殺生の報い(せっしょうのむくい) (令和元年12月)

今日は人間のようなサルの親子を殺してしまった猟師の話をします。

 

むかし、インドのヒマラヤの山中に仲良し兄弟のサルが住んでいました。
彼らは目の見えない母ザルを大切に養っていました。

母ザルはみんなと一緒に行動できません。
それで兄弟は群れの仲間に母親の世話を頼んで、群れをつれて山奥に入り、仲間のサルにおいしそうな果物や木の実を母親に届けさせました。

 

数ヶ月がすぎて兄弟が母親のもとに帰ってみると、年老いた母ザルは骨と皮ばかりになって、やせ衰えていました。

「お母さん、どうしたんですか?毎日食べ物を届けさせたのに、召し上がらなかったんですか?」と聞くと、母ザルは「誰からも何も届きませんでした」と言い、兄弟は使いのサルが横取りしていたことを知りました。

 

サルは本来群れで行動します。兄はそのリーダーです。
兄は弟に
「今日からお前が群れを率いて行きなさい。私は今日からお母さんを養うことだけに生きることに決めたよ」

と言うと、弟は
「兄さん、何を言われるんですか?死ぬまで私たちは一緒ですよ」と答えました。

こうして3匹の親子ザルは、群れからはなれヒマラヤの山を下りて、ふもとの草原で暮らすことにしました。

そこには大きな二グローダの木があり、その実は3匹は十分でした。

 

ちょうどその頃、その草原近くのタキシラの都で、1人の青年が学業の修行を終えて、卒業することになりました。

その青年の顔を見て、青年の師匠は
「お前は学業を身につけたが、人間的に乱暴なところがある。もっと自分をいましめ、何事も慈悲深いやさしい心をもって行動するようにしないと、きっと大きなわざわいや苦しみを招くことになるよ。目先の欲望に執われないで、自分の欠点を直すようにしなさい」と忠告しました。

 

青年は故郷に帰り結婚し、2人の子供に恵まれました。
しかし、定職に就くことできず、青年は猟師となって生活するようになりました。

毎日、山の奥まで獲物を求めて歩き回り、さまざまな動物を殺して、その肉や毛皮を売って暮らしていました。

ある日のことです。その猟師は3匹のサルが住むニグローダの木のところまでやってきました。

猟師を見つけたサルの兄弟はあわてて母親を助けようとしましたが、木の途中の枝までしか母親をあげることができませんでした。

兄弟は年老いて、しかも目の見えない母親を、どんな残忍な猟師でも射殺することはできないだろうと思っていました。

ところが、その猟師は生まれつき残忍な性格を持っていたので、「こんな老いぼれザルでも獲物は獲物だ」と思い、母親ザルを射殺しようとしました。

兄ザルはビックリして、母親の身代わりになろうと猟師の前に立ちはだかりました。

「私が身代わりになりますから、母を助けて下さい」と猟師に言いました。
猟師は「わかった」と言って、弓矢を兄ザルに向け、容赦なく射殺してしまいました。

そして、あろうことか、今約束したばかりの母ザルにも弓矢を向け、弟ザルはビックリして飛び出し、母ザルの命ごいをして、自分が身代わりになることを約束しましたが、その弟も殺され、とうとう母ザルまでも殺してしまいました。

 

 

その時です。空は急に暗くなり、遠くで稲妻が光り天地をひきさくようなカミナリが聞こえました。
猟師は3匹のサルをかついで、自分の家に向かって急いで帰りました。

村の入口まで来たとき、村人が騒いでいます。

猟師が見ると、自分の家が赤々と燃えています。
カミナリが落ちてあっという間に燃えだし、妻と子供たちは亡くなってしまいまいた。

猟師はここではじめて自分の犯した罪の重さを思い知り、
「サルの身でありながら、年老いた母親の身代わりになって助けようとした兄弟の必死の約束をも踏みにじって、3匹とも殺してしまった。自分はなんておろか者なんだ。自分は人間でありながら、その行動はサル以下だ。これは自分の犯した罪の報いだ」と感じました。

猟師はぼう然とし、そこに天井の丸太が崩れ落ち、猟師の頭に当たり、頭は7つに割れ、さらに猟師の足もとが崩れ落ち、炎の中にその身がのまれてしまいました。

そして、猟師は地球の底に落ちて行きながら、かつて師匠からきつく言われた、
「身を慎み、慈悲あふれるやさしい行動を」との忠告を思い知らされました。

 

善い行いには善い報い、悪い行いには悪い報い、この善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)は仏法で説かれる因果の道理です。

人間として生まれながらもサルのような畜生(ちくしょう)以下の心をもって行動した結果、地の底に落ちてしまった猟師、畜生として生まれながらも人間以上に母親に孝行したサルの兄弟、皆さんはどう思いましたか?

 

私たちには、善悪様々な心が具わっています。また、心の迷いを生ずる煩悩も具わっています。

ですから、私たちはそうした悪の心や迷いの心を浄化して正しい心を持つことができるように、毎日御本尊様に勤行や唱題をしていくことが大切になってきます。

そして、御本尊様から頂く功徳や智慧によって、素直で正直な心、誰にでもやさしい心をもって接し、毎日の生活を送ることによって人として正しい幸福な人生を送ることができるようになります。

それでも、私たちは悩んだり困ったりする時が必ずあるでしょう。

自分で解決できないような時は、必ずお父さんやお母さん、住職さんに相談して、自分でその悩みを抱え込まないようにして下さい。

 

もうすぐ令和元年が終わります。
ですので、皆さんには今のうちに来年の目標を立てて、お正月を迎えたらその目標に向かって1年間頑張れるように努力していきましょう。