わたしたちの信仰 (平成28年2月)

三世の生命と因果応報

 

わたしたちの一生には楽しいこと、うれしいこと、つらいこと、悲しいことなど、様々なことが起きます。
そして、そうしたことには必ず原因があります。

仏教の教えには、過去世、現在世、未来世の三世のいのちが説かれています。

ですから、誰にも必ず過去世があり、過去世において行った報いとして、現在世に色々なことがわたしたちの身に善いことも悪いことも起き、いま生きている現在世の行いによって、これからの未来の人生や、現在世が終わり未来世に再び生まれたときに、その報いとしての結果が明らかになります。

とうぜん、善いことばかり、楽しいことばかりであったらどんなに良いことでしょうか。

しかし、時には病気になったり、ケガをしたり、ケンカをしたり、生活に困ったりすることがあると思います。

こうしたことを仏教では、因果応報といいます。

そして、そこには善因善果、悪因悪果といって、善いことをすれば善い結果となり、悪いことをすれば、悪い結果となることが説かれています。

 

不幸の原因

 

今世の中では、色々な事件や事故が起きています。
そして、自分自身がそうしたことに巻き込まれたり、家族が巻き込まれ不幸な人生になってしまうことも決して他人事ではありません。

いつ、そうしたことに巻き込まれるかわかならいのが、私たちの人生です。

また、何をやっても思うようにならず、いくらがんばってもその苦労が報われず、悩み苦しむような不幸な人生を送っている人も少なくありません。

それでは、その不幸の原因がどこにあるのでしょうか?

仏教ではその原因は自分自身の過去世からの罪障や宿業に原因があると言われています。

これは、過去世において、善いことをせず悪いことをしたり、人をこまらせたり、間違った宗教を信じることによって、悪い原因を作ってしまい、その悪業が自らの宿業として、いのちのなかに刻まれ、一度刻まれるとなかなか消すことができません。

こうして、現在世において、その悪の報いを受けることになります。

ですから、進んで善いことを行うことが大事になってきますが、私たちの心には迷いの根本になる煩悩が具わっています。

この煩悩の用きが強くなると、悪い心を起こし、ウソをついたり悪いことをしたり、なまけて勉強や仕事をしなくなったり、お父さんやお母さんの言うことを聞かなくなったりします。

さらに、私たちの心には十界といって、十の世界が具わっています。つぎはその十の世界を見てみましょう。

 

十界の生命

 

十界とは、右の図のように下は地獄界から上は仏界までの十の世界をいい、
境界(きょうがい)ともいいます。

そして、この十の世界が一人ひとりの心に具わっています。

まず地獄界(じこくかい)とは、
文字通り「地下のろう獄」にとらわれたような心で、自分を恨んだり人を恨んだり、やり場のない瞋りの心に満ちあふれ途切れることがなく、時には他人や自分を傷つけてしまう心をいいます。

次に、餓鬼界(がきかい)とは、あれが欲しいこれが欲しいという欲望の心にとりつかれ、次第に自分さえよければいいという心になり、「餓」という字は「我を食う」と書きますが、欲望の心が自分自身を飲み込んでしまい、人生がメチャクチャになってしまう心をいいます。

次の畜生界(ちくしょうかい)は、仏教では犬や猫等の動物を畜生といいますが、そうした動物のように本能のままに生き、善悪の判断がつかず、自分勝手な心、強いものを恐れ、弱いものをいじめたり、バカにしたりする心をいいます。

以上の三つの世界を三悪道(さんあくどう)といいます。

 

次の修羅界(しゅらかい)は、常に人に勝ちたいという心が強すぎたり、自分が一番だと思う心、また自分より勝れている人を憎んだり、何かあったら、すぐ人のせいにしてしまう、ひねくれた心をいいます。

この修羅界に三悪道を加えて四悪趣(しあくしゅ)とよび、苦しみにつつまれた心の世界をいいます。

 

次の人間界(にんげんかい)は、四悪趣とは違い善悪の判断をしっかりもち、平穏な心の状態をいいます。

次の天上界(てんじょうかい)は、欲望を満たしたり、良いことがあったり、悩みが解決して喜んでいる心をいいますが、決して長続きはしないひとときのやすらぎの世界です。

以上の六つの世界を六道といい、周りの環境に左右されたり、自分自身でなかなかコントロールできないので六道輪廻(ろくどうりんね)という言葉があります。

 

次の声聞界(しょうもんかい)とは、もともと「仏の声を聞く」という意味で、大人や親や先生の話を聞き、知識や学問を身につけ、勉強しようとする心をいいます。

次の縁覚界(えんがくかい)は、何か目標をもち、それに向って頑張ろうとする心、努力しようとする心をいいます。

この声聞・縁覚界はあくまでも自分自身の向上心のみで、二乗(にじょう)といいます。

 

次の菩薩界(ぼさつかい)は、他人を思いやる心、まわりのことに気をつかい、人のため、世の中のために苦労を惜しまない心をいいます。

二乗にこの菩薩界を含めて三乗(さんじょう)といいます。

 

そして、最後が仏界(ぶつかい)です。
仏界とは、周りの環境に左右されず、幸不幸すべての物事をゆとりをもって判断することができ、あらゆる悩み苦しみから解放され、安らぎに包まれた仏さまと同じ尊い心の世界をいいます。

この仏界に三乗を加え四聖(ししょう)といいます。

 

 

以上の十界は誰の心にも具わり、特に地獄界から菩薩界の九界は、まわりの環境や自分自身の力によって変わっていきます。

しかし、仏界の世界だけは、私たちが御本尊様に南無妙法蓮華経のお題目を真剣に唱えて仏道修行を実践することによって、初めて到達することができる境界です。

ですから、私たちは日頃から日蓮大聖人様の説かれた仏法を学び、勤行や唱題の善行によって、三悪道や四悪趣といった不幸の世界を離れ、更に不幸になる原因である罪障や悪業を消し去ることが大切です。

こうしたことは、決して簡単なことではありませんが、日々の積み重ねが後になって必ず幸福をもたらす大きな原動力となります。

 

そして、友だちやまわりの人を思いやり、常に礼儀正しく正義感をもち、色々と悩み苦しむことがあってもくじけず、落ち込まず、そうした時は御本尊様にお題目を唱え、お父さんやお母さん、学校の先生の言うことをしっかりと聞き、よく勉強して立派な大人になることができるように頑張りましょう。