仏のお計らい   ~池上兄弟~

 日蓮大聖人様の御信徒に、池上兄弟(兄・宗仲(むねなか)、弟・宗長(むねなが))という方がおられます。池上家は代々鎌倉幕府の作事(さくじ)奉行(ぶぎょう)(土木建築)に任ぜられる家柄で、特に兄の宗仲は、仕事、信仰、共に熱誠(ねっせい)溢(あふ)れる人物として知られています。
 さて、弘安(こうあん)三年、鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)(八万神は源氏の氏神(うじがみ)、国家守護の武神(ぶしん)として崇められていました)が火災により消失し、幕府は即座に再建の準備を始めます。
 世間の人達は、これまでの信用、実績から「この仕事は池上奉行だろう」と考え、おそらく兄弟自身もそれを期待したものと思われます。
 ところが、蓋(ふた)を開(あ)けてみれば、その請(う)け負(お)いは他の奉行で、任をはずされた池上家は、大いにプライドを傷つけられました。これまでの仕事への誇りが強い分だけ、怒りや悲しみも大きくなります。
 思い余った兄弟は、大聖人様にご教示(きょうじ)を願ったのでした。
 これに対し、大聖人様の御返事は懇切(こんせつ)丁寧(ていねい)ながら、その内容は厳しいものでした。
 まずは、世間常識の立場から、「貴家は親の代から奉行の職を頂き、既(すで)に充分な御恩を受けた身である。一事が通らずと言って、上(かみ)を怨(うら)むべきではない」と諭(さと)し、更に仏法の上からは、
一、 八幡宮の焼失は、法華経に背(そむ)く日本国の守護を、神自身が放棄した姿であり、世の誤れる宗教を放置して神殿だけを再建するのは無意味である。
二、 二度目の蒙古襲来は目前であり、日蓮門下の手により八幡宮を造営すれば、世間の者は、「池上の信仰のせいで他国の侵略を受けた」と批難する。よって造営の任からはずされた事は、仏のお計(はか)らいとして有り難く受けるべし。
と教えられ、最後には念を押すように、
「返す返す穏便(おんびん)にして、あだみうらむる気色(けしき)なくて、身をやつし、下人(げにん)をもぐ(具)せず、よき馬にものらず、のこ(鋸)ぎり・かな(鎚)づち手にも(持)ちこし(腰)につけて、つねにえ(笑)めるすがたにておわすべし。此(こ)の事一事もたがへさせ給ふならば、今生(こんじょう)には身をほろぼし、後生(ごしょう)には悪道に堕(お)ち給ふべし」
        (御書 一五五八㌻)
と述べられています。
 池上兄弟の「プライド」が専(もっぱ)ら世間の評価・面(めん)子(つ)を保つ事に向けられたものであるのに対し、大聖人様のお教えは、そのようなものを超越した所にあります。
 小さなプライドが壊され、恥をかき、涙をのむ。それは仏様があなたを守り、魂を育てる為の大切な手立てなのだ、と。
 日蓮大聖人様のこのようなお教えが、多くの現代人の心を救う事を、私達は信じています。

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