苦くなった果物 (平成29年2月)

昔、インドのベナレスの国を治めていた王様がいました。

王様はとても心のやさしい人で、思いやりのある政治を行っていましたので、国も栄え国民も平和に暮らしていました。もちろん戦争もありません。

しかし、王様は安穏な生活の中で何か刺激を求めていました。
それは自分を厳しく教導してくれる人が一人もいないからでした。

自分の下に仕えるどんな大臣もただただ王様に従い決して逆らうこと無く、王様の善政を誉め讃えるだけでした。

王様は「自分はこれでいいのだろうか?自分にも至らない所があり、必ず欠点はあるはずだ。誰か自分を正しく導いてくれる師はいないものか」と常々考えていました。

 

ある日、王様は決心して旅人に変装し、自分を教導してくれる師を求めて旅にでました。

都を離れ片田舎に行っても、
「我が国の王様は大変立派な方だ」と皆が口をそろえて言っています。

それでも王様は、自分自身にそれだけの徳が具わっているかがわからないものだから、皆に誉められれば誉められるほど、
「自分にもきっと至らないところがあるはずだ。それを誰かに教えてもらわねば」という思いを強くしました。

 

王様は近隣の諸国を回ってみようとヒマラヤの山中に入って行き、
疲れ果て倒れるように横になっていました。

するとそこへ一人の修行僧がやってきて、
「このマンゴーの実を食べて元気を出して下さい」と声をかけました。

そして王様がそのマンゴーを食べてみると驚くほどとても甘いのです。

王様はもう一つもらって食べてみると、これもとても甘くおいしいのです。

修行僧は満足そうに
「どうです。おいしいでしょう。この国の果物はみんな甘いのです。何故かというと、この国の王様がとても徳の高いお方で、その慈悲深い政治によって安穏な国を維持しているからです」と言いました。

王様は自分を指導してくれる師を探し求めていたのに、修行僧からも「王様は徳の高い立派な人だ」と言われてとまどいながらお城に帰り、今迄通り国民の幸せを願い国を治めました。

 

 

ところがある日王様は、
「自分は善政を行っているから果物までも甘くておいしいというのなら、悪政を行ったらどう変わるのだろうか」との疑問がおこりました。

そしてその日から王様は、大臣達に道理に外れることを次々と命令し、国民からは高い税金を取り、今迄やってきた正反対のことをしました。

大臣を始め国民は、王様は気が変になってしまったのではないかと困り果てました。

 

数日後、王様は再び旅人に変装してマンゴーをくれた修行僧へ会いに、ヒマラヤの山中へ行きました。

そして修行僧に「あのマンゴーがもう一度食べたいのですが頂けませんか」と尋ねました。
修行僧はだまってマンゴーの実を差し出しました。

王様はそれを口に入れてみると、以前食べた味とは全然違うとてもにがくてまずいものでした。

王様は一口食べてはき出してしまいました。

そして修行僧は
「このマンゴーだけでなく、この国の果物はすべて、以前と違いまずいものになってしまいました。それは王様が慢心を起こして、ひどい政治を行っているからです」と言い、次のような歌を唱えました。

「大河を渡る牛の群れ 先頭のリーダーが 真っ直ぐ渡れば 群れも真っ直ぐ渡る 引き返せば群れも引き返す 人の世もこれと同じで 国王が正しい道を進めば 国も栄え 人も栄える 慢心をおこして 悪政を行えば 国もすたれ 人もほろぶ」

 

 

王様はこの歌を聴き、自分の浅はかな行いに国民も困り果て、果物までも甘さを失い苦くまずいものにしてしまったことを恥じ、修行僧に自分は本当は国王であることを明かし、修行僧の言ったことを試してみようとわざと悪政を行ったことを打ち明け、深くお詫びをしました。

そして、「修行僧さま、私はこれから国王という立場を守り、このマンゴーの実やあらゆる果物がいつまでも美味しく食べられるように、清く正しく国を治めていくように努めます」と誓いました。

 

お城へ帰った王様は、今まで通り国民一人ひとりの幸せを守るべき王様としての立場と、王様になるべくして生まれた自分の徳をしっかりと自覚し、決して自分を卑下すること無く自分の成すべき事をしっかり全うして国を治めていきました。

 

皆さんはこのお話から何を感じましたか?

王様は国民の頂点に立つ人であり全ての国民を守り、幸せにしていく責任があります。
そして王様になるということは、過去世においての善行の徳があったからです。

そのような王様の責務と因縁を忘れて、自分の好き放題、身勝手に国を治めたら国もおかしくなり国民も困ってしまいます。

しかし、王様が清く正しい政治を執ったならその国は繁栄し、平和な国を維持することができるということがこのお話からわかったと思います。

それと同様に私達は、大聖人様の正しい教えを信じて、毎日の朝晩の勤行をしっかり行い、少しでも多く唱題することによって立派な人間になることができるのです。

それは決してお金で買えるものでも無く、一生懸命勉強しても成し得るものではありません。
ただ毎日御本尊様に勤行唱題することによって適うことです。

そのことをしっかり心がけて毎日を過ごして下さい。