水の恵み(令和元年6月)

むかし、インドのお釈迦さまの十大弟子の1人に目連(もくれん)という僧侶がおりました。

ある時、目連が神通力(じんつうりき)という力を使って餓鬼界(がきかい)の世界を見てまわると、1人の餓鬼界の世界にいる女性を見つけました。

その女性の体はまっ赤な毛でおおわれ、毛はみな逆立っており、ちょうど、炎が燃えているようなすがたでした。

口は小さく、首は針金のように細く、頭はボールのように丸く、お腹は山のようにふくれあがっておりました。

その女性は水を求めて苦しんでおりました。

 

やがて、その女性は満々と水がたまった湖をみつけましたが、水を飲もうとした瞬間その湖は消えてしまい、力尽きた女性は気を失って倒れてしまいました。

しばらくして、今度は水がこんこんと湧き出る泉や、川や池や井戸を見つけても、近づくと消えてなくなってしまいました。

その女性は気を失っては目を覚まし、狂ったように水を求めてさまよいました。

 

女性は目連を見つけると、とりすがって水を求めました。

しかし、そこは水のあるような場所ではありませんでた。

目連は、
「水は差し上げられませんが、あわれなあなたを救ってあげたい、どうしてそうなったのかを話して下さい」と言いました。

女性は、
「前世の報いだと思いますが、私の口からは言えません。どうかお釈迦さまに聞いて下さい。私はしています。この苦しみから救われるのでしたら、どんなことでもします。どうか私を助けて下さい」と、手を合わせてたのみました。

 

 

目連はさっそく、お釈迦さまのもとへ行って、餓鬼界の女性のことを話し、どうしたら救われるのか、また前世でどんなことをしたのかをたずねました。

お釈迦さまは、
「これから目連が会った餓鬼界の女性について、その前世と、どうしたら救われるかを話しましょう。

カーシ国の都、バーラーナーシーでのことです。1人の僧侶が修行の途中、のどがかわいたので水を探していました。

やっと井戸をみつけましたが、水をくみあげるものがありません。
すると1人の夫人が縄のついたかめを頭にのせてやってきました。

かめで井戸から水をくんで帰ろうとしたとき僧侶が、
『かめの水を一口飲ませて下さい。私は水をもとめてきましたが、くみ上げるものがなくて困っていました』

とお願いすると、夫人は
『わたしはあんたのために飲ますための水をくみに来たんじゃないよ。苦労してくんだ水だからね。いくら僧侶でも他人のあんたになんかあげられないよ。人のものを欲しがるんじゃないよ。この乞食坊主』

と言って帰って行きました。

夫人は家に着いて夫にそのことを話しました。
ふだんはおとなしい夫は、大きな声でを出して怒りました。

『なんとなさけないことをしたのだ。のどが渇いて困っている、しかも修行をしている僧侶に一口の水も差し上げず、その上、悪口まで言って少しの反省もしないとは。

お前のように自分のことしか考えない欲張りと一緒に暮らしていたら、こっちも罰をうけそうだ。

今後、人に慈しみの心をもって、物を施すことができないなら、この家を出て行きなさい。反省しその心を改めるなら今日のところは許そう』と、妻に言いました。

しかし、妻は反省するどころか、
『何を言っているのさ。わたしゃ、あんたのために苦労して水をくんできてやったんだよ。あの坊主に水を飲まさなかったくらいで、なんでそんなに怒られなきゃならないんだい。

わたしゃ、これっぽっちも悪いことはしてないよ。そんなことを言うんだったら、あんたが出て行きなさいよ』と、逆に夫を叱りつけました。

この夫人は人から物をもらうことはあっても、人にあげることは決してありませんでした。

物を惜しむ執着心が強いからです。

物がいっぱいになった倉庫で寝起きし、いつも高価なものを身につけていました。

そして、とうとうけちんぼの性格のまま、亡くなってしまいました。とうぜん、行く先は餓鬼道(がきどう)の世界でした。そこで餓鬼となって、少しは反省しました」。

 

ここまで話したお釈迦さまは、
「あらゆるものの中で、もっとも大切なものは水です。水は生きものにとって命の源です。
だから水の供養は命の供養と同じです。

金銀などの財宝よりも、牛や馬などの家畜よりも水は大切なものです。

そして水はすべての不浄(ふじょう)も洗い清めてくれます。
水を供養することは大事なことで、水の供養を惜しむひとは、未来世で心の貧しい人、いつも飢えやのどの渇きに悩まされる人、病をわずらい、いつも苦しい思いをする人となります。

目連よ、今、話をした夫人こそ、あの餓鬼の女性の前世の姿です」

と話しました。

そして、
「あの餓鬼の女性が苦しみをのがれる方法はただ一つ、仏法僧の三宝(さんぽう)を敬うことです。

そうすれば、その功徳で仏さまの慈悲につつまれ、餓鬼界の苦しみからのがれることができるのです」と教えました。

そして、お釈迦さまは、「三宝に供養する功徳は、身や心を清浄(しょうじょう)にし、水や火や風などの災害から守られ、病や不安から守られます」と言って、目連を餓鬼界の女性のところに行かせました。

餓鬼の女性は、目連の話に涙を浮かべ、手を合わせて聞きました。
女性は三宝を敬い、心より三宝に供養して、餓鬼道の苦しみからのがれることができました。

 

皆さん、餓鬼の女性のように、できるのにやらないようなことはしないようにしましょう。

例えば、「勤行する時間はあるのにしない」、「せっかくお寺や本山に行けるのに、気が向かないからといってお休みする」、「しようと思ったらできるのにその気にならない、なれないから御本尊さまに御供養しない」というのは、物惜しみの心となって、後でそれなりの苦しみを受けることになります。

 

また、皆さんはまだお父さんやお母さんに育ててもらっています。

ですから、お父さんやお母さんに感謝の心をもって、「お手伝いできるときにはお手伝いしましょう」、「自分の好きなことをやる時間も良いですが、勉強をすることも忘れないようにしましょう」、お父さんやお母さんは、皆さんが「立派な大人になること」、「信心をしっかり続けていくこと」、「幸せな人生を送っていくこと」を願っています。

その気もちにこたえることができるようになりましょう。