馬面になったおかみさん (平成29年1月)
むかし、修行しながら旅をしていた僧侶がある大きな家の前にやってきました。
その家はお金持ちの家でお手伝いさんが何人も働いており、そのうちの一人に心のやさしいお松というお手伝いさんがいました。
お松は玄関先を通り過ぎた僧侶を見つけ何か差し上げたいと思い、台所にお餅が沢山余っていたので、紙に包んで十個ばかり僧侶に渡しました。
その僧侶はお松に深く頭を下げ合掌して立ち去りました。
丁度その様子を見ていたその家のおかみさんは、お松に何を渡したのかを問いただしました。
そしてお松は、
「申し訳ありません。勝手なことをしました。申し訳ありません」と謝りました。
更におかみさんは、
「たとえ余った餅でも、あんなこじき坊主にやることはないんだよ。早く追っかけて取り返してきなさい。本当にあんたはバカ馬だよ」と叱りとばしました。
馬とはお松のあだ名です。お松はもともと顔が長く鼻が上を向いていて、
まるで馬のような顔だったので、皆に「馬面の松」とからかわれていました。
しかし、お松は馬鹿にされても決して人を恨むことなく、常に人を思いやる心で笑顔を絶やしませんでした。
お松は僧侶に追いつくと、わけを話して餅を返してもらいました。
そしてその僧侶は、
「恵まれないお前さんに比べ、おかみさんは何と心貧しい人じゃのう。欲張りの心は自分を不幸にするものじゃ。お前さんはその優しい心をいつまでも大切にしなさい。そうじゃ!この手ぬぐいで顔をふくと、だんだん綺麗になるから試してごらんなさい。必ず幸せになれるよ」
と言って、持っていたボロボロの手ぬぐいをお松に渡しその場を去りました。
お松は、餅を返してもらったことで、僧侶が怒りもせず悲しみもしなかったので安心し、その上綺麗になるという手ぬぐいまで頂き、喜んで帰っていきました。
お松はおかみさんに餅を渡すと、すぐ自分の部屋に行って僧侶に貰った手ぬぐいで顔を拭いてみました。
しかし、鏡を見てみるとやっぱりいつもの自分の馬面の顔が映っていました。
それから三ヶ月過ぎた頃、お松は皆から「お松ちゃん、どうしたの?最近綺麗になったんじゃない」と言われるようになりました。
お松の長い馬面の顔が、見違えるほどかわいい顔に変わっていたのです。
何故ならお松はあれから「綺麗になれる。幸せになれる」という僧侶の言ったことを信じて、毎朝毎晩あの手ぬぐいで顔を拭いていたからです。
そしてもう、誰もお松のことを「馬面の松」とは言わなくなり、もともと明るく優しい女の子だったので、いつしか皆の人気者になりました。
しかしながら、気にくわないのはおかみさんです。
お松はどうしてあんなに綺麗になったのだろうと思い、夜こっそりとお松の様子を見ていると、寝る前にボロボロの手ぬぐいで顔を拭いています。
「そうか、あの手ぬぐいが綺麗になる秘密だったのか」とおかみさんは思い、次の日お松を隣町までお使いに出し、その間にお松の手ぬぐいを持ち出し、鏡の前で自分の顔を拭いてみました。
するとどうでしょう。不思議なことに、おかみさんの顔がどんどんと長くなり、「どうしたことか?そんなはずはない」おかみさんは、更に力一杯顔を拭いてみると、本当に馬の顔になってしまいました。
おかみさんは驚いて、「お~い、誰か助けて~」と叫びましたが、皆には馬の鳴き声にしか聞こえません。
そして、家の人達は「おかみさんの部屋に馬がいるぞ」と大騒ぎになりました。
そして、誰もおかみさんが顔も体も馬になってしまったことに気付かずに、馬になったおかみさんは馬屋につながれてしまいました。
一方、隣町へお使いに行ったお松はそこで偶然その町の長者の息子と出会い、やがて二人は結婚することになりました。
二人とも、正直者で人のことを思いやる心優しい夫婦でしたので、多くの人々から信頼され仲良く暮らしました。
さて皆さん、このお話から何を感じましたか?
スタイルや顔が悪くても心が綺麗だと幸せになれるということですか?お金持ちでも、けちでいじわるな心では不幸をまねくことですか?
馬面と人を馬鹿にしたから、自分の顔が馬面になってしまったことですか?それとも「綺麗になれるよ」という僧侶の言葉を信じ、毎日顔を拭き続けた一途な心ですか?
又、この話を読んで自分はこんなことをしていこう、あるいはやらないようにしようということはありましたか。
とにかく皆さんが立派な大人になれるように、慈しみの心、人を思いやる心を持ち、朝晩の勤行と唱題を毎日欠かさず続けてくれることを心より願っています。