九 思 一 言

 日蓮大聖人様の御信徒に、四条(しじょう)金吾(きんご)頼基(よりもと)という、鎌倉武士がおられました。
 幕府・北条家の江間(えま)殿に仕(つか)える有力武士で、今風に言えばエリートサラリーマンです。
 漢方・投薬の術にも長(た)け、主君からの信頼は厚いものがありました。
 仕事にも信仰にも熱心、正直で剛直な人柄ですが、反面、短気・短慮の気性で自尊心が強く、他者への思いやりにやや欠けるところが玉に瑕(きず)でした。
 このような性格が災(わざわ)いしてか、主君・江間殿との間に不協和音が生じた時、同僚の武士達はこぞって四条氏の欠点をあげつらい、四条氏は主君の信頼を失ってしまいます。
 エリートコースから外され、窓際へ追われた氏は、大聖人様の教導と励ましによって、長い冬の時代を耐え忍びますが、そんな四条氏に、復活のチャンスが訪れます。
 主君の江間殿が病に倒れ、四条氏の医術に頼らざるを得なくなったのです。
 勇んで主君の許(もと)へ出向こうとする氏に、大聖人様は種々の注意を与えられました。
 ・治療に赴(おもむ)く時は、派手な服装や態度は  控える事。
 ・氏の復帰を憎(にく)む者の襲撃に注意する事。
等々ですが、別(わ)けても大切なお教えは、あなた自身の中に本物の宗教心を育てなさい、人を敬う事を知りなさい、というものです。
 大聖人様は四条金吾殿に語りかけます。
 「孔子と申せし賢人は九思一言とて、こゝの(九)たび(度)おもひて一度(ひとたび)申す。周(しゅう)公旦(こうたん)と申せし人は沐(もく)する時は三(み)度握(たびにぎ)り、食する時は三度は(吐)き給ひき。(中略)法華経の修行の肝心は不(ふ)軽(きょう)品(ほん)にて候なり。不軽菩(ぼ)薩(さつ)の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐(ほんがい)は人の振(ふ)る舞(ま)ひにて候ひけるぞ。」
(『崇峻天皇御書』 一一七四㌻)
 中国の孔子は、一言発するにも九度も考え直したと言います。それは自らの一言が誰かを傷つけたり、困らせたりすることはないか、という配慮です。
 同じく中国古代の周王朝の時、人事登用を任された周(しゅう)公旦(こうたん)は、任官希望者との面接に決して人を待たせる事をしませんでした。入浴中に人が来れば、髪を洗っている途中でも、三度まで即座に応じ、食事中に人が来れば、三度まで吐き出して、これに応じたと言います。
 更に、法華経に説かれる不(ふ)軽(きょう)菩(ぼ)薩(さつ)は、徹底して「あらゆる人の生命に仏性がある」と人を敬い、道で行き交う人々に合掌礼拝の行を続けました。仏様の教えとは、人の振る舞い、生き方を教えられているのです。
 このようなお教えをいただいた四条氏は、自分の欠点を克服し、やがて主君に認められ、信頼を回復してゆくこととなります。
 さて現代に生きる私達も四条氏と同じような欠点をもっているのではないでしょうか。
 日蓮大聖人様の教えと信仰は、欠点だらけの私達の内面に光をあて、桜梅桃(おうばいとう)李(り)、その人ならではの花を咲かせて生きることを教えてくれます。
 あなたもそんな生き方ができるよう、日蓮正宗の信仰をしてみませんか。お近くの日蓮正宗の寺院を尋ねてみて下さい。