内 典 の 孝 経

 御当代日如上人猊下の御尊父で、今は亡き観妙院日慈上人は常々、折伏はもちろんでありましたが、「大聖人の仏法は親孝行の仏法だ」(趣意)と御指導せられていました。
 大聖人様は『開目抄』に、
 「法華経已前等の大小乗の経宗は、自身の得道猶(なお)かなひがたし。何(いか)に況(いわ)んや父母をや。但(ただ)文のみあって義なし。今、法華経の時こそ、女人成仏の時、悲母の成仏も顕はれ、達多の悪人成仏の時、慈父の成仏も顕はるれ。此の経は内典の孝経なり」   (御書 五六三頁)
と仰せられて、法華経以前の爾前権教では、自分自身でさえも成仏できないのに、両親を成仏させることなど到底出来るはずがない。爾前経はただ文があるだけで、全く義がない。法華経に来たって初めて女人成仏・悪人成仏が明かされ、男女ともに成仏が叶うと示されているのであるから、法華経は内典の孝経であると仰せであります。
 御当代日如上人猊下は、
 「『孝経』とは親孝行の経ということです。法華経は過去、現在そして未来において、一切の父母の成仏をかなえるところのお経でありますので『内典の孝経』というのであります。今日(こんにち)、我々がお題目を唱え、その功徳を回向するということが、まことに大事なのであります」(平成十九年七月十五日
 夏期講習会第八期御講義)
と御指南くださっています。
このように、我々が大聖人様の正しい仏法を信じ行ずる上において、御本尊様にしっかりお題目を唱え、その功徳を父母に回向し、成仏を叶えることができるから孝養、即ち親孝行ということになるのであります。
ではどのように信心をすればよいのかといえば、自行化他の信心と言われますように、勤行、唱題、折伏ということにつきるのでありますが、中でも折伏がとても重要であります。
『盂蘭盆御書』に、
「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし」(御書 一三七六頁)
とあり、自分自身が成仏できなければ父母を救うことはできないとされ、まず自身の成仏が何よりも大切であることをお示しです。今の時、我々が成仏するためには、やはり折伏を行じていく以外にありません。
『曾谷殿御返事』に、
 「謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」
(御書 一〇四〇頁)
と仰せの御指南を肝に銘じ、自身の成仏こそが真実の親孝行となることを固く信じ、その為の折伏行に精進してまいりましょう。