山を移した愚公(ぐこう)(平成27年6月)

むかし、中国の山西省(さんせいしょう)に愚公(ぐこう)という老人を中心とする一族が住んでいました。

しかし、その村は太行山(たいこうざん)と王屋山(おうおくざん)という大きな山にふさがれていて、どこへ行くにもそのけわしい山を越えていかならず、とても不便な生活をしていました。

 

愚公は90才になったとき、
「自分はもういつ死んでも不思議ではない。しかし、自分には人生最後にやっておきたいことがある。それは、子や孫のためにこの二つの山を切り開いて道を作ることである。

この山を平らにして、お前たちが将来自由にいける道を開きたい。どうだろうか、みな一緒に力を合わせて手伝ってほしい」と家族に言いました。

皆はあまりに途方もないことなので、はじめはビックリして言葉も出ませんでしたが、そのうち長男が、次男が、そして三男の兄弟3人が誓って言いました。
「わかりました。お父さんのいうとおり、あの山を切り崩して、河南省(かなんしょう)の漢水(かんすい)の南岸までまっすぐな道路を作りましょう。決めたからには明日から工事に取りかかりましょう」。

 

これを聞いた愚公の奥さんは、
「これだけの人数では、小さな丘も崩すことはできませんよ。ましてや、あのけわしい山をどうやって崩すんですか。それに崩した大量の土や石はどうするのですか」と言いました。

すると孫たちが「僕たちが渤海(ぼっかい)まで運んで捨ててきますよ」と言いました。

 

こうして工事が始まりました。
90才の愚公もみずから手伝い、子供たちは大きな石をくだき、孫たちはたくさんの土や石を遠い渤海まで捨てにいきました。

この姿を見た村人たちが、「わたしの息子も手伝わせてください」と申し出ました。
こうして、まだ8才の子供まで工事作業に参加しました。

みんな、汗だくで疲れ切っているのに、笑顔で楽しそうです。

それは、一つの目的のためにみんなの心が結ばれているから、生き生きとしているのです。

 

こうして1年がすぎたころ、となり村の長老の智叟(ちそう)が
「お前さんもあきらめの悪い人だね。この大きな山を平らにして道路が完成するのは、一体何百年先のことかね。1年もたつのに、まだ100メートルしか進んでないじゃないか。もうやめたほうがいいんじゃないのか」と言いました。

すると愚公は
「100メートルしかじゃなくて、100メートルも掘り進んだんだよ。いいかい、私が死んでも子供たちがいるかぎり、私の意思を継いでくれる。子から子へ、孫から孫へ、この志は引き継がれていくが、山はもうこれ以上高くなることはない。私たちは必ずやりきることができる。これが道理だよ」と言い、

智叟は、この言葉を聞いて何も言い返せませんでした。

 

 

さて、この愚公の言葉を、もう1人聞いている人がいました。
それは山の神で、その神は愚公のことを天の神である帝釈天王(たいしゃくてんのう)に伝えました。

帝釈天王は、愚公の意思の強さと行動に感心し、2人の神に命じ、一夜のうちに太行山と王屋山を、北と南の地方に移動させました。

 

こうして一晩のうちに山がなくなってしまい、ついに漢水までの一直線の道路は立派に完成したのです。

愚公の一念心と行動は、帝釈天王の心までも動かし、あの大きな山も動かして、不可能を可能にしたのです。

 

日蓮大聖人さまは、
「塵(ちり)つもりて山となる、山かさなりて須弥山(しゅみせん)となれり。小事つもりて大事となる」と、大きな山も小さな土石の集まりであり、大事業も小さな行動の積み重ねであると仰せです。

 

皆さんも、ぜひ大きな目標を決めて、その達成のために毎日の朝夕の勤行と唱題を一遍一遍力強く唱え、学校の勉強もこつこつ頑張って行きましょう。

1日1日を大切にして、「何でも全力でやりきっていこう」という強い意志と行動があれば、必ず大きな未来が開け、立派な大人になれます。

そして、皆さんの何事にも一生懸命な心と行動があれば、それを御覧になっている御本尊様をはじめ、朝勤行の初座で御観念している、大梵天王(だいぼんてんのう)や帝釈天王等の諸天善神(しょてんぜんじん)が必ず力を貸してくれるでしょう。