三 世 の 生 命 ~原因と結果~
およそ、世の中の物事で、原因なくして結果が生じたり、原因はあるのに結果が生じない、などということは何ひとつありません。
私達の人生における苦・楽や幸・不幸も、また偶然によるものではなく、何がしかの原因が招いた結果であるはずです。
仏法では、私達の人生の幸・不幸が、三世(過去・現在・未来)にわたる因果の理法によって定まることを説き明かしております。
たとえば、『心地観経』という経典には、「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」と説いています。
すなわち、自分自身の過去からの善悪さまざまな行いの集積が、宿業(善業と悪業とがある)となって生命に刻みつけられ、それが現在の人生に苦・楽や幸・不幸という果報をもたらしている。そして、また現在に作っている原因は、新たな宿業として生命に刻まれ、必ず将来にその果報が現われる、ということであります。
この因果の理からすれば、生まれついての病や貧富の差などは、今生に生を受ける以前、すなわち過去世において原因が作られており、また、今生で果報を受け終わらなかった宿業は、死後、未末世へと持ち越すことになります。 大聖人様は、「病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし」(御書一〇六七㌻)と仰せですが、不幸の起こりを知らぬ者が、いかに不幸を取り除こうと努力しても、結局、何ひとつとして解決できなかったり、また一時は解決したかのように見えても、また他の悩み苦しみが起きてきて、不幸を免れることはできません。
たとえば、病気になる原因についても、種々考えられましょう。 しかし、それらの原因の奥に、さらにそれを招き起こした根本原因―正法誹謗の宿業―があったならば、いかに病院を訪ねまわっても、また、いかなる良薬を求めても、これを治療できない場合が多く、さらには病気の再発や他の苦しみが起こってくる場合すらあるのです。
したがって、大切なことは、まず、不幸のよって来たる真の原因が、過去からの謗法罪障にあることを知り、その悪業を消滅させることであります。さすれば、そこに、あらゆる人生の苦悩と不幸を解決していくことができるのです。
その具体的な方途としては、日蓮大聖人様がお認めになられた大御本尊様に信順することによってのみ消滅できうるのであります。