なぜ折伏をするのか?

 折伏(しやくぶく)とは日蓮大聖人の教えの尊(とうと)さと、自ら体得した信心の感動を一人でも多くの人に語り伝えることです。
 人が幸せになるためには、どうすればよいか、それは間違った宗教を捨てて、正しい御本尊様を頂き、題目を唱えることにあります。
 御法主上人は、
「末法(まっぽう)の衆生(しゅじょう)は邪義(じやぎ)邪宗(じやしゆう)の害毒(がいどく)によって毒気(どっけ)深入(じんにゆう)して正法(しょうぼう)の功徳を理解し難(がた)く、故(ゆえ)に正法を説くに当たっては、ただ折伏を以(もつ)てすることが大事なのであります」と御指南されています。

 

 折伏とは、病気の子供が薬を飲まない時、親が無理をしてでも飲ませるのと同じです。なぜなら、大聖人の仏法は、大良薬(だいろうやく)に譬(たと)えられ、人間が生きてゆく真理が説かれているからです。真実の仏法を知らない人は、苦悩と不幸を招いている原因に気付かずに、一生を虚(むな)しく送ることになります。そのようなことのないよう、真実の仏法を一人でも多くの人に伝えたいと思う慈悲(じひ)の心が、折伏という行動として現れてくるのです。正しい仏法を全世界に広めていくことは、御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人の大願(だいがん)であり、折伏行は、仏様と同じ振る舞いとなり、その功徳は広大であると説かれています。

 

 実際に折伏を行うには、歓喜(かんぎ)と確信なくしては、仏法のすばらしさと邪義(じやぎ)謗法(ほうぼう)の恐ろしさは語れません。よって歓喜と確信は、御本尊様に、毎日かかさず勤行と唱題を真剣に実践することで、心の底から湧(わ)き上がるのです。 そして自分の体験をありのままに語ってみましょう。たとえ他人を驚(おどろ)かせるようなドラマチックな話でなくても、『信心して良かった』、『御本尊様を信じて勇気が湧いてきた』、『他人の幸せを願える自分になれた』、『自分自身と正直に向き合うこと が出来た』、『日々向上していることを実感する』なども立派な体験談であり、事実に基(もと)づく体験だからこそ、生きた形で仏法の力が相手に伝わり、悩める人や苦しんでいる人の心に訴える力が最も強いのです。 私達は深い仏縁(ぶつえん)の下(もと)に生(しょう)を受け、御本尊様に守られ、信心によって福徳を積める我が身を感謝し、臆(おく)することなく多くの人に爽(さわ)やかな笑顔で信心のすばらしさを語っていきましょう。