日興上人様(にっこうしょうにんさま)(平成27年2月)

日興上人様は、今から770年前の寛元(かんげん)4年(1246)3月8日、甲斐国大井壮鰍沢(かいのくにおおいのしょうかじかざわ)(山梨県鰍沢町)に誕生されました。

生まれて間もない頃に父親が亡くなり、駿河国富士河合(するがくにふじかわい)(静岡県富士市)に住んでいたおじいさんに育てられ、幼いころから書道や歌道、漢字を習い、大変字が上手でしたので、日蓮大聖人様の代わりにお手紙を書かれたり、大聖人様の御書を写し取って、後世に残されました。

日興上人様が日蓮大聖人様と出会ったのは13才の時でした。

大聖人様が『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を書かれるために、岩本・実相寺(いわもと・じっそうじ)(静岡県富士市)に大蔵経(だいぞうきょう)(お釈迦様のお経典)を調べていた時にお会いし、大聖人様の弟子として出家して僧侶となり、伯耆房(ほうきぼう)(後に白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう))という僧侶の名前を頂きました。

その後、日興上人様は常に大聖人様のお供をし、大聖人様が伊豆や佐渡の島流しにされてしまった時も、大聖人様が晩年、身延の山に登られ、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)を築かれた時も、常に御一緒され、弟子として師匠に仕えました。

また、日興上人様は、生まれ故郷である甲斐国や、駿河国に大聖人様の正しい教えを弘められ、間違った仏教を信じている人たちをたくさん帰依させました。

それによって、熱原法難(あつはらほうなん)という大聖人様の教えを信じている人たちを迫害する法難が起こってしまいましたが、熱原(静岡県富士市)の信徒は、それに屈することなく信仰を続けていきました。

 

宗祖日蓮大聖人様は、亡くなる5年前頃に、多くのお弟子さんの中から6人の僧侶を六老僧として、さらにただ1人、第二祖として日興上人様を選び、大聖人様が説かれたあらゆる教えを、日興上人様に引き継ぎました。

これを唯授一人(ゆいじゅいちにん)・血脈相承(けちみゃくしょうじょう)といいます。

この相承は、現在、総本山第68世御法主日如上人猊下様まで受け継がれています。

そして、大聖人様は弘安(こうあん)5年(1282)10月13日、日興上人様を大聖人様の後を継ぐ、身延山久遠寺の住職と定め、御入滅(亡くなること)されました。

日興上人様は、大聖人様の葬儀が行われたあと、10月25日に御霊骨(れいこつ)を捧持して身延山久遠寺に戻られ、住職となりました。

弘安6年1月には、大聖人様の墓地を僧侶の代表18人で順番に守ることを決めましたが、六老僧の中で日興上人様以外の(日昭・日朗・日向・日頂・日持)の五老僧等はこの決まりを守らず、大聖人様の一周忌、三回忌の法要にも出席しませんでした。

ですから、日興上人様とそのお弟子さんたちが大聖人様のお墓を管理し守っていました。

 

弘安8年の春ごろ、六老僧の1人、民部日向(みんぶにこう)が突然、身延山久遠寺に登山してきましたが、その後、身延の地頭(じとう)・波木井実長(はぎりさねなが)と共に、日興上人様の言うことを聞かず、大聖人様が固く禁じていた謗法行為(間違った仏法による行い)をするようになったため、日興上人様はいよいよ身延の山を下り、当時、信心強盛な信徒の1人であった南条時光(なんじょうときみつ)殿を頼って、正応(しょうおう)2年(1289)春、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊様、大聖人様の御霊骨、御書等を捧持(ほうじ)して、南条時光の館(現在の下之坊(しものぼう))に住まわれるようになりました。

そして、南条時光殿から「大石が原」の土地の寄進を受けて、正応3年10月12日に、現在の日蓮正宗総本山大石寺を建てられました。

その翌日に、大聖人様と同じく、多くの僧侶の中からただ1人、日目上人様を自分の後継ぎとして決められました。

 

その後、日目上人様が蓮蔵坊を、その他の僧侶も、寂日坊、理境坊、百貫坊をはじめ多くの坊が建立され、大石寺は次第に整えられていき、現在の大石寺の基礎となりました。

日興上人様は、大聖人様が『立正安国論』を時の権力者に奉呈したように、大聖人様が説かれた南無妙法蓮華経の教えに帰依しなければ、日本の国に災いが起こることを、申状(もうしじょう)として天皇が住まわれている朝廷や、幕府に奉呈して国家諫暁(こっかかんぎょう)されました。

元弘元年(1331)10月、日興上人様は大聖人様の50回忌法要を行い、その翌年に、大聖人様より受けた血脈相承を、日目上人様を第3祖として相承しました。

そして、88歳になられた日興上人様は、元弘3年2月7日に入滅されました。

日蓮正宗では、仏教で説かれる三宝のうち、仏宝を宗祖日蓮大聖人様、法宝を本門戒壇の大御本尊様、そして僧宝を第二祖日興上人様を代表として、御歴代御法主上人猊下を僧宝としています。

今年は、この日興上人様が誕生されてから770年たったことをお祝いする年です。

妙眞寺の本堂にも、御本尊様の右側に日興上人様のお御影(ごえい)さまがありますが、この日興上人様が、日蓮大聖人様の説かれた教えを継がれ、守られ、そして大石寺を建立されたことを学んで、皆さんと共に3月の第二祖日興上人御生誕770年奉祝記念法要登山に参加しましょう。