王様と学者  ~四苦八苦を越えて~

 昔、ある国の王様が、人類の歴史を学びたいと思い、学者に命じて書物を作らせました。そこで、学者は三十年の歳月を費(つい)やして百巻の書を作り上げたのです。
 ところが、王様は政務(せいむ)に忙しくて読む暇(ひま)がない。そこで「もう少し簡略にまとめるように」と命じました。学者は更に十年かけて十巻にまとめます。
 しかし、この時、王様は老齢(ろうれい)になっていて十巻の書物すら読破(どくは)する気力がありません。そこで「もっと短くせよ」と命じ、学者は更に三年かけて一巻の書物にまとめあげました。
 しかし、この時、王様は既に臨終(りんじゅう)を迎える床(とこ)の上です。王様は「その一巻の書物を、短い言葉にして、今聞かせよ」と言い、学者は王様の耳元で「人は生まれる、人は苦しむ、そして人は死ぬ・・・これが人類の歴史でございます」と。王様はこの短い言葉をつぶやきながら大きく頷(うなず)き、微笑(ほほえ)んで亡くなられました。
 さて、仏教では、この苦しみを四苦八苦(しくはっく)と説きます。四苦とは生・老・病・死。八苦とは、前の四苦に愛別(あいべつ)離苦(りく)・怨憎(おんぞう)会苦(えく)・求不得苦(ぐふとっく)・五陰(ごおん)盛苦(じょうく)を合わせた八つの苦しみです。
 人間に生まれてきた以上、年を取り、病気になり、何(いず)れ死を迎えることは避(さ)けられない事実です。
 更に日常的な苦として、愛する人と別れ離れなくてはならない苦しみ(愛別離苦)、憎(にく)くて嫌(きら)いな人と顔を合わせなければならない苦しみ(怨憎会苦)、どんなに欲しくても求めても得ることが出来ない苦しみ(求不得苦)、自らの眼や耳、心から起こる様々な欲や悩(なや)みによる苦しみ(五陰盛苦)はつきものです。
 しかし、これらの苦しみに埋没(まいぼつ)してしまったのでは、人生は苦痛(くつう)だらけでつまらないものとなってしまうでしょう。
 日蓮大聖人様は「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。」
(『四条金吾殿御返事』御書九九一㌻)とお示しです。御本尊様に南無妙法蓮華経とお題目を唱えていく時、必ず仏様の智慧(ちえ)を頂き、心は浄化され、苦しみの意味を知り、そして、苦しみに直面した時の心持ちが明らかに落ち着いたものとなるのです。これこそが信仰の醍醐味(だいごみ)と言えましょう。仏の悟りは、決して私達と別次元(べつじげん)にあるものでなく、自らの内心(ないしん)に存するものです。
 是非、一度、御本尊様に向かい心清くお題目を唱えてみませんか。お近くの日蓮正宗寺院を訪ねてみて下さい。