兄弟のあらそい (平成27年12月)

鎌倉時代のことです。

九州・福岡の太宰府ちかくの地頭をしていた親子がいました。

父親は地頭でしたが、体がよわく困ったときは土地を少しずつ売って生活していました。
その地頭には2人の息子がいました。

 

兄はすでに結婚していましたが、父親が土地を売ったことを知ると、その土地をなんとか買いもどしてきました。

兄は父親の代で土地が減っていくのをおそれ、なんとか守っていきたいと願っていました。

兄は土地を買うお金を作るため、自分の生活はずいぶん質素にしていましたが、鎌倉時代は父親の財産は長男が受けつぐという習慣があったので、今は苦しくても父親の亡き後は、何とか立て直しができると思っていました。

 

そんなある日、父親はとうとう病気で亡くなってしまいました。

葬儀が終わって、今後は兄が父親のあとをつぐと誰もが思っていましたが、まくら元には1枚のゆずり状が残されており、そのゆずり状には驚いたことに財産は全部次男にゆずることが書かれていました。

 

次男である弟は、いつも父親のそばにいて、面倒をみていました。

父親は、結婚もせずたよりない次男がかわいかったのでしょうか、長男はちゃんとやっていけると思っていたのでしょうか、本来、長男である兄が父親の財産をゆずり、その長男はまたその長男にゆずり、弟はその兄を助けていくのが普通でした。

 

次男である弟は、そのゆずり状をちらつかせ、自分こそが地頭である父親のあとつぎだと言いはり、兄と弟はお互いの言い分を主張して、鎌倉幕府の裁判所に決めてもうらおうと、鎌倉まで行きました。

 

「長男が相続するのが慣例だ」と兄が言えば、
弟は「でもゆずり状があるからあとつぎは私だ」と言い、あらそうばかりでした。

 

そして、裁判の結果、親の遺言状であるゆずり状が何よりも優先されるということで、弟が地頭をつぎ父親の財産を受けつぐことになりました。

 

 

いつの時代でも争いごとはイヤなものです。
では、なぜ争うのでしょうか。

それはみな欲望があり、少しでも自分がよい生活ができるように、自分が正しいと主張するからです。

しかし、本来お互い助け合っていく兄弟が、欲のために争いケンカすることはとてもはずかしいことです。

そして、ゆずり合いの心を大切にして、相手の立場に立って対応すれば、争いはおこらず話し合いで解決するものです。

しかし、この弟は兄が今まで父親の財産を苦労して買いもどし、影ながら支えてきたことを理解しようともせず、幕府から「地頭の任命書」をいただき、九州に帰っていきました。

 

このことを聞いた、鎌倉幕府の執権・北条泰時は、
「不便なことだ。領主がいない領地があれば地頭に任ずるので、しばらく鎌倉にいなさい」と兄に命じるため、兄夫婦は執権にお会いすることになりました。

執権の前で頭を下げた妻の頭のてっぺんは、かみのけがうすくなっていました。

執権は「どうしてかみがうすいのか?」と妻にたずねると、妻は
「はい。召使いがおりませんので、自分で水をくんで頭に桶をのせていたので、かみがすり切れてしまいました」。

これを聞いた執権は、生活が豊かではないのに、苦労して父親が処分した土地を買いもどしていたことも知り、兄夫婦をしばらく自分のもとに仕えさせました。

 

やがて2年がすぎ、兄は九州福岡の宗像郡(むなかたぐん)に、父親がもっていた領地よりも広大な土地の領主として、その地の地頭に任命されました。

執権は、あいさつにきた2人に、
「中国の後漢書(ごかんしょ)に『貧銭(ひんせん)の交りは忘るべからず糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず』とあるが、

これより豊かになっても貧しい時の苦労を忘れることなく、大変だった時もついてきてくれた妻への思いを大切にして、人を決してうらむことなく、人へのなさけ、思いやりを大切にせよ」と励ましました。

兄は、「はい。これよりは孔子(こうし)の論語(ろんご)に『貧しくてへつらうことなかれ、富むともおごることなかれ』の言葉のように、豊かになろうとも、突然の災難にあって貧しくなっても、常に身を慎み、礼儀正しく、非道な行いをすることなく、民の心を思って、ご恩に報いるようにいたします」とお礼を言いました。

執権は、「そうか、人間は貧しい時には努力を惜しまないが、豊かになると、ついおごりや慢心(まんしん)が出て、周りの人々を軽んじる心が出てくる。自分はそのことをいましめとして、幕府の執権としてこの国の上にたつものとして、万民を敬い、身を慎んでいる」と言いました。

こうして九州・宗像の領主となった兄夫婦は、どこよりもすばらしい豊かな国土を民と一緒に築きあげ、今まで苦労した分、人々の心を思い、幸福を願い、誰よりも慕われる領主となることができました。

 

皆さんも、これから辛いことや苦しいこと、悲しいことがおきるかもしれません。

しかし、そうした時こそ御本尊様に手を合わせて南無妙法蓮華経のお題目を唱えていけば、必ずそうしたことを乗り越えることができます。

そして、お父さんやお母さんには感謝の心をもち、率先してお手伝いをし、お友達にたいしてはいつも思いやりの心をもって、決してケンカをすることのないようにしましよう。

また人がイヤがるようなことも進んで行い、明るく元気にがんばっていきましょう。