虫になった夫と蛇になった康仙(こうせん) (平成29年11月)

今日はあることに執着(あるものに執われ強くひかれてしまう心)したことによって、人間から虫や蛇に生まれ変わった人の話をします。

 

まず最初にインドの話ですが、「虫になった夫」の話です。

あるところに、とても仲の良い夫婦が住んでいました。二人は共に仏法を信じ、信心修行に励んでいました。

ある時、夫はとても重い病気にかかってしまい、お医者さんに診てもらっても良くならず、妻はとても心配していました。

日ごろ、二人で信心修行していたにもかかわらず、妻は夫がいよいよあぶないという時、仏さまに夫の成仏をお願いすることも、自分でお経をあげて成仏を御祈念することもしませんでした。

そして、苦しそうな夫に取りすがり、
「お父さん死なないで。一緒に楽しく暮らし、一緒に信心してきたのに、あなたが少しでも長生きできるのなら、私の命が短くなってもいいから、どんな苦しみでも受けるから、あなた、私と子供をおいて死なないで」と泣きさけびました。

 

それを聞いた夫は、美しくやさしい妻と別れたくない、妻のそばにずっと一緒にいたいと思い、死んでも死にきれない気持ちになりました。

ついに、夫は亡くなってしまいましたが、亡くなる時、妻に執着した心のために成仏することができず、すぐさま1匹の小さな虫に生まれ変わりました。

そして、夫が亡くなって泣きさけぶ妻の鼻に入ってしまい、妻は虫になった夫が自分の鼻の中に入ったことに、まったく気付きませんでした。

 

やがて知らせを受けた夫の友人の僧侶がかけつけました。

僧侶は夫の妻に、
「奥さん、悲しいのはわかるけど、そんなに取り乱してはご主人が未練を残して成仏できないから、今はしっかり成仏を祈ってあげましょう」と言いました。

しかし、妻は聞き入れず、なおも大きな声をあげて泣き出し、妻の鼻の中に入っていた虫が、鼻水と一緒に床に落ちてしまいました。

妻ははずかしくなって、その虫を踏みつぶそうとしましたが、僧侶は大きな声で「奥さん、やめなさい。その虫はあなたのご主人の生まれ変わりです」と止めました。

妻はびっくりして、
「そんなことはありません。主人はまじめに信心修行していたんですから、このような虫に生まれ変わるわけがありません」とおこりました。

「それは奥さん、死ぬまぎわに、あなたがあまりにも泣きさけんで取り乱すから、ご主人の心が奥さんに執われ、成仏できずに虫となって奥さんの身に取りついたのですよ」と僧侶は教えました。

そして、僧侶はお経を唱え、虫に向かって
「友よ、一緒に信心修行してきた仲ではないか。奥さんや子供のことが心配なのはわかるが、そのような虫の姿になって、奥さんに取りついているのは恥ずかしいことですよ」と言いました。

すると、その虫は自ら命をたって、成仏したということです。

 

 

次に、「蛇になった康仙」の話をします。

むかし、京都の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)というお寺に康仙という僧侶がいました。

この人は、法要の時にお経を唱える役を数十年も務め、勉強もでき修行もまじめに行っていました。

 

やがて年老いて康仙は亡くなり、人々は皆、立派に成仏したと思っていました。

ところがある夜のことです。友人の僧侶の枕もとに、康仙の霊が立っていて、

「私は康仙です。長年、多くの僧侶の説法を聞き、私も一生懸命修行しましたので、成仏できると思っていたのですが、執着の心が災いして、私は蛇に生まれ変わってしまいました。

実は、私はお寺の住職になった時、記念に1本の橘の木を植えました。

それから数十年の間、その木が花を咲かせ実をつけて大樹になるまで、毎日水をやり手入れをしてかわいがりました。

いつしか私は僧侶でありながら、すっかり橘の木にとらわれ、その木が私の心の支えになり、なぐさめになっていたのです。

そのことを私は生前気がつかなかったのですが、その執着のために、死んだのち、その橘の木の下に住む蛇に生まれ変わってしまったのです。

今、私は大いに反省し、仏法のみを心のよりどころとしていく覚悟です。どうか私のために法華経を読んで、供養し、成仏させてください」とお願いしました。

 

友人の僧侶は、さっそく橘の木のところへ行くと、康仙のいうとおり、小さな蛇が木の根元に巻きついていました。

僧侶は法華経を唱えて供養しました。

その夜、友人の僧侶の枕もとに康仙が立っていて、うれしそうな顔をして、友人の僧侶に手を合わせ、
「友よ、ありがとう。法華経の功徳(くどく)の力で私は無事、成仏することができました。これからは、ものごとに執着しないで、まじめに信心修行していきます」と語りかけました。

翌朝、友人の僧侶が橘の木のところに行ってみると、小さな蛇は静かに眠るように亡くなっていました。

 

皆さん、臨終(りんじゅう)(人が亡くなること)して、成仏(仏さまの元へ旅立つこと)することは、決して簡単なことではありません。

せっかく信心修行していても、自分勝手な考えや意見をもっていたり、何かに執着する心があって、そのことに心が執われてしまうと、虫や蛇に生まれ変わってしまいます。

大事なことは、もしもおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さん、お友達などが亡くなった時、しっかりとお題目を唱え、供養することが大切です。

また、将来自分自身が臨終を迎えるとき、生きていた時のことや何かに執着したりすることがないよう、御本尊様にお迎え頂けるように祈っていくことが大切なことです。

それは、まだ遠い未来のことかもしれませんが、日ごろから有意義な毎日を送り、素直に信心修行して、立派な大人になり、そして成仏できるよう、頑張っていきましょう。