスト教・耶蘇教)である。これを大謗法の重病と名づけます。」

[本文]
「大聖人嘗て教示して曰く、(『妙心尼御返事』一七六六)今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり。この病のこうずるゆへに、四海のつわものたゞいま来たりなば、王臣万民みなしづみなん。(900)とへるが、今やまさに外来の邪教なる大謗法の重病其一を増せり。此の重病恰かも「あまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず、人もしらぬ病なり」(900)と宣へるが如きもの、これが種々に変化し来りて、人心を毒惑し、下剋上、背上向下、破上下乱なる危険症の大重病となる、此の病のこうずるとき、終に国家を亡滅にさずんば止まざらんとす。これが防止の方法、決して油断すべきにあらず。如上の諸病、大謗法の重病、これを退治するの大妙薬は、唯だそれ大聖人方剤の妙法丹あるのみ。(完)」
[通解]
「大聖人がかつて御教示された『妙心尼御返事』(御書900)に「今の日本国の人々は一人も残らず極大重病にかかっている。いわゆる法華誹謗の大謗法の重病である。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言宗の僧侶がそうである。これ等はあまりに病が重いので、自分の身に自覚出来ず、他の人々も知らぬ病である。この謗法の病が一層つのるので一天四海の兵士達が日本の国に攻めて来て国王も臣下も万民も皆亡ぼされ、海に沈むだろう。」と御教示されていますが、今や、まさに外来の邪教(耶蘇教)という大謗法の重病が日本に入ってきたため、さらにもう一つ増してしまった。この重病はあたかも「これ等はあまりに病が重いので、自分の身に自覚出来ず、他の人々も知らぬ病である。」と大聖人が御教示されたようなものであり、この害毒が種々に変化を遂げて来て人々の心を害毒で惑わし、下剋上、背上向下、破上下乱等の危険な症状をもつ大重病に疾患させています。この病気がつのれば終に日本の国家を衰亡滅亡するまで止むことはありません。これを防止する方法を決して油断してはなりません。前掲の諸病、大謗法の重病を退治する大妙薬は大聖人の処方された妙法の丹薬だけです。(完)」