命を救った残飯(平成26年8月)
今月は、自分たちが粗末にしたお米が、自分たちの命を救ったお話です。
そのむかし中国・唐(とう)の時代に王涯(おうがい)という宰相(さいしょう)(皇帝の家来の代表)がいました。王涯は大きなお屋敷に、20人の家族と親戚数十人と共に住み、使用人は数百人いました。
そして、その屋敷のとなりにはお寺が建っていました。
お屋敷とお寺の敷地の境には、小さな川があって、王涯の屋敷の台所から毎日、料理に使った水や、食器やなべなどを洗った水が流れていました。
そんなある日のこと、お寺の住職がさんぽの途中、小川を流れる水の中に白いかたまりがあるのにきづきました。
なんだろうと手に取って見ると、それは上等な白米でした。
王涯一家の食べ残した残飯が、洗い物と一緒に流れていたのです。
王涯は、国でも重要な地位にいましたので、それはぜいたくな暮らしをしていました。
だから、多少のご飯も大事にせずに、すべて捨てていたのでしょう。
住職は、小川を流れてくるお米を見て、「これはもったいない。干し米にして取っておいたら、きっと役にたつ時がくるであろう」と思い、お寺の小僧さんたちを呼んで、川から網でお米をすくい、きれいな水でよく洗って日干しして、すっかり乾いたお米を大きな瓶にいれさせました。
毎日毎日その作業は続き、3年で10個の大きな瓶がいっぱいになりました。
これだけあれば、不作の時に食べるものが無くなっても大勢の人が助かります。
小さなことも積み重ねると大きな成果になって表れるのです。まさしく「継続は力なり」ということです。
その後、王涯の身に大事件がおこりました。
宰相の位は今の総理大臣ぐらいの高い地位です。王涯は皇帝の信頼があるのをいいことに、いつの間にかその権利を利用して、不正なことを行ったり、人々に高い税金を払わせたりして、王涯の一族だけが繁栄していました。
しかし、いくら隠れて悪いことをしても、悪事はいつか必ず明らかになるものです。
王涯の長年の悪行も皇帝の知るところとなり、王城のろう獄にらわれてしまいました。
主人がいなくなった王涯の屋敷では、使用人たちが勝手な行動を取り始めました。
「どうせご主人はもう帰ってくることはないだろうから、退職金代わりにもうらうものはもらっていこう」と、数百人の使用人が金、銀、財宝、馬や家具、食べ物、着る物まで、何も残らないくらい持ち出していってしまいました。
何もなくなった王涯の屋敷は、家族20人だけがポツンと残されました。
食べ物はもう何も残っていないし、子供たちはおなかがすいて、泣き出してしまいました。
昨日までの生活とはまるで正反対、一気に地獄に突き落とされたようなもので、その悲しい声がお寺まで聞こえてきました。
そうした様子を知った住職は、大きな瓶に蓄えておいたお米を水に浸して軟らかくし、それを蒸して王涯の家に届けました。
王涯の家族はビックリしました。
さっそく家族たちが食べてみると、「こんなおいしいお米は食べたことがありません。お寺ではこんなお米を食べているのですか?」と住職に尋ねると、「いやいや、これはあなたの家の台所から流れ出た残飯ですよ。もったいないから、こうして集めて食べ物がない時に役立てたらと思い、取っておいたのです」と言いました。
王涯の家族は「お米一粒でも、百姓の人たちが一生懸命作った大事なお米なのに、こんな大きなかめがいっぱいになるまで食べ物を粗末にしていたなんて。今回の悲惨な状況は当然の報いです」と、涙を流して深く反省しました。
それからは一粒のお米も粗末にせず、過ごしたそうです。
皆さんは、食べ物を好き嫌いしていませんか?お父さんやお母さんが作ったご飯を残したりしていませんか?お米を一粒残らずきれいに食べていますか?
食べ物を粗末にすると、その報いが必ず自分に返ってきますし、何より農家の人たちが苦労して一生懸命作ったお米や野菜や果物、お肉やお魚も、有り難いと思って食べることが大事です。
また、色々な人に買ってもらったり、プレゼントされた物も食べ物と同じように、感謝の気持ちをもって大切にして下さい。