なぜ仏像を拝んではいけないのか?(平成29年9月)

夏休みが終わり、2学期が始まりました。れからは、勉強や運動にとても過ごしやすい季節となります。
また、毎月お寺に参詣し、勤行や唱題をきちんとして、がんばりましょう。

 

さて、皆さんは修学旅行などで色々なお寺に行くことがあると思います。
そこには、様々な仏像がまつられているでしょう。

仏像とは仏さまの像のことをいいます。
有名なところでは、奈良の東大寺や鎌倉の長谷寺の大仏、奈良の法隆寺や薬師寺などにある国宝となっているような古い仏像もあります。

また、仏像は銅などの金属でできたものや木でできたもの、陶器でできたものなど様々で、その形も立っているものや座っているもの、まわりに飾りがあるものなど色々あります。

さらに仏像のなかには、お釈迦さまをはじめ、阿弥陀如来、大日如来など、色々な仏さまがありますが、仏教の教えではそれぞれ大きな違いがあり、手を合わせて拝むべき仏像は今の世にはありません。

これらの違いを知っている人は、ほとんどいないでしょう。

 

まず、阿弥陀如来や大日如来は、お釈迦さまのお説法に出てくる仏さまで、もともと手を合わせて拝むべき仏さまではありません。

ですから、そういったところへ行って有り難いなぁ、きれいだなぁといってむやみに手を合わせたり、おさい銭をしてはいけません。

なぜなら、本当に拝むべき仏さまではないからであり、善いことがあるどころか、悪いことがおきるかもしれません。

そして、お釈迦さまの仏像ですが、お釈迦さまはインドの国で、私たちが読んでいる法華経のほか、あらゆるお経のお説法をされました。

そのお説法の中に、自分が亡くなってから二千年たつと(西暦1052年)末法(まっぽう)という時代になり、自分が説いた教えでは功徳やご利益がなくなってしまい、人々は幸せにはなれず、逆にあらそいごとや悪いことが世の中にたくさん起こり、そのために新たに仏さまが出現して正しい教えを説かれることが示されています。

 

空の雲

 

それでは、私たちにとって正しい仏さまはどなたでしょうか。

それは、末法の仏さまである日蓮大聖人さまです。

 

大聖人さまは、「末法の悪い世の中の人々は、法華経の題目を本尊として拝むべきである」と言われ、仏像ではなく、法華経の題目・南無妙法蓮華経を本尊としなさいと教えられています。

また大聖人さまは、「日蓮の魂を墨に染め流して書きあらわした御本尊を信じなさい」と言われ、末法の時代の正しい仏さまである大聖人さまの魂、お悟りになったすべてを、そのまま顕されたのが御本尊さまです。

ですから、日蓮正宗の御本尊さまは、大聖人さまのお姿でもあり、私たちの目ではわかりませんが、お寺や家にご安置されている御本尊さまは、絶えず私たちを見守っているとともに、すべてを見ていらっしゃいます。

ですから、皆さんの家にはお仏壇があると思いますが、常に仏さまがいらっしゃると思って、すすんできれいにおそうじして、お水やご飯をお供えして、毎日しっかり勤行と唱題をすることが大切です。

 

また、皆さんは毎年、総本山大石寺(そうほんざんたいせきじ)に御登山(ごとざん)して、奉安堂(ほうあんどう)で御開扉(ごかいひ)を受け、大御本尊さまにお参りしますよね。

大御本尊様は日蓮大聖人さまが一番大切な御本尊さまとして顕され、他のお寺や家のお仏壇にご安置されている御本尊さまは、御歴代の御法主上人猊下(ごほっすしょうにんげいか)さまが、大御本尊さまを書き写された御本尊さまなのです。

さらに、総本山大石寺の奉安堂にご安置されている大御本尊さまこそが、一番根本の御本尊さまであり、そこから全国のお寺の御本尊さま、そして皆さんの家の御本尊さまへとつながっているのです。

だから、家に御本尊さまがご安置されているから、わざわざお寺に行かなくてもいいやとか、お寺にお参りしているから、総本山まで行くのは時間もかかるし、疲れるからいいやと思うことは間違いです。

 

ようするに、毎年1回でも多く総本山に御登山できるように、毎月1日でも多くお寺に参詣できるように、毎日しっかりと家で勤行・唱題して、頑張っていきましょう。

そして、日蓮正宗以外のお寺や神社にいって、手を合わせたり、おさい銭を投げたりすることがないよう気をつけましょう。

もし、うっかりやってしまうと、善いことどころか、悪いことがやってきますからね。